【沖縄旅行】天気が良くて時間がゆっくり流れる沖縄でも文化や言葉が違えば定住するのはやはり難しいか
■初めての沖縄旅行
国内外を問わずいろんなところに仕事、遊びなどで旅行したが、まだ行っていないところがある。ハワイ、オーストラリアなどもその1つだが、国内でも沖縄は未踏の地だった。
その沖縄にようやく76歳にして初めて行った。沖縄は国内とはいえ本土と陸続きではない。飛行機を使わなければいけない土地だ。それでも3時間はかかる。
沖縄のメインシーズンはやはり夏である。7月、8月だ。夏は暑い。しかし観光となると、4月と11月になる。それほど暑くもなく、寒くもなく動き回るには快適な時期だからだ。
問題は天候だ。特に台風が沖縄に最接近し上陸でもすれば飛行機の欠航などもあり得る。レンタカーなどの外出も危険だ。最悪の事態も起こりうる。
■台風25号の襲来を心配したが、結果オーライ
出発予定日は17日(日)。それが直前の12日にはフィリピンの東で発達中の熱帯低気圧が台風25号(ウサギ)が誕生し、週末にかけて沖縄を襲う進路を取る予想が出始めた。4つの台風が同時に存在するのは7年ぶりだという。
よりによって初めて私が沖縄旅行をする時に台風が上陸するのかと憂鬱だったが、自然現象である。天気を恨んでも仕方がない。
いまさらキャンセルもできなし、リゾート地に行くのだから、ホテルでのんびりするのも選択肢の1つと半ば諦めていた。
その気持ちが通じたのか台風25号は16日午後3時に台湾で熱帯低気圧に変わって停滞。熱帯低気圧由来の暖かく湿った空気が沖縄周辺に流れ込むことも懸念されたが、17日から20日までの沖縄滞在中は基本的に大丈夫で助かった。
■チェックインもスマホで
午前7時45分発。5時の始発電車に初めて乗った。練馬からだと羽田まで1時間半はかかる。息子が駅まで車で送ってくれ6時半には何とか着いた。
手荷物は大小の2つのトランク。昔のようにチェックインカウンターで1つ1つ個別に預けるわけではない。すべて自動化されている。5年前に英国旅行したおりはエミレーツ航空を利用したが、自動ではなかった。
チェックイン自体もフライトの24時間前からオンラインチェックインが行われる。なんとももはや何でもスマホでやれる時代である。やらされる時代である。
いまやスマホは三種の神器である。電話も情報もすべてスマホで集められる。スマホを操作できるのが前提である。スマホをバカにしていた自分がいまではスマホにバカにされている。
■ひめゆりの塔に献花
午前7時45分発ANA463便に乗って約3時間。あっという間に沖縄・那覇空港に到着。あとはトコロテン方式でレンタカーを借り受け、カーナビに行く先の識別コードを入力すれば、目的地までの図示し図示し連れて行ってくれる。
最初に入力したのは南部の「ひめゆりの塔」(糸満市)。那覇空港から南へ車で1時間足らず。1945年の沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒や教師のために慰霊碑だ。
沖縄戦の翌年、両校で最も多くの犠牲者を出したガマ(鍾乳洞)の上に建てられている。刻銘227人。
「ひめゆり平和祈念資料館」が併設されている。沖縄戦の体験と平和の尊さを伝えるため、ひめゆり同窓会によって設立された。
証言映像や当時の写真、豪の実物大模型などを通して、ひめゆり学徒隊が体験した沖縄戦の実相を伝えている。
■平和祈念公園
ひめゆりの塔からすぐのところに県営平和祈念公園がある。台風の影響は感じられず、23度の心地よい気温と薄青く晴れた空が広がっていた。
公園は沖縄戦終焉の地・糸満市摩文仁に位置し、雄大な海蝕崖景観の海岸線を有した珊瑚礁台地に立地。陸域3127ヘクタール、海域1932ヘクタールの広大な土地だ。
公園は御霊の陳魂と祈りの「霊域ゾーン」、戦没者の追悼と平和祈念の「平和ゾーン」、安らぎと散策の「園路広場ゾーン」、健康運動と自然観察の「レクレーションゾーン」の4つに区分けされている。
平和ゾーンには平和の礎や平和祈念資料館、平和の丘、沖縄平和祈念堂などの主要施設が整備されている。
■聖域ゾーン
沖縄戦で最後の激戦地となった場所であり、国立戦没者墓苑や各県の慰霊塔が建立されている霊域ゾーンの面積は約12ヘクタール。
沖縄戦による日米両軍と民間人の戦没者は24万人余りといわれ、日本の歴史の中でも類をみない戦死者数で、激烈かつ悲惨な戦いだった。
建立された32府県や各種団体の慰霊塔・碑は50基。全国からの慰霊団や国内外の観光客、修学旅行生などが訪れる。