史跡「生野銀山」

 連休3日目の18日は流通科学大学のフォーラムに参加を予定していたが、気が変わってドライブに変更した。譲ってもらった中古車を遊ばせておくのはまずいと考えたからだ。乗らないと、車もダメになる。

 向かった所が生野銀山。昔、社会科の授業で習った有名な銀山。一度は見学したいと思っていたが、いかんせん遠い。とても電車では無理。車の威力はやはりすごい。考えてみれば、もう15年も車なし生活が続いていた。神戸でも車の必要は感じない。でも、田舎にいくと必需品だ。

 さて生野銀山。大同2年(807年)の開坑。室町年間の天文11年(1542年)には山名祐豊(やまなすけとよ)が銀鉱脈を発見し、本格的な採掘が始まった。織田、豊臣の時代を経て、江戸時代には徳川幕府が「銀山奉行」を設置。その後は「生野代官」が置かれ、生野銀山は最盛期を迎えた。

 生野銀山は明治に入って政府直轄鉱山となったが、フランス人技師のジャン・フランソワ・コァニェが着任し、軌道や捲揚機など先進的な技術を導入した結果、近代化を成し遂げた。明治29年には三菱合資会社に払い下げられたが、昭和48年に閉山。1200年の長い歴史に幕を閉じた。

 掘り進んだ抗道の総延長は350km以上、深さは1000mの深部に到達。採掘した鉱石の種類は70種にも及ぶという。

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