謹賀新年2006

 新年は郷里の丹波で迎えた。元旦の最初の炊事はその家の当主の重要な仕事ということで、水を沸かし、雑煮の支度をした。とは言っても、大晦日のうちに(実際には元旦未明に)、下ごしらえは既になされており、後は子供でもできる作業だけだったのは嬉しい。

 家には至るところに神さんがいる。炊事場(台所)には水の神様、もちろん神棚には天照大御神が鎮座されている。神さん以外にも、仏さん、前栽にはお稲荷さんがお神酒を待っている。それを済ませた上で、白味噌雑煮で祝う。これを食べないと正月が来た気にならない。

 食事を済ませてから、氏神様とお寺に参るのが正月の決まり。氏子ではないが、最近は町の真ん中にある厄除け神社への参拝も加わった。ここでは銅鐘を自由に付けるのが人気だ。ついでにおみくじを引くのを楽しみにしている善男善女も多い。

 行きは東名-名神-中国道、戻りは中国-名神-中央道。走った距離は1500キロ。大雪の谷間に往復したので、雪害は辛うじて回避できたので良かったが、中央アルプス、南アルプスは見事な雪景色。駒ケ岳SAの信南レストランで食べた駒ケ根名物「ソースかつ丼」は町興しの一品らしいが、朝っぱらだったせいか、胃にもたれて辛かった。

 さて、新年はいかなる年になるのか。激動、激震の後は激甚か。あるいは打って変わって静寂が支配するのか。市場経済化の動きは一層、速まるのか。それとも、反動が起こるのか。気になるところだ。

 確かなことは何かが起こるのを待っていても駄目だということだ。幾つかの変動を事前に予想し、その場合にどう対応するかを自分なりに考えておくことだ。それさえしておれば、いざの時にうろたえなくて済む。少なくとも、混乱し、取り乱すことはあるまい。重要なのは覚悟だ。どんなことが起ころうと、それなりに対応できる態勢を整えておくことだ。

 それでも想定外のことが起こったら、それはそのときのこと。精一杯うろたえ、力一杯混乱し、思いっ切り迷走するのだと覚悟しておけばいい。人生は有限だ。生き直すことはできないのならば、たった一回の人生、自分に忠実に生きるしかあるまい。後は神のご加護があるかないか。それは神のみぞ知る。

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