『夜去り川』
作品名:『夜去り川』(よさりがわ)
著者:志水辰夫
出版社:文芸春秋(2011年7月30日第1刷発行)
現代小説でデビューした志水辰夫がいつの間にか時代小説作家に変わっていた。『青に候』『みのたけの春』『つばくろ越え』などを発表。書き下ろしの『夜去り川』は長編3作目だという。
「時代小説SHOW」によると、「主人公の檜山喜平次は27歳の若者。武士としての身分を隠して、渡良瀬川のほとりの村で渡し守をしている。よそ者の彼がなぜ武士としての体裁を捨てて、村民のために尽くす渡し守をしているのか、物語が進むにしたがって、その謎は明らかになっていく」。
志水の作品は主人公が何者かも知らせず、場所も地方であることが少なくない。全体がすぐに読み取れないので疲れていると読み続けるのが苦痛になる。
そこを我慢して読み進めていると、その辺が少しずつ分かってきて、その分かりようが逆に面白く、嬉しくなってくる。その醍醐味がこたえられなくて読み続けることになる。厄介な物書きだ。
舞台は上野(こうずけ)の桐生に近い渡良瀬川沿いの黒沢村と妙見村。別称上州。時代は黒船が来航した年。喜平次も黒船を見て衝撃を受け、渡し守に身を落とし、自分を見つめ直す機会を得ることができた。
新しい時代に向けて社会が大きく変わろうとしているときだ。黒船が喜平次に与えた衝撃は大きかった。
「小さな家中の剣術指南となることを、双六の上がりとしていた自分の有り様がいかに貧弱で、取るに足りないものか、どう取り繕ってみたところで意味があるとは思えなかった。骨の髄まで打ちのめされて、浦賀を離れたのである」
「あの日を境にしたもの、しようとしていたもの、しなければならないと思い込んでいたもの、それが朝露さながら、目に見えて立ち昇りながら消えてしまった。いまここに残っているわが身は抜け殻にすぎない」
正之助少年とその母親すみえ、祖母のいちの春日屋ファミリーと、喜平次の交流もいい。「かかあ天下」の起こりも上州。女の気性がすばらしい。
喜平次は物語の最後に、上州の村で、遠州浪人比島藤兵衛51歳と息子の小次郎29歳を頭目とする押し込み強盗団を討ち果たす。ハードボイルド小説を彷彿とさせるアクションシーンにしびれるのは私だ。志水ワールドを期待した読者にはたまらない。