『小説河井継之助』

 河井継之助(かわい・つぎのすけ)が好きである。越後牧野家長岡藩の中級武士から、幕末には家老上席、軍事総督にまで上り詰め、激烈な北越戦争を戦い、慶応4年(1868)8月16日夜、福島県塩沢村で死去した英傑だ。童門冬二著『小説河井継之助』(東洋経済新報社、2008年3月)。第一部が「小説河井継之助」で、第二部として「小説米百俵-小林虎三郎独言-」が収められている。

 河井継之助を主人公にした作品としては司馬遼太郎の『峠』(新潮社、昭和43年)が有名だ。こちらは完全な小説仕立てだが、童門の作品はどちらかと言えば、評伝ぽい。確か、週刊東洋経済に連載されていたころから知っていたが、きちんと読んだのは初めてだ。『峠』で継之助については分かったつもりだった。

 「武装中立」を唱えた河井継之助は最終的には全藩士に「徹底抗戦」を強い、官軍と血で血を洗う壮絶な死闘を演じた。長岡の街は官軍によって焼け払われ、住民は家を失った。住民を死地に追いやった河井継之助に対する批判も強い。

 作家・山本有三は、戯曲『米百俵』で、継之助のライバル、小林虎三郎を主人公とし、非戦論者の虎三郎に焦点を当てることで、河井継之助を批判している。どうやら「俺が、俺が」と何でもしゃしゃりでてくる継之助が嫌いだったらしい。

 面白いのは童門作の「小説米百俵」。互いにライバルで水と油のようでありながら、冥土に行った虎三郎に「継之助の指導が間違っていたと必ずしも考えていない。時代に対する役割分担があった。あいつの立場に置かれたら、おれも同じことをしたに違いない」と言わせている。

 「根底においては、わたしは河井継之助の同志である。河井もそう思っているはずだ。どうか娑婆にいる方々も、わたしのこの言葉を信じてもらいたい。そして、小林虎三郎だけが正しく、河井継之助はまちがっていた、という決めつけをしないでいただきたい。共に、幕末動乱の時代に、それぞれの役割を果たしたのだ、というように考えていただきたい」。小林にそう独白させている。

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