ハナミズキの「最後の春」
桜が散るのとほぼ時を同じくするようにわが家の小さな庭で大きく育ったハナミズキが咲いた。シンボルツリーは玄関脇のヒメシャラだが、何せハナミズキは大きく、存在感をアピールしている。
植えてからもう20年。今のところに引っ越してきてから経った時間と同じだ。世の高さはヒメシャラのほうが高いが、幹の太さではハナミズキが勝る。自宅の前に遂にマンションが建った。わが家の庭の目が駐車場になった。ハナミズキの枝は駐車場に飛び出している。
冬場に少し幹を切り落とした。しかし、上のほうはまだ残している。車の上に花が散ることになる。春間近。蕾みが膨らんでいた。せめて「最後の春」を謳歌させてやりたかった。数日すれば、散り始めるのだろう。さて、どうするか。
米ワシントン・ポトマック川の桜並木が、日本から103年前に贈られた”日米親善”の象徴だ。最近、至るところで目立つのがこのハナミズキ。こちらはその米国からちょうど100年前に、桜の返礼として贈られたのが最初だ。
米国から贈られた原木は60本。日本国内に残っているのはたった1本。東京都立園芸高校(世田谷区深沢)の校内にあるという。4月10日、同校でキャロライン・ケネディ駐日米大使も出席して「ハナミズキ100年祭」が行われた。
原野城治氏がコラムで、ハナミズキにまつわるエピソードを紹介している。女性歌手で作詞家でもある一青窈(ひとと・よう)さんが、2004年に歌って大ヒットした『ハナミズキ』という曲は単なるラブソングではなく、平和への思いを込めた歌だった。2001年の9.11同時多発テロ事件で一青窈さんの友人が子どもを残して亡くなったことの切ない気持ちを歌ったものだという。
『ハナミズキ』の歌は徳永英明氏のカバー曲として車で田舎に帰るとき、もう何百回、ひょっとすると千回以上も聴いている。すっかりラブソングだと思っていた。今度はじっくり聴いてみよう。