『藤沢周平と練馬』展

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

2018/03/31  20:06


 

学芸員でもある山城千恵子分室長の解説に多くの人たちが耳を傾けた

 

「藤沢周平と練馬」が石神井公園ふるさと文化館分室(石神井台1)で開かれた。藤沢周平の足跡や作品をたどる特別展はふるさと文化館の本館で行われており、花見のついでにのぞいたが、こちらは藤沢周平が長く住んだ練馬区との関わりに焦点をあて、作家の横顔を紹介している。

展示は4月1日(日)まで(あした)だが、学芸員による展示解説があるので、3月31日(土)、分室に行った。満開の桜は散り始めており、その桜を眺めながら30分ほど自転車を走らせた。松の風文化公園内にあった。

2014年4月1日に開設され、練馬ゆかりの文化人に関する展示事業と、音楽・音響事業を主な柱としている。1階は小説家・壇一雄の書斎再現コーナーなど、2階は五味康祐資料展示室などがある。展覧会が開催されたのは1階で、多くの藤沢ファンが集まった。

藤沢の性格は暗かったが、高澤と再婚し、大泉学園町に転居した辺りから好転する。展子がなぜ西武沿線駅にばかり住むのと聞いたら、「何となく田舎の風景が残っており、気に入っている」と答えたという。

藤沢の作品にはヒーローがいないし、生活者が描かれている。260作品。会場に来ていた遠藤正氏は「義父は普通が一番というのが口癖だった」と語った。

昭和2年(1927)、山形県鶴岡市に農家の2男として生まれる。山形師範学校を卒業し、湯田川中学校へ赴任。国語、社会を担当し、生徒にも人気のある明るい青年だったが、昭和26年(1951)、肺結核が見つかり休職し、療養生活に入った。

昭和28年(1953) 東京都東村山市の篠田病院に入院、右肺上葉切除の大手術を受ける。
昭和32年(1957) 退院後、昭和38年(1963)まで練馬区貫井に住み、業界新聞に職を得る。
昭和34年(1959) 三浦悦子と結婚。
昭和35年(1960) 日本食品経済社へ入社。「日本加工食品新聞」の記者となる。この頃から時代小説の執筆を開始する。
昭和38年(1963) 長女・展子が誕生するも10月に悦子が急性がんで急逝。享年28歳。郷里から母・たきゑを呼び3人で暮らす。
昭和39年(1964) オール読物新人賞へ投稿を始める。
昭和44年(1969) 高澤和子と再婚。
昭和46年(1971) 『くらい海』が第38回オール読物新人賞受賞。直木賞候補となる。
昭和48年(1973) 『暗殺の年輪』で第69回直木賞受賞
昭和49年(1974) 母・たきゑ死去。日本食品経済社を退社し作家活動に専念。
昭和51年(1976) 練馬区大泉学園町に転居。
昭和61年(1986) 『白き瓶』で第20回吉川英治文学賞受賞。
昭和63年(1988年) 展子、遠藤正と結婚。
平成元年(1989) 作家活動の功績に対して、第37回菊池寛賞受賞。
平成2年(1990) 『市塵』で第40回芸術選奨文部大臣賞受賞。
平成5年(1993) 初孫となる浩平誕生。
平成7年(1995) 紫綬褒章受章。
平成9年(1997) 1月26日逝去。亡くなるまでの約20年間を大泉学園町で暮らす。

 

 

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