大学同窓会

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

2019/01/11  23:50


 

食後のコーヒー(浦和パルコ7階の映画館併設ライブラリー「スルークカフェ」)

 

大学時代の同級生3人がどういうわけかJR浦和駅周辺に住んでいる。東京都心へのアクセスが抜群で開けているのだという。うち2人は親の代からそこに住んでいるという。

家賃がかからないのはうらやましい。こちとら、ゼロからのスタート。財産は何もなかった。それを苦労して作り上げた。環境がみんな違う。うらやましいが、うらやむことはできない。それぞれの生活だ。

そこに山つながりで、当時の女学生が加わって4人で飲むことになり、私もつながりのつながりでそのグループに加えてもらった。1968年入学の総勢5人の同窓会だ。場所は浦和駅東口。浦和パルコ5階の和風居酒屋「いろはにほへと」。顔は知らないが、何となく面影はあった。元女子学生は都内杉並区の出身だという。

約50年ぶりだった。私は丹波の山の中から出てきたばかりで、上京前1年間は大阪で予備校に通っていたものの、東京は初めて。東京には強い劣等感があった。うぶで田舎者で、名門都立高校出身の彼女とは縁のない人間だった。しかも彼女は国立大学に2年間通いながら、そこを蹴って改めて早稲田に入り直したということを今回初めて知った。

彼女はそんなお姫様のような人だった。男子学生は1浪か2浪。しかし、埼玉県といえば首都圏である。県立浦和高校は1校だけで東大入学者数が何十人もいた。地方では1県全体でも数人という県もあった。びっくりするほどの名門だ。おそらく今も名門であり続けているようだ。

何を話したのかもうすっかり忘れたが、とにかく3時間はあっという間に経った。48歳からずっと山ガールだったという。仲間の1人も山に強く、話は2人を中心に山が中心だった。

私は山はさっぱり。さりとて、海もさっぱり。何もかもさっぱりだ。山の話には付いていけなかった。それは仕方がない。

人生もそれぞれだ。成功した人もいる。うまくいかなかった人もいるかもしれない。人生は過酷だ。みんな顔に表れている。人によってずいぶん違う。若くして亡くなった同級生も少なくない。彼らの分まで生きているのだろうか。

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