柏原藩「織田まつり」

織田家にゆかりのある浅井の3姉妹

 

左から茶々、初、江

 

柏原藩陣屋跡

 

柏原藩陣太鼓を披露

 

8日(月)は体育の日で祝日。朝から良く晴れ、暑すぎるくらいだった。別に計画したわけではなかったが、この日は「柏原藩織田まつり」(兵庫県丹波市柏原町)の日だった。

総勢約100人の武者行列は午後零時20分に柏原藩陣屋跡を出発。織田家18代当主の織田信孝さん=神奈川県茅ヶ崎市=を殿様として、暫時練り歩いた。

織田まつりは2月に行われる柏原(かいばら)厄除け大祭(厄神さん)と並んで柏原の2大祭りに数え上げられる。

 

いつの間にか「織田信包公」の銅像が建っていた

 

織田 信包(おだ・ のぶかね)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。丹波柏原藩初代藩主。信包系織田家初代(諸説あり)。織田信秀の四男(異説あり)で、織田信長の実弟。

兄からの信頼が厚く、織田軍団の重鎮として各地で戦功ががあった。近江・小谷城の浅井攻めの後、長政の正室だった市と3人の娘(茶々、初、江)を引き取る。

本能寺の変後は秀吉に従い、津15万石の城主となったが、小田原攻めの際、北条氏の助命を嘆願し、秀吉の不興を買って改易されたといわれる。その後、慶長3年(1598)に丹波氷上郡で3万6000石を与えられた。

 

 

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