男の嫉妬

 「人間の感情のうち、嫉妬ほど厄介なものはない。とりわけ日本のように、エリートの育成や才能の発掘に冷淡な横並び社会においては、子どもをめぐる学校やPTAの人間関係から、企業や官庁の人事競争にいたるまで、嫉妬は日本人のカルチャーの域にまで達している」(山内昌之東京大学教授、新潮社「波」2001年5月号)

 嫉妬と言えば、女の専売特許のように思っていたら、どうもそうではなく、「男の嫉妬」も相当なものではないかと感じている。人間、誰でも自分のことが一番大事で、自分が最も優れていると思いたいのは自然な感情。少なくても、人より自分が劣ることだけは積極的に認めたくないのは素直な気持ちだ。認めたら、自分があまりにも可哀相だし、大げさに言えば、生きていく自信すら失いかねない。落ち込むことはなはだしく、重症だと、立ち直れない。

 日本の社会は表向きみんなどんぐりの背比べ。会社人生でも、一応、新入社員は全員、社長を目指す資格を有する。平等が前提である。しかし、部長あたりからは、もうその人の実力ではなく、基本的には”情実”や運不運で決まるのが実態だ。不思議な力学が働いているようだが、方程式の解は誰も知らない。

 最近の自分の感情の苛立ちの源泉は何だろうか、と考えていて、ある日、同僚と立ち飲み屋でジントニックを傾けながら、「それは嫉妬ではないか」と気づいた。「なぜ、あの人が、あのポストに・・・」という気持ちが消えなかったからだ。

 自分より秀でている人には嫉妬するらしい。女は見た目絡み、男は仕事絡みで。でも、本当にあの人は優れているの?秀でているの?そのこと自体が認められなければ、どうしたらいいのだろう。自分より秀でていなかったら、嫉妬ではないのだろうか?自分より秀でているかどうかは誰が判断するのだろう。疑問は尽きない。

 こんな感情を抱くのは、要するに自分に自信がないからだろう。自分と他人を比べるからこそ、嫉妬するのだろう。組織の中にいては、比較するなというほうが不可能だ。階級社会の欧米では日本ほど、嫉妬は起きないのかもしれない。

 「嫉妬といえばすぐに連想するのは、男女の間柄のもつれであろう。あるいは、女性間の葛藤を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、断然厄介なのは、男同士の妬みなのだ。自民党の総裁選びをめぐる混沌を見るまでもなく、政治の世界でも男の嫉妬は凄まじい。国を滅ぼす」(山内氏)。男の嫉妬というものは、げに恐ろしや。

 

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