香里園に「成田山大阪別院」があるとは知らなかった!

 

駐車場から成田山大阪別院を望む

 

大阪府寝屋川市にきている。9日(土)午後1時ごろに東京・練馬を出発し、海老名、掛川、刈谷で休憩し、同11時すぎに寝屋川市の2男の家に着いた。

孫の七五三に参列するためだった。式は孫たちの都合で11日(月)。土曜は学校があってその振り替え休日が月曜日だった。パパもその日を休めるというので決まった。

10日は小学校で催事があるという。集団登校するというのでパパと2人で学校まで付いていった。パパもすぐそばの集合場所まで子どもを見送ってすぐ自宅に戻るのが普通で、これまで一緒に付いていったことがなかった。一緒に集団登校することにした。

 

朝の早い時間帯のせいか、まだ数組しかいなかった

 

男の子も負けていないよ

小学校のすぐそばには首都圏で有名な成田山の大阪別院明王院(寝屋川市成田西町)があるという。成田山は千葉県にあって関東では有名だが、大阪に別院があるとは思ってもいなかった。好奇心がムクムク頭を持ち上げる。ただ七五三は京都に行くらしい。

学校まで歩いて20分もある。しかも、かなり起伏の大きいところを歩く。大人でも辛いところだが、子どもは平気のようである。足も速い。付いていくのが大変だった。

集団の後に付いていき、その後別院を見学した。大阪府の真ん中をほぼ南北に淀川が流れ、河口に向かって左岸に位置するのが寝屋川市。市内の標高差は100m以上ある。

 

祈祷してもらっているのはバンばかりだった

 

939年、平将門が新皇と名乗り朝廷と対立し不安と混乱に満ちた平安時代。朱雀天皇の勅命を受けた寛朝(かんちょう)大僧正が弘法大師空海が敬刻開眼した不動明王を捧持して京を出発。大坂から船に乗り、房総半島の尾垂ヶ浜に上陸。大僧正は成田の地にご本尊を安置し、戦乱が鎮まるように21日間祈願した。最後の日に平将門が降伏し、平和が戻った。

寛朝大僧正が都に帰ろうとしたところ、不動明王が動かず、この地に留まるよう告げたという。これが成田山に「新たに勝つ」新勝寺が開山されたいわれだという。

真言宗智知派の大本山のひとつ(大本山はほかに川崎大師平間寺、高尾山薬王院)で、不動尊信仰の総府だという。全国各地に71カ寺の不動尊信仰を支える「成田山」があり、大阪別院もそのひとつだ。創建は1934年(昭和9年)。

ウィキペディアによると、寝屋川市の香里一帯には当初、京阪電気鉄道(京阪電車)が「香里遊園地」を開設したが、同地が大坂の鬼門に相当するため2年後に移転(現在の枚方パーク)した。

京阪は「鬼門」のイメージ払拭のため成田山に別院の建立を依頼し、「この地域に鬼は出ない」ことをアピールした。現在も交通安全祈願も行っており、人車一体の祈願を行った最初の寺として有名だ。

ちなみに大阪のほか、東京、川越、札幌、横浜、函館、名古屋、福井に別院を持っている。

 

喫茶店「オリエント」参道と反対側に風変わりな喫茶店があった。中に入ったらおばさんやおじさんたちでいっぱいの普通の喫茶店だった。一杯420円のコーヒーを飲んでまた元の道をとぼとぼ引き返した。

 

何と抱えているのはラグビーボールだった

 

途中の公園で親子2人がラグビーの練習をしている光景を目にした。今年は第9回ラグビーワールドカップがアジアで初めて日本で開催(9月20日~11月2日)され、日本中が熱狂した年。

最近はサッカーがスポーツの王者で、ラグビーの練習など見たこともなかった。それをただの公園で見た。単なるボール投げにすぎないものの、紛れもなくこの目でしっかり見た。

こういうところからラグビーというスポーツが市民権を得てくるのかもしれない。身体と身体がぶつかり合う激しい試合の感動を身体が覚えているのは確かだ。

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