『8.15と3.11』

 

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書名:『8.15と3.11』(戦後史の死角)
著者:笠井潔(かさい・きよし)
出版社:NHK出版新書(2012年9月10日第1刷発行)

 

『永続敗戦論』を唱える白井聡氏との関連で読んだ。3.11は8.15以降の戦後史の必然的な帰結であるとの論考をまとめた一冊。8.15を真に反省できなかった日本人が、「平和と繁栄」の戦後社会に災厄の種をまいたことを明らかにする内容だ。

笠井氏は1948年生まれの団塊世代。私と同年齢。プロレタリア学生同盟のイデオローグだったらしいが、連合赤軍事件を契機に学生運動から離れたという。推理小説やSF小説を多数手掛けているようだが、1冊も読んだことはない。

それにしても、この本も言わんとしていることは分かるが、あまりにも言葉が自分勝手で、いかにも学生運動の活動家らしい言い回しのオンパレード。分かりやすい文章とは対極的で、読み続けることが苦痛。テーマがいくら鋭いとしても、もう少しこなれた文章で読みたい。

・「1945年8月15日、日本国民は天皇による「大東亜戦争終結の詔書」のラジオ放送によって、ボツダム宣言の受諾と敗戦の事実を知った。無条件降伏を容認しない軍の一部による抵抗、軍人や右翼活動家の自決など多少の混乱は生じたが、大多数の国民は平静に、あるいは虚脱と無気力状態のなかで玉音放送を聴いた。占領体制は、アメリカが期待した以上の従順と無抵抗のうちに受け入れられた」

・「8.15の直後から思想や価値観の劇的な転換がはじまった。『鬼畜米英』から『アメリカ民主主義万歳』という具合に。一瞬のうちになされた、無節操ともいえる国民的総転向である」

・「軍事的に意味のない沖縄作戦が『空気』による決定の産物だと指摘したのは、『「空気」の研究』の山本七平だった。山本は、『戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思わない』という豊田副武そえむ連合艦隊司令長官の言葉を引用し、『彼が「ああせざると得なかった」ようにしたのは「空気」であった』と評している」

・「『空気』による決定は沖縄作戦にとどまらない。ポツダム宣言の受諾と無条件降伏に帰結した対米開戦の決定自体が、『空気』の産物といわざるをえない」

・「総理大臣の直轄機関である総力戦研究所は、1941年の夏に日米戦争の机上演習を行った。緒戦の優勢は期待できるが長期戦化は避けられない、圧倒的な国力の格差から戦局は逆転し、ソ連参戦によって日本は敗北するという机上演習の結果は、ほぼ正確に日米戦争の推移を予想していた」

・「総力戦研究所による『日本必敗』の結論を知りながら、東条英機首相は対米開戦に踏み切る。東条は『人間たまには清水の舞台から飛び降りることも必要だ』と、また山本五十六は『是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる』と近衛文麿に語った。日米戦争の回避という選択は排除され、日本は『無謀な戦争』に突き進んでいく」

・「漠然とながら日米戦争の勝利は難しいと認識していても、完敗してアメリカの半属国に落ちぶれるという想像力は皆無だった。最悪の事態を想定しての必要な準備ができず、危機管理能力を致命的に欠いているのは、日米戦争から福島原発事故にいたるまで、『空気』が支配する日本社会の致命的な病理といわざるをえない」

・「対米開戦こそ、上から下まで日本社会に瀰漫する『空気』の支配、『空気』による決定の典型例のように見える。しかし、問題はそれにとどまらない。すでに230万の戦死者を算え、戦略爆撃や原爆投下で都市は廃墟と化し、米軍の本土上陸さえ切迫した昭和20年8月初旬の日本を、もしも戦争指導者層が4年前に確実なものとして予見していたとしよう」

・「この場合は、中国からの撤兵と権益の放棄、日独伊軍事同盟の破棄などアメリカの要求を呑んでも、開戦は回避されたろう。1941年にアメリカから提案されたハル・ノートでも、日露戦争までに得た領土や権益は保護されていた。いっさいを失う胎便戦争の敗北よりはましである」

・「しかい戦争指導者層は、無条件降伏と反属国化を必然化する徹底的な敗北を予見しえていない。考えたくないことは考えない。考えなくてもなんとかなるだろう。これが『空気』の国の習い性だ」

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