『追憶の一九八九年』を書いた作家・高橋源一郎氏の卓見

 

雄弁なのか多弁なのか分からない高橋源一郎氏

 

ゲスト:高橋源一郎氏(作家)
テーマ:ベルリンの壁崩壊がもたらしたもの
2019年11月27日@日本記者クラブ

 

東西冷戦の象徴だったベルリンの壁崩壊から11月9日で30年が経過した。壁の崩壊が現代史に与えたインパクトについて、自著の『追憶の一九八九年』(1990年、スイッチ書籍出版部)をもとに、1989年を振り返るとともに、ベルリンの壁崩壊が日本の思想に与えた影響について話した。

これまでいろんな人のいろんな本を読んできたが、どういうわけか高橋源一郎氏の本は一冊も読んでいない。そういう人がいることは何となく知っていたが、それほど強い関心もなかった。

ウィキペディアによると、「高橋源一郎は、日本の小説家、文学者、文芸評論家。明治学院大学元教授。散文詩的な文体で言語を異化し、教養的なハイカルチャーからマンガ・テレビといった大衆文化までを幅広く引用したパロディーやパスティーシュを駆使する前衛的な作風。日本のモダン文学を代表する作家の一人である」らしい。この説明もさっぱり分からない。

あと競馬が好きだとか、4度離婚し5度結婚しているとか、かなり変わっている人らしい。現在の配偶者も作家の室井佑月だという。1951年1月1日生まれの現在68歳。

この彼が1989年について個人的な本まで書いている。今や絶版になった月刊誌「スイッチ」で始めた日記の連載をまとめたものだという。最初から題名が決まっていたことについて、「なぜ始まってもいないのに追憶なのか」と編集者から聞かれ、「絶対追憶するような年になるから。賭けてもいいよ」と強弁したことを今でも覚えていると述べた。

1年間の日記で全体が600ページ。半分はどんな馬券を買ったのかなど競馬の話。あとは買ったり読んだりした本や妻と猫の話。日常生活が約90%を占めている。学生運動をやっていて逮捕歴もあるものの、社会人になってからは社会や政治にはほとんど触れていないことが分かる。

作家の日記は特別なジャンルだ。代表的なものは永井荷風の『断腸亭日乗』(1917~59年)。政治の話がほとんど出てこない。大逆事件(思想問題)の影響だ。事件があったはずなのに書いていない。そのことがよく出ている。この日記も途中から公開を前提に書いている。

高橋源一郎氏は『追憶の一九八九年』は「株価は大発会の3万0165円52銭から大納会の3万8915円87銭へと29%急騰し、バブルの最絶頂期に向かっていく時期で多幸感の時代だった。みんな浮かれていて、ゲームをやり競馬に行ってパルコでCDを買っていれば良かった」と振り返った。

株価時価総額のトップは軒並み日本企業で、日本が世界を征服した時期でもあった、と高橋氏は言う。一方で中国では天安門事件(6月)という動乱が起こり、ベルリンでは壁が崩壊した(11月)時期に当たり、こうした姿を日本人は「共感というかより同情に近い感情」で見ていたのではないか。

88年から89年は4人の幼児が犠牲になった埼玉連続幼女誘拐殺人の加害者・宮崎勤が事件を起こしたほか、のちにオーム真理教事件として知られる一連の事件の端緒となる坂本堤一家殺害事件も起きている。

高橋氏は1989年について、近年150年の中でも特筆すべき時代ではなかったか。第2次世界大戦の終わった1945年、フランスのパリを中心に反体制デモや動乱の起こった1968年、それに1989年が世界にとっても大きな意味を持つと語った。

89年は年初1月に昭和天皇が死去し、「平成になった」。しかしその当時は反天皇制デモもあって天皇制への違和感やそれを表明する人もいた。しかし、それから30年後の2019年の今、「令和」になって天皇制に異を唱える人はいなくなった。これはなぜだろう。

高橋源一郎氏は雑誌『新潮』に昭和天皇の戦争犯罪論を追求した『ヒロヒト』を連載中。

高橋氏は、平成の時代に問題となって出てきたもののほぼすべてが1989年に勢揃いしている。「こんなに浮かれていていいのか。何かおかしい」と日記を付けていて思った。89年から90年にかけて天皇制だけは守りながら、絶頂を迎える日本の繁栄は近代で最も豊かな時代だったと総括。その絶頂で次の30年に起こる恐ろしいもののすべてが準備されていたのが89年だと述べた。

高橋氏は89年はどういう年かについて、歴史家フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』を引用して、「大きな物語は遂に終りを迎えた。民主主義と自由経済が最終的な勝利を収めた。これ以上の制度はないので取って代わるものはない。歴史は歩みを止めた」と指摘した。

民主主義と自由主義とはアンチテーゼがない。これより先は優れたものはない。奴隷制→封建制→資本主義民主主義のさらなる上は誰も考えられない。「とすれば哲学的には終わった」というのがフクヤマ説。宗教は弁証法とは無関係に存在するが・・・。

その当時はF・フクヤマの主張は正しく、「民主主義と自由主義経済が勝ったという感じは私も持っていた」。しかし、30年後から見れば、ひどいことになっている。歴史は思うようにならない。

もう一度89年に戻っていろいろ考えてみるのは何がだめでこうなってしまったのか、いまどう考えればいいのか。考える場合のベースにするには89年は打って付けではないか、と述べた。

 

 

 

 

 

 

 

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