【グルメ】リュードヴァン自社農園産ワインを味わいつつ軽井沢プリンスホテルの創作会席料理を楽しむ夜

 

右から2番目が多分、ソーヴィニヨン・ブラン(白)

 

シャルドネ(白)

 

ドゥー・ローブ・ヴィオレット(赤)

 

 

デザートワインのヴァンドゥーココ

 

■軽井沢ワイン倶楽部の6月例会は千曲川ワインバレー

 

今年も軽井沢の友人の別荘に行った。昨年に続いて2度目。名目は軽井沢プリンスホテルが主催する「軽井沢ワイン倶楽部」に参加するため。同ホテルのソムリエとシェフが奏でる厳選したワインと旬の味覚をディナーとともに味わえるのだ。

6月は千曲川ワインバレーのワインと和食料理長のスペシャリテ(創作会席料理)だった。いつもはプリンスホテルのフラグシップ「ザ・プリンス軽井沢」のダイニングルーム「ボーセジュール」で行われるが、この日は創作会席料理とあって日本料理「からまつ」で開催された。

 

■荒廃したリンゴ畑を開墾しぶどうを定植

 

軽井沢ワイン倶楽部には株式会社のワイナリー「リュードヴァン」(フランス語でワイン通りの意味、長野県東御市)の小山英明社長が説明役を務めた。

小山氏は1967年12月東京生まれの54歳。大学卒業後は電気メーカーでシステム開発の仕事に従事したのち1998年に山梨県のワイナリーに転職した。

2003年に長野県のワイナリーに醸造責任者としてワイン造りを始め、2006年、長野県東御市に移住。荒廃し雑木林と化したかつてのリンゴ畑を開墾しぶどうを植え、栽培を始めた。(十二平地区)

2008年に株式会社リュードヴァンを設立。10年にワイナリーを完成させた。20年御堂地区に5.3haの圃場を確保。ソーヴィニヨン・ブランとピノ・グリを定植。

2022年作付け面積の合計は約12ha。7月には御堂地区に新しいワイナリーの建設を予定している。

 

■ワイン文化への憧れ

 

小山氏がこの世界に入ったのは「ワインと共にある暮らし」への憧れだった。しかし、本場とのあまりの違いに途方に暮れることも多く、2006年より東御の地で活動を始めた。

小山氏は「日本には100数十年のワイン造りの歴史があるが、人々の暮らしの中に溶け込んだ文化レベルでのワインが存在しない」のが実情だ。一部の例外を除き、そのほとんどが食用として生産されたぶどうの規格外のものが使用されているという。

昨今、ワイン用ぶどうを自分で育て、自前のワイナリーを作る人が多くなってきているものの、その事業規模は小さく、当然「地域産業」と言えるようなものとはほど遠く、ぶどうの栽培地域と異なる地域で醸造が行われたり、輸入ワインや輸入濃色果汁を原料として利用したものが多く存在している。

ワイン文化のある国では食品偽装と見なされるような行為も、日本では法に触れることもなく、また消費者の多くも疑問すら抱かない。「そもそもワイン文化のないこの国では当然ワイン造りの理念や明確なルール自体が存在しないため、仕方がない」のかもしれない。

しかし、本当の意味で「ワインと共にある暮らし」を実現するためには、地域に暮らす方達とともに、当たり前のようにぶどうを作りワインを造り、さらには消費していけることが重要だと小山氏は指摘する。

そのためにはワイン造りに必要な仕組みや消費を含めた文化、すなわち環境を作らなければならない。そしてその実現こそが私たちリュードヴァン自体が存在していける条件でもあると小山氏は言う。

「Rue de Vinにはすなわち1本の木の『ワイン通り』からそんな世界が始まりますように・・・」との思いが込められていると小山社長は6月19日に軽井沢プリンスホテルの日本料理からまつで開催された軽井沢ワイン倶楽部例会で配布されたパンフレットで力説する。

 

■ワインとともに味わった創作会席料理

 

前菜(海老せんべい、木の芽塩、蓮根唐揚げ、新ごぼう)

 

お造り(甘鯛昆布〆め 煎り酒和え カツオ玉葱醤油 いか毛作り藻塩酢立)

 

魚料理(蛤香草バター焼き、まながつお西京漬け)

 

 

揚げ物(花ズッキーニ海老真如射込み、アメリカンソース)

 

肉料理(牛ヒレ肉の10秒火入れの油霜 山山葵 土佐醤油)

 

お食事(握り寿司)

 

お椀

 

 

 

水菓子(お楽しみデザート)

 

■別荘族には別荘族の心得も必要

 

長野県北佐久郡軽井沢町は新幹線で東京から1時間ちょっとの距離にある。総人口は2万人弱。車だと練馬区の自宅から140kmほどで、せいぜい2時間程度で着く。ちょっとしたドライブだ。

友人の別荘に2泊して東京に戻ってきたら、東京はうるさい。急患を乗せて街を行き来する救急車の音が鳴り響き、湿度も高くべとべとする不快な暑さだった。

それに比べ軽井沢は何と閑静な土地か。朝散歩をしていたら、「ホーホケキョ」とウグイスが鳴いた。また今回泊まったときはかなり高い樅の木の上からカエルのような鳴き声が聞こえてくる。ニホンアマガエルか。

東京なら6月はもうかなりじめじめした暑さの日も少なくない。軽井沢はそれとはまるで正反対だ。夕方近くになるともうかなり肌寒い。正直言って震えるくらい寒いときもある。軽井沢の天候に慣れない私はTシャツ1枚だった。昼間はそれでよくても、夕方になると、それでは寒いのだ。

それなのに友人宅は20度くらいにならないと暖房はたかない。暖房はたかないものの、1枚上着を羽織っている。そのためにフリースを着ている。着る物からして軽井沢スタイル。たまに冷涼地に来る人はTシャツ1枚。防寒対策ができていないのだ。

照明も間接照明で実は屋内は暗い。それでもなかなか照明を付けてくれない。私は寒がりやのうえ、むしろ明るいほうを好む。とんでもないところにやってきたと最初は思った。それが実感だった。

食事前にテーブルの前で1人震えていた。本当に震えていた。それに比べ友人はどういうわけか平気のへいざである。どうやら彼らには軽井沢に住む基本的な防寒対策ができているようなのである。

彼らの軽井沢別荘暮らしは去年から。完成したのは昨年2月頃。普段は名古屋住まいだ。軽井沢に来るのは冬を除く4月から11月頃までと決めている。

軽井沢の冬はそれなりに降雪があるが、別荘地なので、舗装されていない道も多く、結構除雪対策が必要になる。公道なら行政が除雪してくれるにしても、問題は別荘管理地ではない私道。この場合、基本的に除雪車がこないのだ。

雪が積もれば自分で雪かきをしなければならない。友人宅は家の前の庭の雪を除雪しなければならなかった。加えて奥まった隣の別荘地の住民は公道までの道を除雪する除雪車を自前で持っているという。

軽井沢は標高900~1000m。浅間山(2568m)の南東斜面に広がる高原である。

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