『宿命の日米関係』

話し手が目の前にいない講演を聞くのはちょっと変な感じだった

 

拓殖大学日本文化研究所の公開シンポジウム『新渡戸稲造とその時代-宿命の日米関係-』に出席した。今年は新渡戸稲造(1862-1933)生誕150年に当たるという。新渡戸稲造(にとべいなぞう)は農学者、法学者、教育家など多様な顔を持つ人物。著書『武士道』で世界に日本を紹介したほか、旧5000円札の肖像でもよく知られている。草原克豪、澤田浩一拓大教授による新渡戸像は以下の通り。

・新渡戸はキリスト教の1宗派であるクエーカー(キリスト友会)教徒。カトリックでもプロテスタントでもなく、質素・平等・誠実を旨とする。17世紀に英国で生まれた宗教。信者数は少ない。集中しているのは米ペンシルベニア州フィラデルフィア。アメリカ研究の先駆者。

・日露戦争の和平に貢献

・台湾総督府の民生長官に就任した後藤新平に請われ、勤めていた札幌農学校(現北海道大学)を辞し、台湾総督府の技師に就任。台湾の糖業(さとうきび生産)の発展に尽力。

・国際連盟事務次長(1020-26)を7年間務めるなど国際人として活躍した。

・新渡戸は今流の平和主義者ではない。フェアプレーの精神。相手が不当なことを言ってきた場合には断固言い返すなど戦った。1924年反日移民法には断固戦った。彼自身は外国官ではなく民間外交家。「外交官に必要なものは何か。語学は雑用にすぎない。本当に準備すべきは腹だ、胆力だ」。

・満州事変は日本の侵略戦争だという教えられ方を日本人はしてきたが、事変が起こる前には中国による日本への妨害工作や反日運動などが頻発していることを忘れてはならない。

 

 

見上げたら、すぐ上にもモニターがあった

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