【初詣】願い叶って深川の「富岡八幡宮」に参拝、勢いはむしろ同じ町内の「深川不動堂」に

 

深川門仲周辺地図(江東区の公式観光情報サイト「江東区おでかけ情報局」)

 

■75歳にして初の「富岡八幡宮」初詣

 

時代小説が好きで、辻堂魁の「風の市兵衛」シリーズ(既刊31巻)をよく読んでいる。算盤を片手に生計を立てる飄々とした渡り用人ながら、「風の剣」でか弱き者たちのために一途に戦う唐木市兵衛が主人公だ。

また原作者の池波正太郎氏が故人となったため新作は作れなくなったものの、火付盗賊改方長官である長谷川平蔵を中心とした「鬼平犯科帳」シリーズも好きである。

それらの時代物によく登場してくる地名が「深川」だ。今はないが、「深川区」は東京府東京市時代(1878年から1947年まで)にかつて存在した。現在の江東区の北西部に位置する。

江戸と言えば、新宿もまだ「内藤新宿」と呼ばれ、今日のように繁華を極めるのはまだ200年も300年も後のことで練馬などその地名すらなかった。

江戸の中心は江戸城から東側に開けていた。唐津市兵衛が活躍するのも江戸城から東の地域なのだ。その地の匂いを嗅いでみたい。

 

富岡八幡宮

 

■深川は「イタリアのベニス」

 

当時の江戸は隅田川を挟んで発展した街で、江戸の水郷と言ってよく、掘り割りが縦横に巡っていて、「イタリアのベニスに匹敵する」という人もあったらしい。

江戸時代の山の手が江戸城だとすれば、日本橋から隅田川を挟んだ東側は庶民の住む文字通り下町である。その下町の中心がどうやら深川らしい。

東京の中でも埼玉寄りの新興開拓地である練馬区に現在する自分にとっては江戸時代に最も栄えた拠点があった深川は憧れの地なのだ。

75歳になんなんとする身で初めて訪問するというのは恐縮だが、本によく出てくる深川の「富岡八幡宮」(東京都江東区富岡1)に詣でたいと思っていた。

 

■2017年には宮司殺害事件も

 

ウィキペディアによると、富岡八幡宮は、東京都江東区富岡にある八幡神社。江戸最大の八幡宮で、8月に行われる祭礼「深川八幡祭り」は江戸3大祭りの1つといわれる。

「この神社の3年に一度の本祭りは、夏祭りにふさわしく神輿に水をかけながら練り歩くので、『水かけ祭り』の名もある」という。

また江戸勧進相撲発祥の神社で、境内には「横綱力士碑」、「力持碑」など大相撲ゆかりの石碑が多数建立されているほか、「木場角乗碑」(きばかくのりひ)といった深川にまつわる石碑などがある。

創建は寛永4年(1627年)。菅原道真の末裔といわれる長盛法印が神託により、当時永代島と呼ばれた小島に建立したのが始まりとされる。

八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた。長盛法師は同じ地に別当寺院として永代寺も建立したが、神社分離令によって廃寺となった。現在の永代寺は、1896年に旧永代寺の塔頭・吉祥院が名前を引き継いだものだといわれる。

 

■富岡八幡宮が願う”風化”

 

歴史が約400年もあり、徳川将軍家の尊崇も受け、江戸市民の寵愛も拝した寺社ではあったものの、人間の欲望は神社だからと言って例外ではない。とりわけ権力に関わってくると欲望は何とも血塗られどす黒くなるものだ。

2017年12月7日、第21代宮司(第20代宮司の実姉)とその運転手が、第20代宮司(第21代宮司の実弟)と妻に日本刀で切られ死亡する事件が起きた。実弟は妻を殺害した上自殺した。

殺害の動機は宮司の地位継承を巡る怨恨トラブルとみられるが、被疑者死亡により不起訴となった。

事件の2日後の責任役員会で、ナンバー2である権宮司が宮司代理を務めることが決定された。事件に関する神社側の説明は行われていない。時間の風化にさらされ、いつの間にか忘れ去られることを願っているとしか思えない。

神社の仕事は家内安全・社運隆盛・厄除けなど。そんな神聖な寺務を行っている場所で、よりによって神社の前トップが現トップを殺害するというおどろおどろしい事件を起こすというのは前代未聞である。

神社トップを自分の息子に継がせたい男の逆恨みか。正義が自分にあれば自殺する必要はない。富岡八幡宮の権威は落ちたものだが、それでも表面上何事もなかったかのように推移するのは権威に寄りかかっている人がいかに多いかということだろう。

 

こちらのほうが賑わっていそうな成田山別院深川不動堂

 

■深川不動堂は成田山の東京別院

 

八幡宮からさほど離れていない同じ富岡1丁目に位置するのが深川不動堂。千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院である。

真言宗智山派の大本山のひとつで、弘法大師空海が敬刻開眼した不動明王を本尊としている。総本山は智積院(京都市東山区東山七条)。

全国各地の不動尊信仰を支える「成田山」は東京別院のほか、川越別院(成田山本行院)、札幌別院(成田山新栄寺)、横浜別院(成田山延命院)、函館別院(成田山函館寺)、大阪別院(成田山明王院)、名古屋別院(成田山大聖寺)、福井別院(成田山九頭龍寺)がある。

成田山は不動尊信仰のデパートみたいなものだが、それにしても全国に8つも別院があるのには驚いた。そう言えば大阪別院は2男の家から10分くらいの寝屋川市にあった。あまりにも大きいのでびっくりしたのを覚えている。

深川不動堂の始まりは1703年(元禄16年)に成田不動の出開帳が富岡八幡の別当永代寺で開かれたこと。出開帳は安政3年(1856年)まで12回行われ、このうち11回が深川永代寺で開催された。

永代寺は明治維新後の神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となった。明治11年(1878年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが認められた。

「門前仲町」という地名は「永代寺の門前町」という意味だという。

不動堂と八幡宮の両方を参拝した日は7日(土)だったが、参拝客は不動堂のほうが多かった。事件の影響が今も響いているのかもしれない。

 

参道入口にある「深川伊勢屋」は今日も長い行列ができていた

 

みたらし団子と海苔団子がたまらない

 

■深川伊勢屋でお土産を買う楽しみも

 

深川に行く楽しみの1つは富岡八幡宮参拝だったが、もう一つの楽しみは深川不動尊(不動堂)の参道入口にある深川伊勢屋のだんごを買うことだった。練馬にも西武線富士見台駅近くに富士見台店があり、普段はそこを利用しているが、本店が深川にあり一度行ってみたいと思っていた。

明治40年創業の老舗和菓子店。昔から深川不動尊の参拝者の休憩処として愛されてきた。深川土産として大福やみたらし団子は喜ばれている。

昔は歩いての参拝が多かったのでおにぎりや惣菜なども販売されており、とにかく和菓子以外にもお弁当や惣菜も含め色んなものが販売されておりびっくりするほど賑わっている。

問題は大福や団子は日持ちがしないこと。せいせい2日以内に食べないといけない。大人気商品のあん団子は国産の上新粉にこだわり、あんに使うのは北海道産の小豆とすっきりした甘さのザラメ糖。口の中にとろける甘さがたまらない。

 

深川めし

 

■ついでに「深川めし」もいただいた

 

ちょっと見逃しそうなのが深川伊勢屋さんのお店の左側にある食事処。ここも伊勢屋さんの経営だという。あさりで有名な深川めしも食べられるという。

1つの丼で2通りのあさりめしを楽しめる。まずはそのまま「炊き込み」で食べ、途中からはお好みに合わせて日本茶か味噌汁をかけて「ぶっかけ」にする。

1200円。そんなに上品な料理ではないが、深川に来た以上、深川めし(あさりめし)以外に食べるものはない(本当は何でもあるが)。ということで伊勢屋さんで安直に食べてしまった。

江戸時代に漁師の街として栄えた深川のあさりやはまぐりなどの貝類を煮込み汁と一緒にご飯にぶっかけたり炊き込んだりした郷土料理である。

それぞれ魅力あふれる深川めしだが、どうせ食べるならやはり銘店がいいかも。『膳処てんぷら片山』、『割烹みや古』、『下町食楽酒房深川いちばん星』、『深川一穂』などがある。

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