メリー・コルヴィンの心の旅『プライベート・ウォー』

 

 

作品名:プライベート・ウォー
監督:マシュー・ハイネマン
脚本:アラッシュ・アメル
キャスト:ロザムント・パイク(メリー・コルヴィン)
ジェイミー・ドーナン(ポール・コンロイ)
2019年9月18日@日比谷シャンテ

 

英サンデー・タイムズ紙の特派員として世界中の紛争地を取材してきた女性記者、メリー・コルヴィン(1956~2012年)。スリランカ内戦で左目を失明し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながら、黒の眼帯をトレードマークに、世間の関心を戦争地帯に向けようと努力した。

この「生きる伝説」は2012年2月22日、シリア・ホムスから衛星電話を通じて英BBC、米CNN、英ITNなどにライブ出演。戦場の過酷さを世界に訴えた。その数時間後、彼女はシリア政府軍の砲撃を受けて死亡した。享年56歳だった。

この映画は彼女の56年間の記者生活をドキュメンタリー風にまとめた伝記作品だ。リビアやシリアなどの戦場場面は目を覆わんばかりだが、「現場に行くのは私がそれを見たいから」。「悲惨な話を聞きたいから」だ。

悲惨さを眼前にし、涙を流し、絶え間なくたばこを吸う。酒を飲み、衝動的にセックスをする。精神の平行を保つためにはそうせざるを得ないのだ。そうでなければ自分がおかしくなる。

しかし、普通の生活のあるロンドンにしばらく住んでいるとまた現場に行きたくなる。戦場が恋しくなる。これはどうにもならない性(サガ)だ。誰も止められない。

映画の中でメリーの上司(ショーン・ライアン)を演じたトム・ホランダー氏は、「メリーは頑固で、聡明で、我が道を行く。上司としてやきもきすることもあったが、一方で、彼女の良き友人でもあって、彼女のことを本当に心配していたんだ。メリーはいつも危険な道を選ぶからね」とインタービューで語っている。

私もジャーナリスト。ロンドン特派員だったが、担当は経済だった。メリー・コルヴィン記者と同じ時代の空気を吸ったはずだが、危険な目にはほとんど遭っていない。

むしろ世界は今のようにそれほど危険ではなかったのか、あるいは危険から距離を置こうとしていたのか。よく分からない。メリーがジャーナリストになりたくてUPI通信社に入ったのは1979年。夜勤の警察担当をやったのちニューヨーク、ワシントンでも勤務している。

彼女がUPI通信社のパリ支局長に任命されたのは1984年。86年には英サンデー・タイムズ社に移籍。リビアの最高指導者カダフィ大佐のインタビューに成功している。ロンドンを拠点にレバノン内戦や第1次湾岸戦争、チェチェン紛争、東チモール紛争なども取材している。”戦争志向”の強い人だったのだろう。

私も85年から90年までロンドン支局にいた。カダフィインタビューは一面トップ記事だろうからサンデー・タイムズ紙も読んで、東京に記事を転電したかもしれない。記憶に残っていないことを思うと、強い印象は抱かなかったのだろう。

メリーの戦争は2012年まで続く。彼女はシリア軍の砲撃で死亡した。その後もシリア内戦は終わっていない。そして死者の数は50万人を超えていると映画の最後のほうで字幕が入る。これがシリア内戦の最大の悲劇かもしれない。

ハイネマン監督はインタビューで、「この映画は、ジャーナリストへのラブレターであると同時に、人生を懸けて厳しい現実を語るために戦い続けたメリーへのオマージュだ」と語っている。

「単なる伝記映画にはしたくはなかった。どちらかと言うと、心理スリラーだと思っていて、危険な地域に行って取材を続けるメリーの心理を追っている。そして、戦場の取材によって精神的・肉体的にどんな影響があるのかを掘り下げた作品だ」と指摘。

「私が描きたかったのはメリーの心の旅であり、彼女を輝かせながらも痛み付けていった仕事に対する矛盾だらけの依存についてだ。紛争地での取材にメリーはある意味依存していた。アルコールも依存症的な部分があったし、人によってはセックス依存症だったという人もいる」と語っている。

ハイネマン監督は18年に『ラッカは静かに虐殺されている』を公開している。

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