外国人観光客が押し寄せる「伏見稲荷大社」の千本鳥居
”お稲荷さん”の呼び名で親しまれる伏見稲荷大社(京都市伏見区深草)は、全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮。約5万7000店のコンビニやほぼ同数の調剤薬局ほどでもないが、3万社はさすがに多い。
この稲荷大明神の神の使いとして祀られているのが白虎(びゃっこ)だ。白い毛を持つ白虎は人々に幸せをもたらすと考えられていた。日本人は古来、この白虎を神聖なものとみていた。
神社にいけば、本来の神社のほかに大体稲荷神社も併設されている。どこにもある。私の郷里の柏原八幡神社(兵庫県丹波市柏原町)にも摂社(付属する関係深い社)の五社稲荷神社がある。小ぶりながら私の実家(兵庫県丹波市)の前栽にもある。
どこにでもある割にそれほど稲荷神社のことは知らない。総本宮の伏見稲荷大社を知れば、お稲荷さんのことを少しでも知ることができるかもしれない。
桓武天皇が奈良から京都に遷都したのは794年。伏見稲荷の創建はそれに先立つ711年(和銅4年)と伝わる。商売繁盛、家内安全のご利益があるとされ、1年を通じてたくさんの参拝客で賑わっている。
特に海外旅行者からも人気で、世界最大級旅行口コミサイト「外国人に人気の日本の観光スポット」ランキング2019では、6年連続でダントツ1位に輝いている。
最大の見どころは何と言っても千本鳥居。朱塗りの鳥居がズラリと連なる光景は圧巻そのもの。外国人旅行客の数にもびっくりしたが、私も初めて見て圧倒された。
とにかく山頂まで密集度は幾分異なるものの、並んでいるのは朱塗りの美しい鳥居、鳥居、鳥居の列。その数は1万基以上に及ぶという。
雨は降っていないものの、午前中はぐずついていた。ところが登り始めると晴れ始めた。早速ご利益があったような気がした。
情報サイト「ジョイサポ」によると、「これらの鳥居は江戸時代から明治時代に建てられ始めたという。鳥居とかけて、願いが「通る」「通った」という語呂合わせから願いごとをするときや、それがかなった御礼の意味を込めて奉納する習慣が広まったらしい。
鳥居は木造建築物。4~5年で朽ちるという。現在残っている最古の鳥居は1889年(明治22年)に建てられた石の鳥居である。
かなり行ったところで「鳥居奉納のご案内」の看板が落ちていた。それによると、5号(直径15cm)は17万5000円だ。山頂に行くに従って高くなるのだろう。
伏見稲荷大社は稲荷大神が鎮座する稲荷山全体が信仰の対象だ。標高約233メートル、一周約4キロ。約2時間で一回りできる。
奥社奉拝所や、さらに奥の三ツ辻(みつつじ)あたりで折り返す観光客が多いが、お山を巡ってこそ伏見稲荷を体験したことになるのではないか。
時間的な余裕もないと難しいかもしれないが、『枕草子』を書いた清少納言も稲荷山を参拝したとか。是非、山頂まで歩くことをお勧めしたい。
山頂が必ずしも景色が良いわけでもない。実は四ツ辻(よつつじ)から京都市内を眺めるのが絶景なのだ。ところどころに茶店があって、菓子や湯茶を供する。
キツネは稲荷神社のお使いらしい。あんまり邪険に扱うこともできない。粗末に扱うと祟りがあるらしい。ちょっと恐い。粗末にはできないのである。
楼門の前に鎮座する「狛犬」ならぬ「狛キツネ」。右は口に「玉」をくわえ、左は「鍵」をくわえている。ほかに巻物や稲穂をくわえていたり、面白い格好をしていたりしている。
鍵は「玉鍵信仰」に由来するといわれる。玉は稲荷神の霊徳の象徴で、鍵はその御霊を身に付けようとする願望とされているという。
また「玉と鍵」は「天と地」、「陰と陽」を表し、万物の創世の理を表しているともいわれる。
伏見稲荷大社(京都市伏見区)への参拝は念願だった。昨年2男のところにきたときも伏見をぶらぶらしたものの、酒蔵がメーンだった。雨も降って稲荷はあきらめた。
兵庫県丹波市の実家は昔、冬は酒造り、それ以外のときは製糸に携わっていたと亡き母からよく聞かされてきた。前栽(庭先に植えた草木=小さな庭)に小振りの稲荷神社も母が建てた。
そのお稲荷さんは3つの稲荷神社から分祀を受けているという。1つは同じ兵庫県内の當勝稲荷神社(当勝稲荷神社とも=朝来市山東町)で、もう1つは伏見稲荷大社だという。3つ目は不明だ。
実家は現在他人に貸しており、2年後でないと戻ってこない。その後どうするかについてまだ合意ができていない。どうしたいのかもはっきりしていないのが実情だ。
当然のことながら、お稲荷さんの処遇も考えなければならない。いろいろ考えないといけないことがありすぎる。