【ドライブ】全くのゼロから始まるからこそ面白い早朝散歩=「スキーバス転落事故」現場に遭遇
■周りを知るためには「歩く」ことに限る
せっかく軽井沢に来たので早朝散歩を試みた。自分のいる場所がよく分からない。実は分かっているのだが、知らない世界にポンと飛んできたので実感できないのだ。カーナビに住所を打ち込み、それに誘導されてここまできた。
来たのはいいが、自分がどこにいるのか分からない。住所は分かるのだが、環境情報が全くない。土地とそれに関連した情報があって初めて「自分はここへきた」ことを実感できるのだ。
スマホの地図アプリを使えば解明するはずだが、悲しいかなそのアプリを操作できない。仕方がないのでスマホは持っているものの、地図アプリは使えない。要は周りをキョロキョロしながら歩くことになる。しかし、実はこれが一番安心なのだ。
とにかく車で来た道を歩いてみることにした。早速ぶつかったのが名無し神社である。名前のない神社だ。誰がいつ建てたのかも分からない。そのまま奥に進むとほこらが4つほどあった。名前はなかった。手掛かりがないのではどうしようもない。
誰がいつどういう理由で建てたのか。情報が何も刻みつけられていない。今のところどうしようもない。打つ手なしである。
キョロキョロ、ウロウロはゼロから情報を得るためには有効的だが、そぶりが怪しいと不審者扱いされかねない。下手をすると痴漢と間違われかねない。今は怖い時代に生きていることも知っておくべきだろう。
■テニスコートが最も多いのは長野県
少し行くとテニスコートにぶつかった。個人所有なのか法人所有なのかは分からない。軽井沢には有名なテニスコートがあまたあるそうだが、テニスをやらない人間には無関係な存在だ。
しかし情報として軽井沢には会員制テニスコートがたくさんあることは知っている。ウィキペディアによると、軽井沢会テニスコートという歴史のあるテニスコートも存在する。明治時代からの歴史を持ち、明仁親王(当時の皇太子、現在上皇)と正田美智子さんが出会った場だ。
場所は「旧軽井沢銀座」の東側に位置する。面積は約4000平方㍍13面のコートとウィリアム・メレル・ヴォリーズの設計によるクラブハウスを備えている。200人収容のスタンドもあり、一般財団法人軽井沢会が所有し、会員制だ。
「都道府県別統計とランキングで見る県民性」サイトによると、全国のテニスコート数は6454カ所で、人口10万人当たり5.08カ所。テニスコート数が最も多いのが軽井沢を擁する長野県で、人口10万人当たり12.24カ所だ。2位は山梨県、3位鳥取県、4位北海道、5位島根県の順となっている。
長野県は避暑地で有名だが、その中でも軽井沢は別荘地で名が知られている。高級別荘地である。高級別荘地と並ぶ高級そうなものがテニスコートである。そんな軽井沢の姿を早速目にすることになった。
たくさんの薪が積んであった。別荘といった場合、まず頭に浮かぶのはログハウスなどの木造建築だ。冬の寒い時期に家を早く暖めるのはやはり薪ストーブではないか。薪の熱は何とも言えない温かみを感じ、まさに火の色そのものだ。
しかし泊まった別荘には薪ストーブはなかった。
■舌と目で味わう「新ハワイ料理」が自慢のペンション「カパルア」
軽井沢は別荘地だが、もちろん別荘族だけが軽井沢の住人ではない。別荘を持っていなくても、ホテルに住む人もいるし、そこで生活をしている人たちもいるはずだ。昔から軽井沢で生活している住人だ。
「カパルア」と聞いてハワイをすぐ連想できる人は相当のハワイ通かもしれない。ハワイに行ったことのある人なら誰でも知っているのかもしれない。残念ながら私はハワイには一度も行っていない。だからカパルアを知らない。
カパルアはハワイ・マウイ島西岸に位置する高級リゾート地だ。貧乏人にはびっくりするようなホテルも立地し、うらやましいような生活を繰り広げる人たちも存在する。それはそれ、これはこれである。
軽井沢にある「カパルア」は6部屋のペンションだ。ハワイの雰囲気いっぱいの「大人の宿」で、10歳以下のお客様は原則お断りしているとHPに掲示してある。
同ペンションの一番の自慢は「料理」。六本木グランブルーやお台場サムチョイス東京で調理師を務めてきたオーナーシェフが自信を持って出してくれる「パシフィックリム」と呼ばれる新ハワイ料理が自慢だという。
ハワイの食材を使い、アジアの調味料などを組み合わせて自由な発想で創った新しい料理で、彩りや立体感を大切に「見た目にも凄い」のが特徴だという。舌と目で味わう「新ハワイ料理」は楽しそうだ。一度泊まってみたい。
軽井沢町のコミュニティセンターの1つだ。災害対応の避難所でもある。広大な敷地が羨ましい。
■偶然に「軽井沢スキーバス転落事故」現場に遭遇
群馬県と長野県を結んでいるのが国道18号碓氷バイパスの入山峠付近。いつの間にか別荘地を離れ、バイパスを歩いていた。軽井沢除雪ステーションの隣にチェーン着脱所があった。トイレなどもあり、休憩している大型トラックが何台も止まっていた。
そこを少し群馬側に行くと、歩道が行き止まりになっていた。何か祀られていた。よく見ると、それは2016年(平成28年)1月15日午前1時55分頃、現場近くで起こった「軽井沢スキーバス転落事故」の慰霊碑だった。
乗員・乗客41人乗り(運転手2人、乗客39人)の大型観光バスが国道18号碓氷バイパスの入山峠付近(長野県北佐久郡軽井沢町)で、ガードレールをなぎ倒して道路脇に転落。運転手2人のほか、乗客13人の合計15人が死亡し26人全員が負傷した。
原因は事故を起こしたバス会社「イーエスピー」(東京都羽村市)運転手の速度の出し過ぎによる運転ミスだった。乗客39人のうち32人は首都圏の大学生で、19歳11人、20代25人、30~38歳以上3人だった。
死亡したのは首都圏の大学生が多く、早稲田大3人、法政大3人、東京農工大2人、東海大1人、東京外語1人、広島国際大1人だった。
事故は5年前で報道で知っていた。しかし、ここが現場だったことは全く知らなかった。全く偶然だったが、手を合わせた。