【谷根千散策】春日局に導かれ麟祥院・湯島天神・根津神社の3寺社を歩き回り、「夕焼けだんだん」から見た夕陽のすばらしさを堪能した秋の好日

春日局の銅像

 

■丹波生まれの縁で

 

徳川家光の乳母であり大奥の礎を築いた「春日局」(お福)が生まれたのは兵庫県丹波市興禅寺(丹波市春日町黒井)。戦国時代に明智光秀による丹波制圧後、家臣の斎藤利三が居住した館の跡に創建された寺だ。

お福は天正7年(1579年)に館で生まれ3歳まで居住したといわれる。同じ丹波市出身であり、興禅寺が春日局の生誕地だったこともあって、お福が産湯を使った井戸や腰掛け石などが残っており、見学したこともある。

それを思い出させてくれたのが関東氷上郷友会会報「山ざる」第54号。「麟祥院」(りんしょういん)(文京区湯島)で春日局の追善供養が行われると書かれており、境内の物産店では春日局ゆかりの地の商品も販売されるという。

麟祥院は1634年に三代将軍徳川家光により春日局の菩提寺「報恩山天澤寺」として建立された。春日局は1643年、65歳で没し、「麟祥院殿仁淵了義尼大師」の法号を受けた。臨済宗妙心寺派の寺院。

後に天澤寺を改め天澤山と唱え、麟祥院と改号した。平成28年(2016年)長らく途絶えていた開基の法要を100数十年ぶりに再開。今年は没後380年で、20年後の没後400年記念行事開催に向けて動き出したようである。

 

境内を歩くと・・・

春日局のお墓

 

■ゆかりの地からの出店も

 

コロナも収束し、最近では都内でもさまざまなイベントが催され、人が集まっている。麟祥院境内は意外と広く、お福の生誕地の兵庫県丹波市観光協会のほか、お福の夫だった稲葉正勝のゆかりの地である栃木県真岡市(もおかし)からも出展していた。

また少し調べたものの、どうゆかりがあるのか分からない島根県津和野町からもお店が出ていた。地元の文京区観光協会や湯島・本郷地区町会連合会、白梅商店会なども後援していた。

びっくりしたのは道の駅「丹波おばあちゃんの里」から出展し黒大豆が販売されていたこと。昔は何度も帰省していたので「おばあちゃんの里」はよく知っている。黒大豆を買って食べた。黒豆になる直前に収穫したぜいたくな豆だ。普通の豆と味わいが丸で違うのだ。

買わなかったものの、コロナ前の2018年に東京都文京区春日に「TAMBA FU-DO東京春日店」をオープンさせた「株式会社やながわ」(本店・丹波市春日町)も黒大豆菓子やお福の里まんじゅうなどを販売していた。

 

 

■浪曲師・澤雪絵氏も「春日局」を披露

 

面白いと思ったのは浪曲師・澤雪絵氏と三味線・玉川鈴氏による浪曲が「特別講演・法要」の一環として演じられたこと。浪曲師が後ろ姿をこちらに見せ熱弁を振るっていた。

考えてみれば、75年の人生の中で浪曲を聞いたことは1度か2度あるかないか。ウィキペディアによると、「浪曲は日本で明治時代初期から始まった演芸で、『浪速節』(なにわぶし)とも言う。三味線を伴奏にして独特の節と語りで物語を進める語り芸(話術)。1つ30分ほどである」

落語、講談とともに「日本三大話芸」の1つとされ、最盛期の昭和初期には日本全国に約3000人の浪曲師がいたという。

落語は「噺す」、講談は「読む」に対し、「語る」芸能の浪曲は伝統的な叙情や鎭魂の力が備わっている半面、浪速花節的な浪曲は演歌とともに「田舎臭い」「通俗的」と軽蔑的に評されることも多い。

澤雪絵氏は岩手県盛岡市出身。奥深い芸能を衰退させてはいけないと浪曲師の道を選んだという。2006年師匠澤孝子氏へ入門。令和2年第75回文化庁芸術祭大衆部門新人賞を受賞した。

YouTubeで公開されているUスタTV「Uスタイルvol62」(2016年12月20日)で曲師(伴奏する三味線奏者)が澤雪絵氏について「本当の浪曲師らしい声というのとはまた違うんだろうが、きれいな声できれいに語るという点で新しさもあるし耳馴染みが非常に良い。有望な方だと思っている」と語っているのを見つけた。

澤氏の浪曲を同寺院の本堂で観覧するのは事前申し込みが必要だったこともあって、境内に備え付けられたビデオでしばし観賞した。

 

 

 

■焼きそば専門店「まるしょう」

 

練馬区から都営大江戸線に乗って都庁前で飯田橋方面行きに乗り換えると「本郷三丁目駅」が麟祥院の最寄り駅。本富士署の前を通って5分足らずで麟祥院にたどり付く。春日局の銅像が建っている。

それよりも早く目に入ったのが道路の対面にある焼きそば専門店「まるしょう」。専門店があるとは思ってもみなかったのでびっくりした。

一般的に焼きそば=ソース焼きそばと思われるが、まるしょうの焼きそばはソース味だけではなく、醤油味、塩味、ナポリタン味など、様々な種類の味付けで提供されている。

ほかに季節ごとに旬の食材を使用した「季節のオススメ焼きそば」もあり、常に10種類以上の焼きそばが用意されている。

まるしょうはこれを「バラエティー豊かな、新感覚の焼きそば」と提唱している。

 

一番人気の「ソース焼きそば」

 

■「ソース焼きそば」はたまらない

 

まるしょうの焼きそばに使用されている麺は、店内製麺室で小麦粉から作られている「自家製麺」。中華麺用粉、パンやケーキなどに使われる全粒粉など3種類の小麦粉をバランスよく配合している。

ソース焼きそばというと、中細ちじれの中華麺を連想するが、こちらは太めのストレート麺。ソースに絡み合ってとにかく濃厚。モチモチの食感と、小麦の風味豊かな味わいは焼きそば好きにはたまらない。

あまりにも濃厚過ぎて、味が濃すぎると感じる人もいるかもしれない。食べれば食べるほどノドの乾きが強まり、水を2杯もお代わりしてしまった家内は「もういいかな」派。正直もっと食べたい派の私と印象が違った。

「もういいかな」派もいるだろうが、大半はあの濃厚さがたまらない人ばかりなのだろう。濃いソース味に舌がマヒしている人もいるにはいるだろうが、やはりたまらない。

ちなみにソースは大正12年(1923年)創業、東京で一番古い老舗メーカー「トキハソース」のソースを数種類混ぜ合わせて作ったオリジナルブレンドを使用している。

時間はちょうど正午すぎ。お腹も空いて、結局まるしょうでお昼を食べた。ソース焼きそばを食べた。満足だった。

「笑」という字を丸で囲んで「まるしょう」。ラーメン、そば、うどん、パスタまで、なぜ同じ麺類なのに焼きそばの専門店チェーンがないのか?ないなら自分たちで創ろうと、創業者の関口雄一氏が2011年に千葉県柏市豊四季で創業した。

現在は豊四季本店、イトーヨーカドー松戸店、本郷3丁目店、イオンタウン守谷店がある。コロナ禍もあって集客がなかなか難しそうだったが、最近は客も戻って行列ができる日もあるという。日本一の焼きそばチェーン店を目指して頑張っているようだ。

 

年季の入った壺屋総本店

 

■和菓子屋の老舗「壺屋」と遭遇

 

まるしょうでソース焼きそばを食べて満腹した私が外に出て数歩歩きかけて目に入ったのが和菓子屋「壺屋」。壺屋の名は江戸時代高級品だった「砂糖」からきているらしい。店には「創業寛永年間、江戸根元 壺屋出羽 壺屋総本店」などとおどろおどろしい名前が書かれている。

外から見ると、確かに古くて風格がありそうに見えなくもないが、逆にむしろ歴史の重みに耐えかねたように、今にも崩れ落ちそうな店という印象である。こんなところにこんな店がと思ったが、何せ江戸は「文京区本郷」である。

町屋として早くから開け、弓町、元町、真砂町、金助町、菊坂町、本富士町などがあった。真砂町や本富士町などいくつかの町は今もその名前を残している。

明治から昭和にかけて夏目漱石、坪内逍遙、樋口一葉、徳田秋声、二葉亭四迷、正岡子規、宮沢賢治、川端康成、石川啄木など多くの文人が居を構えた土地柄だ。

実は壺屋は大変な店である。店内は「撮影禁止」だ。年代物の木枠に手を掛けて中に入ると、それがよく分かる。店内は丸で江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気だった。

 

壺形最中

白い皮はこしあん、黄色い皮は粒あん(つぶしあん)

 

■店の由来は「砂糖壺」から

 

何がすごいのかというと、三代将軍家光の寛永年間に江戸の町民が開いた最初の「江戸根元」(えどこんげん)の和菓子屋である点だ。以来400年の間江戸市民に愛されてきた(北海道旭川市にも壺屋総本店があるが、東京の壺屋総本店とはどうも違うようだ)。

江戸時代には京都・中御門家(なかみかどけ)より由緒ある店へ贈られる「壺屋出羽掾」(つぼやでわのじょう)「播磨大掾」(はりまだいじょう)の称号を授与され、「江戸総鹿子名所大全」(えどそうかのこめいしょたいぜん)という古書にもその名が出てくるという。

「甘さは結構強い。おいしいお茶を用意することが重要。粘り気が餡にありながら、カリッとした砂糖の塊も時々感じる独特の食感。北海道十勝産の小豆と白ザラメ、それに水飴が餡の材料で手作りが基本。皮は専門業者が餅米から作るモノを使うと言う。江戸時代から作り方を守っているそうで、江戸の甘味の好みが分かって面白い」(食べログ、川井潤氏の口コミ、2022年11月

 

2つに切るとこってりとした餡がこんなふうに

ほかにお茶のお菓子で祝い事に使う「練り切り」もあった

 

■勝海舟のエピソード

 

勝海舟のエピソードがやはり面白い。明治維新の折、江戸の大店は新政府の世になって商いを続けていては長年にわたってお世話になった徳川様に申し訳が立たないと次々に暖簾を下ろした。

壺屋も廃業を決めたが、大の壺屋ひいきで常連客だった勝海舟から「市民が壺屋の菓子を食べたいと言っているのだから続けるように」と諭され、再開したのだという。

「今も店内にはこの時に勝海舟から贈られた『神逸気旺』(しんいつきおう)の書が飾られている。神頼みをするのではなく、気力をもって事に当たる、という意味の言葉は、いつの世においても心に留めておきたい名言だ」(和楽ウェブ和菓子の名店!東京本郷「壺屋総本店」の最中が絶品

 

湯島天満宮

 

■学問の神さま「湯島天神」にも表敬訪問

 

麟祥院から目と鼻の先にあるのが湯島天満宮(文京区湯島3)。学問の神様として有名な菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る神社で、通称湯島天神。

受験シーズンには多くの参拝客が合格祈願に訪れる神社として昔から親しまれている。学業だけではなく、資格試験や転職活動、縁結び、病気回復などさまざまなご利益を得られることでも有名だ。

もともとは日本神話における力の神・技能の神として知られる「天之手力雄命」(あめのたち”からおのみこと)を祀る神社として古墳時代中期の458年に創建された。

南北朝時代の1355年には「菅原道真」をもう一体の御祭神として合祀。湯島神社・湯島天神と呼ばれていたが、2000年に「湯島天満宮」と定めた。むしろ湯島天神のほうが呼びやすいのはそのせいではないか。

江戸時代から梅の名所としても多くの庶民に愛されてきた。境内の梅園には約300本の梅が咲き誇り、恒例として毎年春には「梅まつり」が開催されている。

 

湯島天満宮本殿

 

■「天神さん」とは菅原道真のこと

 

学問の神様をお祀りしているため、境内には合格祈願の絵馬があるのは当然だが、それにしてはびっしり重ねられた絵馬の数の多さにはびっくりした。どの絵馬にも書く人の思いが詰まっているはずだ。

日本最大級の遊び予約サイト「アソビュー!」によると、日本全国には菅原道真を祀っている天満宮が約1万2000社もあるという。そこまで信仰を集めている菅原道真とはどんな人物なのか。気になるところだ。

菅原道真は平安時代の貴族で、政治家・文人・学者としても名を成した人物。幼少期から頭が良く5歳で和歌を詠み、当時最年少の18歳で中央官吏の養成学校「文章生」(もんじょうしょう)の試験に合格。

その後も勉学に励み、「放略式」という難関試験に26歳で合格。33歳で学問の最高位である「文章博士」となったすごい人物である。

学者として学問を究めながら政治家としても活躍。醍醐天皇を補佐する右大臣にまで出世したが、自分の地位を脅かされることを恐れた左大臣の藤原時平の策略に陥り、福岡県の太宰府に左遷された。2年後の57歳のときに太宰府で57歳の人生を終えた。

ところが、菅原道真の死後、都に疫病がはやり藤原時平は病死。醍醐天皇の子どもや孫までも立て続けに病死し天変地異が多発。怒りを鎮めようと菅原道真を御祭神とする「北野天満宮」(京都市上京区馬喰町)を建立したところ、病は治まった。湯島天満宮は天満宮・天神社の総本社である。

菅原道真公のことを親しみを込めて「天神さん」と呼んでいる。

 

この日も何組もの婚礼が開かれていた

 

■新郎が外国人のカップルも

 

この日は湯島天満宮で4組の結婚式が行われ、ちょうどわれわれが到着したときには日本人と外国人のカップルが親族とともに総桧造りの社殿の前で整列。これから神前結婚式が始まるのだろう。

花婿は紋付き袴、花嫁は白むく。新郎新婦の母親は2人とも既婚女性の祝儀用の礼装で最も格式の高い着物である黒の留袖を着ていたのには驚いた。

2人はどういうわけで結婚することを決めたのか分からないが、異国の地で結婚式を挙げるのは相当思い切ったことかもしれない。それも自分の家族を異国の地に呼んで家族にも祝福してもらうのだ。その覚悟たるや良しである。

万葉の浪漫と気品あふれる本格的な神前式の結婚式。美しい雅楽の調べ、(女性が舞う)豊栄の舞いで2人の門出を祝福し、愛と幸せを末永く結ぶ。厳粛な気分が漂う中で厳かに執り行われる。

外から眺めていて、自分の結婚式を思い出した。昔の話だが、あれも神前式だった。もうすっかり忘れてしまった。

私は社務所で御朱印をもらって、妻は来年受験の孫娘のためにお守りを買った。予定では湯島天満宮に寄るつもりはなかったが、麟祥院の目と鼻の先。結局立ち寄って結構のんびりしてしまった。秋の日差しが柔らかに降りそそぎ、暖かな好天だった。

 

とにかく東大内はとてつもなく広い

東大医学部

 

■迷って東大キャンパスに入ってしまった

 

湯島天神の次は根津神社。2019年に奈良・東大寺で買った御朱印帖に今回は麟祥院、湯島天満宮、根津神社の3つの御朱印をもらうつもりだった。

社務所で御朱印をもらうには授与時間にいかなければならない。そのために最短距離をたどろうとしたが、結局湯島天神から三菱経済研究所三菱史料館を通って鉄門(校門)から東京大学本郷キャンパスに入ってしまった。

鉄門は東大医学部の俗称で、医学部のほか付属病院などが立地している。とにかく本郷キャンパスは国家予算を投入しているので広大だ。ずっと歩いて弥生門からキャンパスの外に出て、本郷キャンパス外周を歩き、農学部の側を通り、文京学院大学本郷キャンパスまで歩いた。

その先で右折し、日本医科大学付属病院前を通ってようやく根津神社に到着した。既に4時に近かった。後から考えるとかなり遠回りしていることに気付いたが。後の祭り。とにかく着いた。

 

根津神社社殿

 

■春はつつじの名所

 

都内で人気の谷根千エリアにあり、都内屈指のパワースポットしても知られる根津神社(文京区根津)の社殿は1706年、5代将軍・綱吉が嗣子・家宣の氏神社としてこの地に造営された。

見事な権現造りの本殿、拝殿、弊殿、唐門、桜門、透掘のすべてが現存し、国の重要文化財に指定されている。

春には境内に約3000株のツツジが咲き誇る。本殿、拝殿、弊殿の3殿ひと続きの形式を権現造りと言うそうな。塗りは全部本物の漆。ペンキと違って色が深いといわれる。

 

七五三参りの女の子

背が高い外国人女性の立ち姿は美しい

乙女稲荷神社

 

■乙女稲荷の千本鳥居も有名

 

根津神社と言えば、境内社である「乙女稲荷神社」の千本鳥居が有名である。くぐり抜けると邪気が払われると言われ、その色鮮やかで幻想的な景観が人気を博している。

ずっと立ち並ぶ鳥居は、願いが叶った御礼として奉納されたものだいう。京都の「伏見稲荷大社」の千本鳥居は根津神社の数百倍の規模で同大社のある稲荷山(標高233m)全山が鳥居で埋め尽くされおり、観光客の人気が高い。

根津神社にある「乙女稲荷神社」は、根津神社がこの地に鎮座した後に、境内の西側にある傾斜面「つつじが岡」の中腹に穿たれた洞に祀られた神社だといわれる。

 

谷中銀座

夕焼けだんだんから夕陽が落ちる

 

■下町を楽しむ夕焼けだんだん

 

今や谷中・根津・千駄木を「谷根千」(やねせん)と呼んで、テレビの情報番組やドラマなどで煽っている。JR日暮里駅の西側から御殿坂を3分ほど歩いたところにある下町が谷中銀座商店街だ。

その途中にある「夕焼けだんだん」(36段の階段)という一風変わった名称は一般公募によって命名されたらしい。私と妻は千駄木方面から谷中銀座に向かっていた。

根津神社から地下の千代田線沿いに2本ほど入ったへび道(旧藍染川)を歩いていくと谷中銀座に出る。そこから「夕焼けだんだん」に着いた時、ちょうど夕陽が没しようとしていた。このタイミングで日没とはと思って夢中でスマホのシャッターを切った。

最近は地方を中心にシャッター商店街が増え、どこも超閑散状態が続いている。そんな中では東京の「谷中銀座」は60軒もの商店が立ち並び、数少なくなった地域の生活に密着した活気あふれた商店街だ。

おいしい食べ物やレトロな街並みは散歩していても楽しい。メディアが作り出した街並みとはいえ、どこもそうであるならば、それを知った上で堂々と楽しめばいい。

谷中銀座は車の進入ができない。歩く人、自転車に乗った人、犬を連れた人などたくさんの人が60軒ある個性的な店を冷やかしながら幸せそうに歩いている。

 

ぜんざい

昔食べた羽二重団子(2017年10月22日)

 

■日暮里駅前「羽二重団子」を食べてお開き

 

夕焼けだんだんで夕陽をたっぷり見たのちにたどり着いたのは「羽二重団子」日暮里駅前支店(荒川区東日暮里)。本店もあるが、そちらは行ったことがない。下町で下町情緒を味わいながら食べるのが風情ある食べ方だが、結局我慢して少し上等の羽二重団子を食べることになった。

本来なら団子を食べ、煎茶をいただくのだが、団子は売り切れだった。せっかくなのでぜんざいをいただくことにした。前回は2017年に訪れている。この日歩いた距離は約8km。とんでもない長さだ。

1日に歩くのはせいぜい5kmぐらい。3キロもオーバーしている。恐らく明日はへとへとだろう。これから池袋まで出て、西武線で練馬に出て、そこから今度はバスに乗らなければならない。

気が遠くなるのでそれ以上は考えないことにした。とにかく今日はこれでおしまい。お疲れさまでした。

追加:池袋西武に出店している「深川太郎」池袋店で「深川めし弁当」を買って帰ってこの日の夕食にした。深川太郎の伝統の味「厚焼玉子」も入ったあさりご飯である。

いろいろ迷った挙げ句に決めた夕食だが、これが実にうまい!味もほどよく何とも絶妙な味である。忘れないために追加で書いておくことにした。

 

 

 

 

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