【鎌倉散歩】鎌倉芸術館で「刺し子」を現代風にアレンジした作品展を鑑賞後、長谷寺の「十一面観音菩薩像」と高徳院の「鎌倉大仏」を拝観した秋の好日

内庭に竹林を取り入れた奇抜さには驚いた

 

■作品展が開催された鎌倉芸術館

 

家人の友人が学んでいる「刺し子」(刺繍=ししゅう)の作品展が鎌倉芸術館(神奈川県鎌倉市大船)で開催されているとの案内が届いた。

鎌倉と言えば大仏を思い浮かべるが、鎌倉芸術館の所在地は大船だという。その大船は鎌倉市の一部になっていた。小さな小ホールをイメージしていたが、非常に大きな近代的な文化施設だった。

鎌倉芸術館は「古都鎌倉の北に位置する芸術文化創造スペース」を名乗っている。開館は1993年、全延床面積2万1500平方メートル。豊かな響きを持つ「聴かせる」大ホール(1500席)、演出空間を創出できる「観せる」小ホール(600席)を持っている。

ほかにもギャラリーや集会室、和室など文化芸術活動を行う人たちにとっては作品を発表する場としても活用されているようだ。

 

天極縫い さしこ堂カルチャー「魔法の針展」五島亜希子

 

■伝統的な刺繍を現代風にアレンジした刺し子

 

正直「刺し子」と言ってもピンとこなかったが、どうやら日本に古くから伝わる伝統的な刺繍(ししゅう)のほうが通りが良さそうである。そう言えば姉が作った刺繍の作品が実家の壁面に飾られたいたことを覚えている。

オリムパス製絲(本社・名古屋市)が運営している「手芸のオリムパス」HPによると、「刺し子の技法は庶民が日々暮らしていく生活の知恵から編み出された」という。

どこで始まったということもないが、一説に16世紀初頭、東北地方で「厳しい寒さを凌ぐために防寒、補強として、衣料に刺し子(布を重ねて刺し縫いすること)をしたことがその始まりと言われている」ようだ。

今回作品展を開いた五島亜希子氏はこの刺し子を現代風にアレンジした。「布を裂いて、または細く切って刺し込んでいく独自の手法を見つけ、その方法を『天極縫い』(てんきょくぬい)と名付けた」という。

 

これが有名な「江ノ電」

 

■鎌倉大仏には江ノ電に乗って

 

鎌倉と藤沢間のわずか10キロほどを走っている江ノ島電鉄(本社・神奈川県小田原市)だが、テレビドラマやグラビア写真の撮影も多く、露出しすぎ。

小田急電鉄の完全子会社で純然たるローカル電車だが、漫画『SLAM DUNK』に鎌倉高校前駅の踏切が登場したこともあって外国人の観光スポットになるほどのフィーバーぶりだ。

沿線人口は100万人ぐらいだが、なにせ鎌倉地域は観光客が年間3400万人も押しかける日本屈指の観光地。「日常の快適な生活」を求める地域住民と「非日常の空間や体感」を求める観光客が入り乱れいろんな問題が起こっているようだ。

昔、まだ子どもが小さかった頃に一度鎌倉に行ったことがある。その当時は市内各地の観光名所を歩いて、大仏さんも見物した記憶があった。

その記憶を基に大仏は鎌倉=鎌倉駅近くにあるものだと思い込んでいた。昨年4月末に大衆時代小説「鞍馬天狗」で名を馳せた大佛次郎没後50年を記念する「天狗忌」に参加したが、その時も駅近の鎌倉八幡宮辺りを徘徊し、結局大仏とは出会えなかったことを思い出した。

 

意外に見どころが多かった長谷寺

 

■最初に見学したのは鎌倉・長谷寺

 

鎌倉に行けば大仏を拝まないと帰れないというわけで大船から鎌倉駅に引き返すと、すぐに同駅から江ノ電に乗って3つ目の長谷駅で降りた。

そこで大仏殿を目指したが、なぜか着いたのは長谷寺(鎌倉市長谷3)。どうなっているのか自分でも分からなかった。

長谷寺には大仏がいないことに気付いたのは境内に入ってから。観光客ずれしたお寺のスタッフから邪険に扱われ不愉快だったが、とにかく拝観料400円も購入済みだったので観光することにした。

 

十一面観音菩薩像(撮影禁止のため長谷寺HPからピックアップ)

 

■十一面観音菩薩像

 

長谷寺の名前は結構有名だ。駅名にもなっている。なぜそんなに有名なのかは知らなかった。有名なのは大仏ではなく「観音像」だった。「長谷観音」の名で親しまれているという。

正式には海光山慈照院長谷寺と号する。天平8年(736)に創建された鎌倉有数の古刹である。

本尊は十一面観世音菩薩立像。高さ9.18mと木彫仏としては日本最大級の尊像だ。

奈良県桜井市にも長谷寺がある。京都にも近く、関西ではむしろこちらのほうが有名だ。真言宗豊山派の総本山だという。正式名称は豊山(ぶざん)神楽院(かぐらいん)長谷寺(はせでら)という。

本尊も十一面観世音菩薩像で、創建年は686年。まだ行ったことがないが、威風堂々としている。風格が違うようである。

初瀬山の中腹の急峻な崖の斜面に建てられた本堂は崖造り(がけづくり、懸崖造り)くり)」と呼ばれ国宝。本坊や登廊(のぼりろう)、仁王門は重要文化財だ。

さらには昭和29年(1954)、戦後の日本で初めて建てられた五重塔は昭和の名塔と呼ばれている。「純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は背景とよく調和し、光彩を放っている」(長谷寺境内案内)

眺望散策路からは鎌倉の街を一望できる

 

■鎌倉の街と海を眺めて

 

本尊の十一面観音菩薩立像は奈良の長谷寺の像と同じクスノキから彫られたといわれ、1木2体の像と伝えられる。

長谷寺には宝物が多い.十一面観音立像以外にも阿弥陀如来座像や梵鐘、観音ミュージアムもある。

アジサイや紅葉の時期も大勢の観光客で賑わうほか、鎌倉の街と海が一望できる見晴台からの眺めも格別のものがある。

 

鎌倉の大仏さんは高徳院に鎮座していた

 

■ようやく出会えた鎌倉大仏

 

そして、ようやく鎌倉大仏に出会えた。長谷寺が長谷3丁目なのに対し、こちらはちょっと奥まった長谷4丁目にあった。

浄土宗の寺院、高徳院(鎌倉市長谷4)の境内。大仏は座しており、高さ約11.3メートル、重量約121トンもある。少し前傾している。

こちらは長谷寺ほど寺宝が多くはないものの、なにせご本尊が鎌倉大仏である。鎌倉唯一の国宝仏像の存在感は他を寄せ付けない。

正式名称は「国宝銅造阿弥陀如来座像」。昭和33年(1958)に国宝に指定された。建長4年(1252)に鋳造が始まったとされるが、詳細は不明。

作者も不明だが、運慶に代表される「慶派」の作風と中国・宋の影響を合わせ持つ像容が特徴らしい。

「東京大仏」や「鎌倉大仏」は通称が有名で、正式なお寺の名前は知らない場合がほとんどだ。特に高徳院はそうだ。大異山高徳院清浄泉寺というのだそうだ。

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