「現代日本の病とジャーナリズム」

 作家で元日本経済新聞論説主幹の水木楊氏の講演を聴いた。演題は「現代日本の病とジャーナリズム」。場所は東京銀座の時事通信ホール。財団法人新聞通信調査会と同盟クラブの主催。

 水木氏は日経を退社して12年。ジャーナリズム活動の第一線を離れ、作家としての執筆が今や活動の中心だ。必然的に距離を置くことになり、外から見るようになったジャーナリズムはどう映るのか。「功利主義」と「画一性」がはびこると同氏は指摘する。現代日本の社会にはびこる病弊がジャーナリズムの世界にまで及んでいると警鐘を鳴らす。

・新聞やテレビの報道記事に「国民」という言葉が氾濫している。あまりにも安易に使われ過ぎている。自分が国民を代表しているかのように錯覚した記事が多く、これは傲慢以外の何ものでもない。自身の考えを述べ立てることを回避し、公論を立てることを怠っている。公論のないジャーナリズムに堕している。

・自由を謳歌しながら、目に見えない画一性に嵌まっている。ジャーナリストが自前の情報・データと分析力を持っていない。法務知識にも弱い。権力(役人)への依存から脱し切れていない。「どうして」の繰り返しの中でしか積み上げられないのが知識。知識とは自分仕様の積み上げられたデータだ。要は自分自身の物差しを持つことが必要だ。

・記者クラブはメリットとデメリットがある。発表をそのまま右から左に流すポーター現象や価値観が取材対象と同一化する現象、特殊関係(癒着)を招く恐れがあるのがデメリット。一方、発表の窓口となることや先輩記者から学ぶ生産現場としてのメリットもある。閉鎖性は欧米のほうが日本よりすさまじい。

・署名記事の増加を望む。記者にもマーケットプライスが付くようになり、流動性も高まるのではないか。

・新聞社の将来=新聞は仮になくなったとしても、新聞社はなくならない。どれだけ優秀なジャーナリストを抱えることができるかが勝負。それと専門記者の育成が重要だ。

・これからの日本=あるべき姿のキーワードは多様性。異端者を許容する社会。官僚化現象を排した、おおらかな社会が望ましい。 

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