【東京漫歩】セールでカバンと靴をゲットした後浅草の人混みをのんびり歩くのどかな一日
■「エース」のセールに行く
11月27日(土)も関東地方はよく晴れた快晴だったが、北風が強かったのが難点だった。そんなことはどうでもいい。久しぶりに8時に起床し、10時にはバッグメーカー「エース」(本社・東京都渋谷区)のファミリーセールに出掛けた。会場はいつものように台東区の東京都立産業貿易センター台東館。
セールに行くのはジャケットや革製品などの衣類とカバン・靴などのバッグ類の2種類。良いものが手軽な値段でゲットできる。そう言えば、大体今着ているものはほとんどがセールで調達している。
今回は結局エースのショルダーバッグ「ultima TOKYO」と靴を一足買い求めた。バッグは必要最低限の荷物の持ち歩きに最適なもので気に入った。靴も履きやすく靴擦れのしにくいものだった。
ブランドの「ultima TOKYO」(ウルティマトーキョー)は世界のファッションや流行、文化など時代の今を貪欲に吸収し、TOKYOという感性のフィルターを通すことで、高感度で洗練されたデザインのカバンを提案している。
一方、ビジネスシューズを作っているのは株式会社スタート(本社・東京都練馬区平和台)。同社は1981年以降安心して履きやすい靴をリーズナブルに提供することをスローガンに企画・開発を行っている。
買ったのはClub Walkers-mateだった。
■上野精養軒で1000円のランチを
会計を済ませたらちょうど午後零時すぎ。セールは意外と商品選びにエネルギーを費やし、お腹がすくものだ。台東館は8階に上野精養軒浅草店が入っている。日替わりランチがあって、コーヒー(紅茶)とミニデザートが付いてきて税込1000円とお安いので、外で食べるよりも意外とお手軽かもしれない。
きちんとランチを食べたい人にはビーフシチューや牛ロースステーキもたのめる。コーヒーはセルフサービスで取りに行く必要があるが、そんなことに気にならない向きにはお勧めの店だ。
精養軒と言えば、三条実美、岩倉具視の支援を受け明治5年(1872年)4月創業の西洋料理の草分け的存在だ。明治9年(1876年)に支店として「上野精養軒」を開業した。
上野精養軒(台東区上野公園)は内外王侯・名士たちが馬車で駆けつけ、鹿鳴館時代の華やかな文明開化の一翼を担う会場として栄え、西洋料理も文明開化のシンボルとして広く受け入れられた。
そんな精養軒の料理を支店とはいえ、わずか1000円でいただけるのは光栄と言わずして何と言うべきか。ちょっと大げさだが、広い会場でミックスフライを食べた。予想以上に美味なり。
■浅草寺にお参りを!
浅草(あさくさ)と言えば浅草寺(せんそうじ)である。しかも台東館と浅草寺は目と鼻の近さだ。近くまで行って寄らないのは申し訳ない。というわけで浅草に来たついでに浅草寺にも参った。ちなみに浅草は台東区の町名。かつて現在の台東区のほぼ東半分で、同区ができるまでは浅草区と呼ばれていた。
天気もよく、日陰に入ると少し寒いが、日だまりだと結構暖かい。これまでもセールなどを含め何度も来ているが、久しぶりにぶらぶら歩きを楽しんだ。
浅草は浅草寺の門前町である。西部の武蔵野が草深い土地であるのに対し、東部の浅草は草が浅い土地柄ゆえ、浅草の名前が付いたともいわれている。下町情緒を感じさせる浅草は東京観光の一大メッカで、外国人にも一番の人気エリアでもある。
浅草寺はその浅草の中心に位置する。浅草寺の繁栄が人を呼び、隅田川を通じた海運が物産を集め、市街地が形成されていった。ウィキペディアによると、浅草寺以北の浅草地域(裏浅草、奥浅草)には多くの中小の工場や日雇い街、吉原跡には現在でも大規模なソープランド街が立地しており、浅草地域は様々な意味合いで下町らしさが色濃いエリアである。
■上野に宿泊しロックに出没した受験生
若かった頃は浅草にも”憧れ”みたいなものがあった。どうも雑草的なもの、ゴミゴミしたものに引かれる性質があるようだ。大学受験で関西から東京に来たとき、泊まったホテルは法華クラブだった。ホテルは上野の不忍池にそばにあった。
約50年ぶりにネットで法華クラブを引いてみると、まだそのホテルはあった。株式会社法華倶楽部(東京都中央区日本橋小網町)が運営するビジネスホテルチェーンだ。
大正9年(1920)に京都で生まれた「日本最初のビジネスホテル」(公式サイト)だという。京都にもあり、関西在住の受験生が宿泊するには問題ないと判断されたのだろう。
ウィキペディアによると、ホテルは宿泊特化型のビジネスホテルで、全国18店舗を展開。地産地消の朝食バイキングを提供。法華倶楽部は現在、「法華クラブ」ブランドのほか、2012年(平成24)からハイグレードタイプのビジネスホテル「アルモントホテル」を展開している。
まだ若かれし受験生は試験の合間に息抜きと称して「浅草六区」(ロック)に歩き回った記憶がある。長かった田舎暮らしに愛想が付いていたのかもしれない。ゴミゴミした大都会に憧れていたのだろう。ロック周辺に出没し都会の夜の空気をかぎ回った。
自分にはその頃の臭いが今も残っている。あんまりハイカラなものには魅力を感じないのだ。雑食的なものばかりに吸い寄せられるのだ。70歳を過ぎた時点で自分の人生を眺めてみれば、そんな昔の自分が今も残っているように感じてならない。