【1日ドライブ】「墓参」「桜見物」「相模湖散策」と動き回り、最後は”都会のオアシス”『美しの湯』に浸かった好日かな
■墓参は気持ち
今年も家内の両親の墓参に「八王子霊園」(東京都八王子市)にやってきた。大したことをするわけではない。花を供え、線香を上げ、最後に手を合わせる。今年はお菓子も供えた。私は「南無阿弥陀仏」だが、家人は別の念仏を唱えていた。人変われば物事変わる。
ただお菓子は置いとくわけにはいかない。残していってもせいぜい10分、15分だ。そのままにしていたら、カラスや他の害獣がくわえて食べてしまうのは必定だ。
そう言えば、前日、大阪に住む2男からLINEがあって兵庫県の実家にある「お墓の掃除をしてきました」とのこと。家人の先祖の墓ばかり掃除しにいって、「田舎の墓はどうなっているの?」との声が聞こえてきそうだ。
兵庫県では「ちょっとお墓参りに」というわけにはいかない。やはり近くに住んでいることが重要だ。2男は大阪住まい。隣県だがそれでも2時間くらいはかかる。ガソリン代もかかる。「掃除しなくちゃ」という気持ちがなければ、たとえお墓参りでも、簡単に出掛ける気にもならない。
先祖を敬う気持ちがあって初めて、それじゃということになるのだ。有り難いものだ。ツインの娘を連れてって、ツインは「タケノコ狩りに夢中だった」という。そういうものが無ければ、一緒に来ることはなかったのかもしれない。
兵庫県丹波市の山裾にあるお墓は個人の墓だ。田舎でも共同墓地が普通で、個人で墓を持っている家はそんなにない。しかし共同でないということは誰かが墓参に来ない限り、誰からも見捨てられたような存在だ。めったに来る人もいない。そんな寂しいお墓に眠るのは嫌だと思う人が現れても不思議ではない。
■ギョイコウを見て幸せ
墓参を済ませてやってきたのは多摩森林科学園(八王子市元八王子町)。今年は昨年より1日早い4月19日だった。案の上、八重桜こそまだ見頃だったが、大半の桜は散っていた。
それでもウコンもギョイコウも眺められた。どちらも開花時期は関東地方はソメイヨシノより遅い4月中旬頃。しかしウコンとギョイコウの区別がなかなか付かないのだ。どちらも日本の桜の中では唯一の緑系の桜。希少な緑の桜として愛されている。
開花したばかりのギョイコウの花は淡い緑色。徐々に黄色に変化してき、やがて花びらの中心部が赤く染まっていくのが特徴だという。ギョイコウ桜は、ウコン桜よりもやや小形の花。
江戸時代に、京都の仁和寺で栽培されたのが始まりだといわれており、現在は沖縄県を除く全国各地で見られるという。
「御衣」とは、貴族の着物のこと。緑色の花びらが平安時代の貴族の衣服の「萌黄色」(モエギイロ)に近いことが由来らしい。花言葉は「永遠の愛」「優美」「心の平安」「精神美」など気品のある花のイメージにぴったり。
ウコンは、オオシマザクラを基に生まれた日本原産の桜。ウィキペディアによると、名前はショウガ科のウコンの根を染料に用いた鬱金色に由来する。別名は「浅黄」。
■花より団子
やはりお昼はみんなと一緒のほうがいい。というわけで結局、サクラ保存林の奥にある関山の桟敷席でお昼をいただいた。小豆ご飯(赤飯)と筍入りのまぜご飯。科学園の入り口に地元の和菓子屋「有喜堂」(八王子市高尾)が売店を出張していた。
手作り桜もちやだんごも売っていた。販売していることを当てにして何も仕入れずに桜見物にきた。裕福な人は自宅で前もって作ってくるのだという。具材などが必要で、むしろ高くつくという。店で無駄なお金を使うのは貧乏人らしい。
食後の手作り桜もちは実にうまかった。本物の桜葉に食塩が浸してあり、中は北海道の小豆あん。お餅の上に桜花がそっと添えられている。これをパクッとやると、一気に平安の昔に立ち戻ったような気分になるのだ。
もう1つ食べたいところだが、うまいものは我慢が必要。我慢してみたらしだんごにした。桜花を愛でながら、桜餅をいただく。こんなぜいたくはなかなかできない。ウクライナの人にも食べさせてやりたい。どうやら花より団子のようである。
■相模湖を「観光」
サクラ保存林で3時間のんびりしてもまだ午後2時。しかし高尾山に登るには遅すぎる。そこで「相模湖」に行ってみようとなった。相模湖は観光地だが、かといって観光のために行った記憶はない。
昔高尾山に登って相模湖に下りたこともあったが、その時はけが人を負ぶってのことで、観光どころではなかった。石老山に登ったこともある。しかし、町内を観光したことはない。観光しない「観光」で訪れる町だ。
高尾山から国道20号線をジグザグしながら行くと20分ほどで相模湖に着いた。地下駐車場に車を止めて湖畔周辺を散策した。桜も終わり平日とあって湖畔は閑散としていた。
相模湖は相模川を相模ダムによってせき止めて作った人造湖。横浜市、川崎市、相模原市などへの上水道、京浜工業地帯への工業用水が提供されている。
戦後にできたダム湖としては日本初(ダム完成は1947年)で、人造湖に命名した最初の例だという。
湖には遊覧船が就航している。手漕ぎや足漕ぎなどがたくさん客待ちしていたが、観光客の数はほとんど見掛けず。閑古鳥が鳴いていた。どこの観光地も同じで、平日は寂しいものだ。
ブラックバス釣りの名所として名高い。ウィキペディアによると、1950年には既に生息していたらしいが、正式な放流ではないため年代の特定は難しいという。
周辺地域では生活排水が長年にわたり流入して湖水が富栄養化現象が発生。夏場には湖面が大量のアオコ(水面が緑色の粉をまいたようになる現象=水中の植物プランクトン=ラン藻あるいはシアノバクテリア=が大量に増殖したもの)に覆われるなどして水質悪化が指摘されていた。
このため神奈川県は1988年度にエアレーション(間欠式空気揚水筒)装置を1基設置し、アオコ抑制効果が見られたため、現在は合計8基で水質浄化に努めている。
湖は、夏場に表面が太陽に暖められ、アオコが繁殖しやすい温度となり大発生を繰り返していた。しかし湖の底は温度が低く、この水をかく拌し、表面の温度を下げれば大発生を防ぐことができる。
エアレーション装置は、この原理を応用し湖に揚水筒という筒をたて、筒の底から空気を注入することで大きな泡を作り、この泡と一緒に底の冷たい水を湖の表面に運ぶことで、アオコが大発生しにくい環境を作っている。
こちらが立てば(ダム造成で生活環境が改善)、あちらが立たず(ダムが造成された結果アオコが大発生)というわけだ。いたちごっこである。
■都会のオアシス「美しの湯」
行きは関越道⇒圏央道と高速を走り八王子西インターで下りた。1時間たらずに八王子霊園に着いた。帰りはそうはいかない。節約して一般道を走ることにした。相模湖から国道20号をひた走ること1時間30分。ようやく環8にたどり着いた。
そうすると、見えてきたのが高井戸天然温泉「美しの湯」(ナフスポーツ経営、東京都杉並区)の大きなネオンサイン。ナフスポーツが1970年から運営している温浴施設だ。まるで吸い込まれるように入った。入ったら150台収容の広い駐車場があった。同社はフィットネスクラブも経営している。
帰省したり地方に旅をして時は結構中央高速も利用する。高井戸で下りて環8を走り練馬の自宅に戻る。いつも車の中から、京王井の頭線「高井戸駅」のすぐ裏手にある「美しの湯」のネオンを眺めていたが、都会の一角にある温泉くらいの頭しかなかった。
それがどうしたことか、今回初めて利用してびっくりした。確かに施設は古いが、古いなりにきちんとメンテされ、「都会のオアシス」と謳うだけの価値があると思った。
まず温泉の質がいい。地下1600mから湧出する琥珀色の天然温泉で身も心も癒やしてくれるのだ。泉質はナトリウム一塩化物強塩温泉(高張性・弱アルカリ性・温泉)。
露天風呂も自然の樹林に囲まれた本格派。1つ新しいものがあるとすれば、絹の湯と炭酸泉。炭酸泉はいまやどこでもあるが、絹の湯はマイクロバブルがお肌の潤いを蘇らせ、大量のホワイトイオンが心と体を癒やすのだ。この2つは週ごとに入れ替わり、この日は絹の湯だった。のんびりたっぷり浸かって幸せだった。
お食事処も昔ながらだが、利用者の気持ちを汲んでいる。単品でアジフライ(キャベツ付き)もあって好きな私にとってご飯とミソ汁を追加で注文し、あじフライ定食にしていただいた。もうたまりません。
いまやいろんな機械がデジタル化され、身近なコンビニも電子機器が顔を利かせている。昔は店員が忙しく金勘定をやっていたが、今は操作するのは客のほうだ。お金を入れ、OKボタンを押さなければ次に進まない。
その間、店員は客の「おじさん、おせえなあ」と突っ立っているだけ。何やら店員と客の関係が完全に逆転してしまった。金勘定も機械がやるのでどちらも勘定さえしない。機械が間違えるはずがないと思っているのだ。
そういうご時世である。「美しの湯」は人口は多いものの、デジタル化に対応できず今や行き場所を失いつつある高齢者には打って付けの場所ではないか。道路側のマンションの1階はスーパー「オオゼキ」で、駐車場は温浴施設と共用である。
温泉→食事→買い物→寝るというのが定番だという客がどうも多そう。ジムもあるので使いようによっては便利このうえない。結構若い人も多い。高井戸エリアのシンボル的生活空間のような気がしてきた。