雛人形を求めて@岩槻

 雛人形を求めて岩槻(いわつき)に行く。東京・練馬の自宅から車で1時間。確か埼玉県岩槻市だと思っていたら、平成の大合併でさいたま市岩槻区に変わっていた。さいたま市自身も2001年5月に浦和、大宮、与野の3市合併で誕生したもので、岩槻市は05年に編入された。それにしても、ひらがな書きの市名には違和感を覚えてならない。

 3人の子どもは全員男なので、お雛さんにはこれまで縁がなかった。生家にあった姉たちのお雛さんが毎年飾られるのを幼少時代に眺めた記憶が残っているものの、かすか。そもそも人形なるものについて、深く考えたことなど全くなかった。関心もなかった。役割は運転手。事前準備で調べたのは道路地図くらいで、人形選びは家人たちに一任だ。

 それでも岩槻と浅草橋(東京都)が人形の街として有名であることくらいの知識はあった。浅草橋にはこれまで何かの用で行ったことがあるので、どうせ行くなら、行ったことのない岩槻にいきたいなと思っていた。強く主張したわけではないものの、そういう流れになった。

 岩槻は室町時代の長禄元年(1457)に太田道灌(1432-1486)が関八州の北の砦として岩槻城を築いて以来、城下町としての歴史が始まった。ただこの説は近年、道灌と対立した成田正等によって築城されたとする資料が見つかり、こちらのほうが有力視され始めたという。道灌は江戸城築城で名高い。岩槻はまた、日光御成街道の宿場町としても賑わった。

 「雛人形・五月人形選び方ナビ」によると、岩槻も浅草橋も江戸時代から続く人形の街。浅草橋は人形を販売する街で、岩槻は人形を作る街として発展してきたという。歴史的には江戸時代に5代将軍・綱吉が京都から人形師を招き入れ、岩槻で作った人形を浅草橋で売る仕組みを築いたとか。現在は岩槻にも販売店がたくさんあり、浅草橋と勢力を二分しているという。

 岩槻で訪ねた店は東玉、小木、東久、藤野、明玉、曽根など。たかが人形、されど人形である。人形の顔はどれも少しずつ違うし、着ている着物も違うのだ。ふっくらした顔もあり、ほっそりした現代風の顔もある。西陣織を着ているぜいたくな人形もいれば、中国製の布地で間に合わせている人形も。要は価格だ。

 岩槻の中心は東武野田線岩槻駅。ここを中心に人形の看板を掲げている店が大小合わせて20-30軒はありそうだ。店同士の競争も激しいようで、経営不振でパンク(倒産)した店もある。店を回れば回るほど、どれもこれも同じように見えてくる。顔と衣装と値段で決めるようだが、決断力が問われる。

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