【柿の木物語】『桃栗3年柿8年』には「続き」があった!=「後家1年」「亭主の不作はこれまた一生」などと
■柿の木はどこの家にも1本か2本はあった
子どもの頃には中山間地域の兵庫県丹波市の生家には5~6本の柿の木が植わっていた。田舎ならどこの家にも1本か2本の柿の木があり、実りの秋になると、たわわに実り、小腹が空くともいでよく食べたものだ。
昔は柿を収穫する先が割れた竹の長い棒があった。竹の割れた部分に、柿の枝を下からすくうように入れて、手をクルリとねじることで、柿を簡単に取ることができる。柿取り棒というか竹ばさみのようなものだ。呼び名は地域によって異なる。
先人の知恵とはなかなか素晴らしいものである。最近では手動の高枝切りバサミ(マキタ)などが活躍しているようだ。柿の木は意外ともろく、ポキンと折れることがある。まだ小さかった頃は木に登ってもいでいたが、最近はやはりそれは難しい。
■自宅を建てた東京の裏にも柿の木
兵庫県から東京に出てきて家庭を持ったのは1975年(昭和50年)だった。昔の田舎のことが忘れられなくて、東京でも家を建てた1995年頃に裏庭に柿の木を植えた。どういう経緯で植えたのかは忘れた。
このブログを始めたのは2005年12月ごろだが、柿が初めて登場するのは2010年10月31日。「今年も柿を収穫した。実った7個のうちまだ青い2個を除いて5個をもいだ」と書いている。
2011年も11月3日に収穫。次いで2014年11月24日。柿の木が上に大きくなっていったので、途中で芯を摘んだ。そうしたら、横に伸びるようになった。14年は横に伸びた枝にたくさんの柿が鈴なりになっている。「セロリとレーズンと一緒に柿を入れ、マヨネーズであえたらちょっとしたサラダになった。これもなかなかいける」と書いている。
■『桃栗3年柿8年』には続きも
『桃栗3年柿8年』ということわざがある。みんなのライフハック「@DIME」によると、これは単に実を付ける年月を表すものではなく、「人が技術や知恵を身に付けようとしても一朝一夕に実現できるものではなく、長い年月をかけることが必要だ」という意味を持っているらしい。
「そのために目標に対して努力しているとき、すぐに目に見える結果が出ないからと諦めそうになった人を励ます意味合いで使われることもある」という。
『桃栗3年柿8年』は「桃や栗は植えてから3年たたないと実を結ばず、柿にいたっては8年もの歳月が必要になるのだ」ということを表しており、これが転じて「簡単には1人前にはなれず、ひとかどの人物になるには努力が必要だ」という意味合いで使われるようになった。
この『桃栗3年柿8年』には実は「続き」が存在するのだという。この「続き」は地域によっても異なり違う形で語り継がれている。『桃栗3年柿8年』という出だしは有名であり、かつ共通しているが、続きはさまざまな文言があるという。
・桃栗3年柿8年 柚子(ゆず)の大馬鹿18年
・桃栗3年柿8年 梨の馬鹿目が18年
・桃栗3年柿8年 梅は酸い酸い13年 梨はゆるゆる15年 柚子の大馬鹿18年 みかんのマヌケは20年
■「続き」には果物以外も登場
この「続き」には果物以外のものも登場してくるそうな。
・桃栗3年柿8年 女房の不作は60年 亭主の不作はこれまた一生
「亭主を亡くした女性が悲しみに暮れているのはほんのわずかな期間で、すぐにまた新しい亭主を見つけるものだ」と言うことを揶揄する言葉も伝えられている。
・桃栗3年後家1年
■熟柿が大好きなおじいさんにプレゼント!
あんまりおいしいそうだったのでご近所さんにお裾分けした。ところがいざ上げようと裏側を見たら、へたの部分に蟻が何匹もいたのにびっくり! スーパーなどに並んでいる柿は全部統一されたようにきれいだ。商品として作られた柿だからだ。
商品としてではなく、手も何も加えずに自然に実った柿はやはり素人が作った柿である。意外なところに落とし穴がある。へたを取って食べてもらうしかない。
収穫してしばらく置いていたら熟柿(じゅくし)になった。食べられない部分を切り取り、スプーンで掬って食べるとそれなりにおいしい。それを近所さんに差し上げたら「90歳のおじいちゃんは熟柿が大好き。とてもおいしかっと喜んでいました」との返事が返ってきた。
捨ててしまおうと思っていたので良かった。どんなものでも、それを必要としている人はいるものだ。それを見極めることはよほど時間がないと難しい。やはり人間はのんびりする時間が必要かもしれない。