【北関東ドライブ】アクセス良好の埼玉・川越になぜうなぎ屋が多いのかは水のきれいな河川に加え蒲焼のタレに使う醤油蔵があったことも大きい

これがうなぎ屋「ぽんぽこ亭」

 

■川越「ぽんぽこ亭」に行く

 

埼玉県川越市においしいうなぎ屋(ウナギ屋、鰻屋)があると聞いて敬老の日(9月18日)にやってきた。その店は「ぽんぽこ亭」(藤間151-7)。

2014年6月28日からTBS系列で放送されているグルメバラエティー番組「バナナマンのせっかくグルメ」で放映されたこともあるという。仕入れた情報はそれなりに尊重し、自分で検証しないと収まらない性格なので、結局、実際に自分が現場でうなぎをいただくことにした。

川越市街からは少し離れ、東武東上線新河岸駅から徒歩10分(790m)。最初、電車で行こうとしたが、市街地から外れていたので断念し、車で行った。

川越街道沿いにあり、よく行く埼玉スポーツセンター(所沢市)の10キロほど先である。45台も駐められる駐車場もあり、電車よりも車のほうが便利な場所だった。

敬老の日はこどもたちから声が掛かるのを待つこともあるが、老人も自立しないと老け込むばかりである。自分から喜びを「取りにいく」必要もある。敬老の日を自分たちで祝うようなものだ。

 

ふっくらととろけるような・・・

 

■うなぎ蒲焼きの上に山椒を振りかけて

 

私は張りこんで「特上うな重」(新香・吸物付き、税込5775円)を頼んだが、大きくて下のご飯がほとんど見えなかった。ふっくらした蒲焼きはとろけそうだった。家人は半身ほどの「うな重」(3410円)。照る焼にした半身の蒲焼きがご飯の上に乗っている。

蒲焼きの上に山椒を振りかけていただく。それも単なるパウダー(粉末)ではなく、乾燥した山椒の粒をミルに入れて、それをすりつぶした山椒を振りかけると想像以上に美味しくなる。「山椒は小粒でも、ピリリと辛い」。痺れるような刺激的な香りを持つスパイスだ。

今年の米WBC日本代表の一員として出場したラーズ・ヌートバー外野手(カージナルス)が「ペッパーグラインダー」で一躍有名になったパフォーマンス。こちらはミルに胡椒を入れてゴシゴシ回すのだ。

ペッパーミルパフォーマンスには「小さいことからコツコツ継続して進んでいけば、良いことが起きる」という意味が込められているという。自身がヒットやホームランを打つとペッパーミルで胡椒を挽くようなポーズをする。それに呼応してベンチの複数の選手が同じポーズで返礼するみたいなやり取りだ。

今やすっかりこのパフォーマンスが日本に定着してしまったようだ。いずれにしても、アスリートは成績次第。活躍しているうちはパフォーマンスもいいだろうが、成績が下がると、その効果も低下するのは仕方ない。賞味期間があるというわけだ。さてこのペッパーミルパフォーマンスはいつまで続くのだろうか。

 

 

目の前で焼き上がり状況を観察できるぽんぽこ亭

 

■ガマの穂に似ているから「蒲焼」

 

ぽんぽこ亭のうなぎは国産のうなぎ(この日は鹿児島産)を使用し、備長炭を用いて焼き上げるのがカウンター席ごしから見ることができる。

「おいしいものを手頃な価格で、お腹がぽんぽこになるくらい食べて欲しい、というのが店名の由来」(東武沿線おでかけ情報)だという。注文を受けてから蒸し、蜂蜜を使った香ばしいタレで焼くのがぽんぽ亭流らしい。

うなぎの価格設定は難しい。高いところは高い。要はいかに高いものをそれほど高くはないように思わせるか。美味しくないと客はこない。リピーターが来ないと店は干上がる。リーズナブルな価格設定は難しい。

 

蒲(ガマ)の穂(大五うなぎ工房本店HP)

 

うなぎ通販専門店「大五うなぎ工房本店」によると、蒲焼きという名前の由来は、うなぎのぶつ切りを串に刺して焼く様子が、蒲(がま)の穂に似ていることから『がま焼き』→『かば焼き』に転じたというのが定説だといわれている。

 

うなぎ「小川菊」

 

うなぎ「林屋」

 

うなぎ「深井屋」

 

うなぎ「傳米」

 

うなぎ「いも重」

 

■川越にうなぎ屋が多いのは周辺の河川で天然のうなぎが採れたため

 

川越大師「喜多院」前の駐車場に車を駐めて中心部に歩いて向かった。市内最大の観光スポット「時の鐘」(幸町北部)まで徒歩で15分程度か。それにしても通りのあちこちに「うなぎ屋」の暖簾がかかっている。

うなぎはさっきぽんぽこ亭で腹いっぱい食べてきたばかり。なぜこんなにうなぎ屋が多いのか。川越が「さつまいも」で有名なのは知っていたが、うなぎも名物なのとは知らなかった。

江戸時代は牛や豚などを食べるのを禁じられており、人々のタンパク源は魚や豆類だった。川越周辺は「新河岸川」の整備により江戸までの舟運の起点となって農産物や織物などが集まり、商業都市として発展。「入間川」や「荒川」などが多くの文人墨客を運んだ。

これら河川は江戸へ住民を運ぶとともに、周辺住民には川魚を提供した。河川はまだ水もきれいで、天然のうなぎがよく採れた。そう言えば、自分の郷里(兵庫県丹波市)でも自宅近くの小さな川でうなぎをとるのが趣味な人がいたことを思い出した。まだうなぎがいたということだ。

「さらに川越にあったのは醤油倉。その特産品である醤油を使った秘伝のタレによりうなぎの蒲焼が普及した」(アイエー住宅販売ブログ)ともいわれている。

 

■醤油生産量トップは千葉県

 

今や出荷量では全国26位の埼玉だが、松本醤油商店は江戸時代から続く川越唯一の醤油蔵。天保元年(1830年)に建造された「天保蔵」では1年仕込み濃い口醤油や2年熟成の甘露醤油などの「はつかり醤油」を醸造している。

どこの家でも自宅で醤油やお酒を作っていた時代もあるが、今や生産量トップは千葉県。国内醤油出荷量の37.4%(2018年実績、しょうゆ情報センター)を占める国内最大の醤油産地。野田にキッコーマン、銚子にヤマサ醤油とヒゲタ醤油がある。

2位は兵庫県で、関西で定番の薄口醤油を手掛ける「ヒガシマル醤油」(兵庫県たつの市)をはじめ15.6%を占めている。2県で53%と生産量は半分以上だ。

3位は正田醤油のある群馬県、4位は盛田、イチビキ、サンビシなどを持つ愛知県、5位は木桶仕込みの醤油として有名な香川県小豆島。どの県も小なりと言えども醤油蔵はあるようだ。

 

メインストリートの「川越一番街」

 

■アクセスの良さとレトロな町の雰囲気

 

それにしても日本の中で唯一の「小江戸」として全国的に名高い埼玉県川越市。都心から電車で約1時間というアクセスの良さとレトロな町の雰囲気が最近のSNSブームもあって人気を集めている観光地だ。

江戸時代から続く蔵造りの町並みや、大正時代の建造物が多く残る地域は、訪れる人々を古き良い時代へタイプスリップさせてくれる。そのせいか、ジジババはむしろ影が薄く、とにかく若者が多い。

「映画のワンシーンを思わせる風情と、かつての面影が残る町には、この土地ならではの歴史と文化が感じられる」(TABI CHANNEL)のだが、その歴史と文化を消費している観光客の質も変わっている。

川越と江戸とは新河岸川の水運でつながっていた。それを現代は電車と自動車でつなげ、観光地としてその存在を見事に確立している。

 

 

菓子屋横丁

 

■若者が集まる菓子屋横丁

 

川越と言えば、思い出すのは「菓子屋横丁」(元町)。せいぜい数百メートル程度。約30軒程度の菓子屋などがひしめくスポットだ。

10年程前に来た時とはまた違ってかなり立派になっていた。菓子以外にアイスやレモネードなどの店が増えていた。それだけ引き付けるからだろう。素朴で昔懐かしい味を今に伝える菓子づくりの店が立ち並び、一歩足を踏み入れると、誰もが子どもに返ったような気分になってしまう。

駄菓子を知らない子どもも世代を超えて誰もがワクワクしてしまうような場所でもある。人情味あふれる横丁の情緒、威勢の良い呼び込みの声、素朴で懐かしい温かい街角は時代が変わっても人々に安らぎを与えてくれるものだ。

 

手造り飴を売る玉力製菓の店先

 

■手造り飴も

 

こちらは大正3年に創業した手造り飴の玉力製菓。黒飴やのど飴、塩飴、くるくる飴。とにかく商品は常時20種類。季節ごとのものを合わせると、年間を通じて50種類に及ぶとか。

玉力製菓は菓子屋横丁の中でも技術と伝統を残す数少ない店だ。どれもこれも手にとって口に入れたくなる。見ているだけでも飽きることのないお店だ。

店頭に立ってお客の相手をしているのは70代のおばあさん。もう歳だからといって引っ込んで油を売っているわけにはいかない。お客の相手くらいならまだまだ十分務める。川越の商店は若手のみならず、「老手」にも雇用を提供していると言えそうだ。

あずき餡の下に分厚いさつまいもの輪切りを詰め込んだおまんじゅうスタイルの「いも恋」は夏でもおいしい。アツアツの蒸したてを口に入れるとジュワッと甘みが広がってたまらない。

揚げたて芋けんぴ「川越けんぴ」も食べられる川越けんぴ工場「右門」もあなどれない。カリッと揚げた国産のさつまいもに、自家製の芋蜜をたっぷり絡めて作り上げた芋けんぴは香ばしい風味と素朴な甘さが売り物だ。食べ歩きをすることもできる。

 

 

川越のシンボル「時の鐘」(鐘つき堂)

 

同上

 

■川越のシンボルは昔も今も「時の鐘」

 

川越のシンボルである「時の鐘」(鐘つき堂、幸町)である。今から約400年前、当時の川越藩主だった酒井忠勝によって創建されたという。以来度重なる火災で鐘楼や銅鐘が焼失したが、江戸時代を通じて度々建て替えられた。

現在建っているのは4代目にあたり、明治26年(1893年)に起きた川越大火直後に再建された。町の3分の1が焼失した中で、暮らしに欠かせない「時」を告げるため、自らの店も再建していない川越の商人らによっていち早く建て直された。

鐘つき方法は機械仕掛けへと変化しても、今も昔と変わらず蔵造りの町並みに時を告げている。木造で3層のやぐらで高さは約16m。午前6時、正午、午後3時、同6時の1日4回時を告げている。

 

 

成田山川越別院

 

■川越にも成田山の別院

 

本行院は嘉永6年(1853年)に石川照温が廃寺になっていた久保町本行院を復興し創建した真言宗智山派の寺院。明治10年(1877年)に成田山新勝寺の別院となった。通称川越不動を名乗っている。

弘法大師空海が敬刻開眼した不動明王の御尊像を本尊としている成田山は不動尊信仰の中心。今日では毎年1000万人を超える参詣者を集め、節分会にはNHK大河ドラマの俳優や人気相撲力士が豆まきを行い人気を得ている。

実は成田山別院は大阪市寝屋川市にもあった。息子の孫の七五三の際訪れて知った。成田山大阪別院明王院と呼ばれている。成田山新勝寺は他に横浜、函館、名古屋、福井にも別院を持っている。

 

川越熊野神社

 

 

濃厚莓みるくかき氷(亀屋十吉)

 

■普通とちと違う濃厚莓みるくかき氷

 

「小江戸」と粋な名前で呼んでいる川越だが、9月になっても暑い。この日もとにかく暑かった。喜多院のそばの駐車場に車を駐めたが、町を3時間ほど探訪し戻ってきたら目の前の店でかき氷の立て看板が目を引いた。

普段は「亀屋妙喜庵」として、川越の和菓子の老舗「亀屋」の和菓子の販売を行っているが、季節限定で「亀屋十吉」として営業中だという。立て看板に魅入られ、こだわりのかき氷を食べた。

かき氷のド定番!と言ってもよい莓みるくのかき氷。立て看には「濃厚な自家製いちごシロップがたっぷりの贅沢かき氷。いちごのほど良い酸味とヨーグルト風味の生クリームがちょうどいい当店自慢のかき氷です」と銘打っていた。

 

川越抹茶かき氷

 

■とんでもない世界が広がるかき氷

 

こちらは川越の古くて新しい特産物「川越抹茶」を使用した抹茶みるく味のかき氷。深みのある風味が特徴の「川越抹茶」はみるくとの相性が抜群だという。

かき氷と言えば、昔夜店で食べたことを思い出す。昔ながらのハンドルを回して氷を削るかき氷機で、削った氷にはいちごやレモンの色水をかけて出来上がり。夜店だからそれなりに雰囲気があっておいしかった。

亀屋十吉のかき氷は最早異次元のかき氷と言っていい。実際に作っているのは裏の調理場なので、外からはうかがいしれない。出来上がるまで結構時間がかかった。口溶けがよく、ふわふわのかき氷。それなりにおいしく、残すこともできず食べ終わるまで30分もかかってしまった。

かき氷機で削る氷そのものがそんじょそこらにある物とは違う。専用容器で作り、面が平らな氷を作れるので、スムーズに削れる魅力もある。雪のようなきめの細かいかき氷ができるのだ。

かき氷の世界は今や技術革新が進んでいる。おすすめ人気ランキング22選によると、雪のようなきめの細かさを楽しめるものや凍らせたジュースやフルーツも削れるものも現れている。

所詮かき氷なんぞ夜店の屋台で十分だとうそぶいていた自分が驚いている。何でもバカにしていると結局、バカを見るのは自分だ。最後はやっぱり正直者が勝つというわけだ。

そんな世界の一端を亀屋十吉で味わった。高い氷を食べて、高い氷の世界を味わった。たかがかき氷、されどかき氷である。

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