高句麗壁画古墳展

高句麗は紀元前1世紀から7世紀にわたって栄えた古代朝鮮の一国。中国・遼寧省桓仁で建国され、吉林省集安、平城と南下しながら遷都を行い、5世紀には中国東北部から朝鮮半島北部にかけて最大の版図を誇った。唐の高宗に滅ばされた。

 この高句麗の首都だった集安や平城の周辺には、高句麗時代の遺跡が数多く残されており、北朝鮮の「高句麗古墳群」と中国の「高句麗の首都と古墳群」は2004年7月に、同時に世界遺産に登録された。

 これら高句麗古墳の壁には当時の生活文化や思想などを生き生きと描いた絵画が残されており、さながら、”地下の美術館”。北東アジアの文化交流を考える上で、貴重な資料となっている。

 国際交流基金フォーラム(東京都港区赤坂2-17-22赤坂ツインタワー1F)で、これら高句麗古墳群の壁画を写真で紹介した「高句麗壁画古墳展」が開かれている。世界遺産登録後初めて北朝鮮の現地に入り、壁画をカメラに収めた共同通信社の創立60周年記念事業である。会期は9月4日(日)まで。

 それにしても、高句麗の領土がこれほど、広かったのは知らなかった。百済と新羅はまだしも、日本に近いこともあって何とかなじみがあるが、それら2カ国より遠い高句麗については、知識も乏しかった。近代に近過ぎて、受験の出題範囲から抜け落ちていたこともあり、知識自体の絶対量も少ない。歴史の勉強の必要性を痛感した壁画古墳展だった。

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