げすいた

  寒い日に風呂に入るのはちょっと辛い。服を脱いでお湯に浸かるまでの時間がやたらと長く感じられ、その間に風邪を引きそうな気になるからだ。とりわけ、お湯に浸かるまでに、身体がびくっと震える。この時間は短ければ、短いほど望ましい。

 そんなときに必ず思い出すのが昔のお風呂。鉄釜の五右衛門風呂だ。昔の家の風呂は土間を横切ったところにあって、そこまで行くのがまた実に寒かった。風呂場に入って、服を脱いで、中に入るまでがさらに寒かった。

 五右衛門風呂はかまどの上に鉄の釜を据え、下から薪を炊いて直火で沸かすのだが、何せ鉄の釜。そのまま入ると、とんでもなく熱い。それゆえ、釜の底に木製の「げすいた」(底板)を沈め、足が直接釜の底に触れないよう、細心の注意を払わなければならない。

 「げすいた」をうまく底に沈めるには、両足で上手に踏ん張るなど、それなりの経験と技術が必要で、バランス感覚がものを言う。バランスを崩すと、沈下に失敗し、痛い(熱い)目に遭う。この作業に時間を要すれば要するほど、寒さを甘受しなければならなかった。

 あれは50年ほどの前のことだった。子供心に、あの頃のことを覚えているから不思議だ。それにしても、便利な世の中になったものだ。ちょっと、お湯の温度が下がれば、片手で「追い焚き」のボタンを押すだけ。あっという間に、熱くなる。もちろん、ユニットバスに、「げすいた」など無用の存在だ。現代はもう、思い出を作れない時代なのだろうか。

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