「蕎麦屋」「イタリアン」「フレンチ」の軽井沢ランチ3択=「スキーバス転落事故」「あさま山荘事件」など歴史的事実とも遭遇
■初日は東間の「天ぷらそば」をいただいた
軽井沢に着いたのは土曜日の午前11時半。お腹もそこそこ減っていた。夕食は別荘で食べるとして昼に何を食べるか。結構悩ましい問題である。やはり軽井沢である。単なる外食ではない。
友人夫婦がいくつか選択肢を与えてくれた中で、軽井沢でも結構評判の高いそば屋「東間」(軽井沢町発地)に行くことにした。軽井沢は関東ナンバーの車が多いように関東の金持ち族の集積地だ。地方にいることをつい忘れてしまうほどだ。
軽井沢は避寒地で友人宅は「夏はクーラーを使っていない」。夏でも肌寒くひんやりしており、夕食は温かな鍋料理も楽しめる。東間でも信州産ハーブ鶏の軟骨だんごを鍋中に落とす鶏鍋のほか、信州ホエー(乳清=生きた乳酸菌や乳糖などを含んだ栄養満点の液体)豚を使った豚しゃぶ鍋なども味わえるが、この日は天ざる蕎麦と鴨汁蕎麦を楽しんだ。
蕎麦は信州産のほか、国内産の厳選したそばの実を石臼で挽いている。少し粗めに挽いた細打ちの蕎麦は新鮮なそばの風味が際立ち、喉ごしの良さも楽しめる。そばつゆは、鰹節を3年以上寝かせた最高級の「本枯節」(ほんかれぶし)を使用し、雑味のないすっきりとした味わいに仕上げている。
一軒家レストランの魅力は何と言っても広い敷地に匂い立つ緑の香り。しかも6月は新緑のシーズンでもある。グリーンの中に店を構え、コロナ禍を意識した客も3密を避けながらゆったりと席を暖める。都会のように狭い場所に詰め込まれるのは願い下げだ。
東間も10台ほど車を駐められる駐車スペースを木々の間に設け、店は奥まったところに構えている。これだけスペースを取るのは都会ではまず難しい。
あるブログを読んでいて、「軽井沢は店の雰囲気にお金を払うという側面もあるので、味やコスパを過度に追求するのは避けたい」とあった。お金で買えないものはほとんどないことを知った。味気ないことだが、これは厳然とした事実だ。
2日目はイタリアンをチョイスした。イタリアンは日本人の口にも合っていて、既にナポリタンやミートソースなどは日本食になったような趣だ。私がナポリタンというと、子どもみたいと連れ合いは言う。正直言って口も子どもである。
選んだのはトラットリア「プリモ」本店(軽井沢町大字軽井沢)。「木々に囲まれたロケーション」を見事体現している。本店以外に軽井沢プリンスホテルスキー場店、白馬店、旧軽井沢店がある。
こんな気楽なレストランが町内に幾つもあるなんて信じられない。東京でも珍しい。決して安くはないが、手を出せなくもない。ちょっと背を伸ばせば手が出る。
時間があれば毎日だって通いたい。そんな店が至る所にあるのは実に魅力的だ。都会の魅力を地方に持ち込んだようなものだ。出前である。
前菜はオマール海老とアボガドのサラダ仕立てと国産牛ロースのグリルサラダ仕立ての2品から選ぶ。夜のメニューが焼肉なので野菜ベースのサラダを選択した。濃厚オマールソースとオレンジがダブルでかかっている。1650円(税込)。
ピザも食べたように気がするが、写真を取り損ねた。食べるのに忙しくて、忘れました。済みません。
■「軽井沢レイクガーデン」を運営するのは別荘開発・販売会社だった
長野県内には「バラクラ」と呼ばれる「蓼科高原バラクライングリッシュガーデン」(茅野市、1万平方㍍)が特に有名だが、バラクラよりもっと自然で広いバラ園があるよというふうに言われ、連れてこられたのがこの「軽井沢レイクガーデン」。
バラを中心に軽井沢の風土に合った四季折々の植物を楽しめるナチュラルガーデンで、とにかく敷地面積は1万坪と広い。運営するのは別荘地開発・販売・管理会社の株式会社レイクニュータウン(長野県北佐久郡、石井千尋社長)だった。要は別荘開発会社の経営するバラ園だった。
レイクニュータウンはリゾート全体の中心的別荘地で、人造湖を配置する開発構想は1961年に発足。翌年に開発に着手した。レイクガーデンはそのシンボル的存在だ。レイクニュータウン以外に八風の郷、アカシヤ通り、南平台、せせらぎの森の4つのエリアを開発している。
開発はほぼ完了しており、現在は販売・管理に力点が置かれている。あまりにも広大すぎて散策するのは次回以降とした。目的はランチである。
軽井沢レイクガーデンは2007年にオープン。軽井沢エリアのバラの満開を6月中旬と予想し、前後1カ月超にわたって毎年ローズガーデンを開催している。敷地面積は約1万坪。入場料をとっているが、スケールの大きさと自然ぽさにはびっくりした。
バラを楽しめるのは「イングリッシュローズガーデン」「フレンチローズガーデン」「ラビリンスローズガーデン」「フレグランスローズパス」の4つのエリアで、約400種、3500株のバラが咲き誇る。今の時期は約300種、2万株の宿根草も見頃だという。
■また歴史的事実を知るハメに
最終日の3日目はフレンチだった。「ブラッセリーナカガワ」の食べログ記事を読んでいたら、「昭和事件簿の中でもとりわけ有名なあさま山荘事件の舞台となった軽井沢レイクニュータウン内にあるブラッセリーナカガワ」との記載に気づいた。こう書かれている。
「軽井沢レイクニュータウンは1962年に開発着手。人工池のレマン湖(当時は軽井沢湖)は1963年に完成。そして軽井沢レイクニュータウン自体は現在の別荘地であるが、中に何軒か廃墟化した別荘も見られる。それに、レマン湖周辺に立ち並ぶ店舗は軒並み廃墟化している。2007年4月にはレマン湖の周りの敷地の中に造園されている英国調庭園の軽井沢レイクガーデン(有料)が開園し、そのクラブハウス周辺だけがどうにか整備されている。クラブハウスの中にブラッセリーナカガワは位置するのだ」
ウィキペディアによると、あさま山荘事件は1972年(昭和47年)2月19日~2月28日にかけて、軽井沢町にある河合楽器製作所の保養所(浅間山荘)で連合赤軍が人質をとって立てこもった事件。
この山荘は現在の軽井沢レイクニュータウン内にある。私は事件そのものは承知しているが、レイクニュータウン内にあったことは知らなかった。スキーバス転落事件現場に加えてあさま山荘事件。今回の旅行で2つ目の歴史的事実に直面したことになる。