脱システムこそ冒険

 

日本人で初めて冒険の本質に迫った『新・冒険論』

 

作品名:『新・冒険論』
著者:角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
出版社:集英社(インターナショナル新書)

 

角幡唯介氏は作家、冒険家。1976年、北海道生まれ。『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、『雪男は向こうからやってきた』で新田次郎文学賞、『アグルーカの行方』で講談社ノンフィクション賞を受賞。

探検と冒険の違いを「脱システム」という概念で区別している。「探検というのはシステムの外側にある未知の世界を探検することに焦点をあてた言葉であり、冒険のほうはシステムの外側に飛び出すという人間の行動そのものに焦点をあてた言葉だ」という。

「私はよく探検は土地が主人公の言葉で、冒険は人間が主人公の言葉などといったりもするが、それはこういう意味である。要は同一の行為でも探検を使うのが適切な文脈もあれば、冒険を使うのがよい文脈もあるわけで、私はこうした基準でこの二つの言葉を使い分けている」。

しかし、「本書では基本的に冒険で統一することにした。冒険のほうが意味が広く、汎用性も高いので言葉としてあつかいやすいからだ」という。

「本書は冒険とは私なりに徹底的に記述した本であるが、ある意味、学生時代(早大探検部時代)にこの三原山計画に対して感じていたもやもやとした感情を論理に訴えて説明しつくしたものだともいえる」とし、「キーワードは脱システムだ」としている。

「この本では冒険がシステムの外側に飛び出す行為であることを示し、そのうえで行為としての脱システムがどのような構造になっているのかを明らかにして、説得力のある言葉で冒険の本質を迫るのが狙いである」と書いている。

要は論理でもやもやとした感情を語っているのだ。朝日新聞社をやめて冒険家になった人物だが、論理は面倒くさくて厄介である。面白くなかった。

「人はなぜ冒険をするのか。冒険者は脱システムすることで、自力で命を管理するという、いわば究極自由とでも呼びうる状態を経験することになる。この自由には圧倒的な生の手応えがあるので、一度経験するとそれなしにはいられないようなヒリヒリとした魅力というか中毒性もある。」

「じつはこの自由における矛盾した感覚にこそ、冒険者を何度も冒険の現場に向かわせる真の要因があるのではないかと、私は最近考えるようになった。」

「自由は面倒くさい。自由みたいに自分で判断しなければならない苦しい状況に比べると、管理社会にいるほうがはるかに楽である。現代人にとって自由は不要となってしまったように、私には見る」

「だが、私はそうした管理される状態を望む傾向に抗いたいと思っている。自由には今でも人間が闘って獲得するだけの価値があると思うし、実際、私が冒険的行動をやめられないのも、自然の中で感じられる自由に、生きていることそのものの秘密があるように思えるからだ」

 

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