第8回神田カレーグランプリ2018
神田地区は400店以上のカレーを提供できる店の集まる世界一のカレー激戦区。その中からカレーNo1を決める神田カレーグランプリが今年も神田カレー街活性化委員会(中俣委員長)の主催で11月3、4日、東京都千代田区神田小川町の小川広場で開かれた。
神田は従来、「古本の街」、「スポーツ用品の街」、あるいは「楽器の街」として知られていたが、新らたに400店の集積する「カレーの街」としてアピールする取り組みを2011年から始めた。その活動の母体が神田カレー街活性化委員会だ。
今年は第8回目になる。グランプリを決めるのは参加する20店舗への来場者の投票だ。今年の決定戦出場店はアパ社長カレー、いずみカリー、秋葉原カリガリ、ジャンカレー、SAPANA、ガンディーマハル、オオドリー、いわま餃子、べっぴん舎、マジカレー、ドンファン、三月の水、キッチン723、品川甚作本店&甚作わっしょい酒場、チャントーヤ、ラホール、ジョイアルカレー、ディップパレス、ザ・タンドール、スパイスボックスの20店舗。
アパホテルの元谷芙美子社長が自信を持ってオススメする金沢カレーがベースの本格派ビーフカレー。飯田橋駅南店。初出場、初グランプリを目指した。
とにかく、「カレーはラーメンと並んで今や日本の国民食と言われる存在。日本のカレーはインドを植民地支配していたイギリス人が自国に持ち帰り、イギリス風(欧風)にアレンジしたものが日本に伝わり、さらに日本風にアレンジされたものが、今日の日本のカレーのルーツ」(神田カレーグランプリ「カレーの歴史」)という。
「カレーが初めて日本の文献に登場するのは江戸末期だが、実際に食べられるようになったのは明治初頭。このころの今でいうレシピ本にその調理方法が掲載されるようになり、同じころ陸軍の昼食メニューにも供されるようになった」ようだ。
「その後洋食食堂ができるにつれカレーが一般にも広まっていき、明治の終りころからカレー粉だけでなく、即席カレー製造への挑戦が始まりました。大正12年には現在のエスビー食品(当時の日賀志屋)が日本で初めてとなるカレー粉の製造に成功し、 洋食屋、レストランだけでなく、次第に一般家庭でもカレーが食べられる素地ができました。現在では固形カレールーやレトルトカレーなどさまざまなタイプの製品が広く家庭で愛用されています。」
「一方外食産業としては、1949年に日本のカレー専門店の草分け『ナイル』の開店以来、次第にカレー専門店が増え、内容も旧来からの欧風カレーにとどまらず、本場のインドカレーやルーツは同じであるが地域によって特長をもったパキスタンやバングラデシュのカレーなど、国際化とともに多様化してきた。」
「さらには日本独自の考案で、カツカレーやスープカレー、あるいは各地のご当地カレーというように今や一口にカレーといっても、唯一カレー粉を原材料に使用しているだけという共通点だけで、全く異なったカレーなるものが生まれ、それぞれのお客さんの好みで支持されています」という。
それがグランプリにも反映されており、黒毛和牛100%のスープカレーやチキンカレー、豚肉や鹿肉など様々な内容となっている。
カレー研究家の一条もんこ氏。ネット検索すれば、テレビや雑誌で活躍中の姿がたくさん出てくる。名前も知らないどころか、カレー研究家がいることも初めて知った。
午前10時40分からステージで開会式を行い、店でのカレー販売が始まった。カレーを買わなければ投票券はもらえない仕組み。同時に一条もんこさんと贈る激辛カレー道場がスタートした。一緒に盛り上げてくれたのは明治大学町づくり道場生3人。
ステージの裏手にエスビー食品のスペースがあり、スパイスなどをブレンドして世界で1つのカレー粉をつくる体験を行っていた。
この日紹介されたのは①辛みをつける(ブラックペッパー、チリペッパー)②色をつける(ターメリック=別名うこん)③香りをつける(コリアンダー、クミン、ナツメッグ、シナモン)-の7つのスパイス。
カレーの魅力に取り付かれたエスビー食品の創業者・山崎峯次郎は、独学でカレー粉の研究に打ち込み、1923年に我が国初めてカレー粉の製造に成功したという。どの世界にも先人はいるものだ。