【引っ越し】猛暑に耐えかねて3畳から6畳に脱出したものの、どうしても今後こなさなくてはならない仕事は既になし
■3畳の納戸が書斎
20年ぶりに書斎を引っ越した。これまでは3畳の納戸を自分の書斎にしていたが、あまりに狭く、ちゃんとした冷暖房器具もなかった。しかも西向きなので夏の午後は蒸し風呂状態でとても部屋にはおれなかった。
昼になるとクーラーの付いている隣の8畳に引っ越しし、夜になるとまた3畳に戻る繰り返しだった。夏はもっぱら扇風機、冬は電気ストーブ、最近はセラミックファンヒーターが活躍した。どちらも結構効果的で、個人的には”快適”だった。
しかし、ここ1~2年の地球温暖化はすさまじい。1~2度上昇どころではない。3~4度、場合によっては5~6度も高い。場合によっては汗たらたらで死にそうなほど暑い。耐えられる許容限度を超えている。それでついに部屋の引っ越しを決断した。
冷房代、暖房代も引っ越しでかなり軽減できたはずだ。特に家を建てた25年程前に使っていたのは電気ストーブ。当時から「電気代がものすごく高い。クーラーを付けるから部屋を移動してくれ」と懇願されていた。
3畳の部屋にクーラーを入れる選択肢もなくはなかったが、部屋が小さすぎて難しいという。自分でもこの部屋に愛着があった。
これまでこの3畳の部屋であるゆる仕事をこなしてきたが、会社を辞めて今年で13年。後期高齢者になって3年目で、仕事らしい仕事もほぼなくなった。根を詰めて取り組む必要性もなくなった。あとは自由に時間を過ごせばいいだけである。
■お世話になった20年間
私の場合、世間の常識とどうもかけ離れているようだ。これが全員に当てはまるとは思わないが、どうやらより劣悪な環境の下で仕事をするほうがむしろ仕事がはかどるのである(そう思えるのである)。そのほうが仕事にしっかり取り組むことができたのだ。
この狭い3畳で自分の単独書も書いたし、うんうんうなりながら難しい論文もまとめた。あらゆる仕事をこなしてきたという自負もある。過酷な状況の下で何とか仕事をしてきた。人には負けない仕事を頑張ってきた。そういう気持ちを自分なりに持っている。
そのせいでいつも机の上や周辺は書類の山状態だったことは認めるしかない。書類が乱雑に積み重なり、いつも必要な資料を探しながら、仕事をする有様だったのは事実だ。実際に仕事をするよりも、何がどこにあるか探す時間が結構かかったのも事実だ。
しかし20年以上ももそれでやってきて、それもすっかり私の生活の一部になってしまった。むしろそうした”混乱状態”の中にあるほうが何かしっくりくるのだから慣れというのは恐ろしいものである。
■40℃以上の「酷暑日」も定着
かつて息子が住んでいた部屋も本人が独立して出て行って15年もたった。彼は今や大阪に拠点を構えている。ときたま東京に出張で上京して来るが、部屋に泊まることはほとんどない。
その部屋がずっと空いていた。今回そこに移ったわけだが、ベッドが1つ入っているだけで誰も使っていなかった。西側と北側に窓があるものの、光が差さないからどうしても暗い。
クーラーも入っていなかった。この部屋だけでなく、息子たち3人の部屋はクーラーなしで済んでいた。クーラーがなくてもそれで済むほど暑くはなかったというわけだ。
それが最近の異常高温である。ここまで暑いととてもクーラーなしでは生きていけない。熱中症で死んじまう時代である。最高気温が35℃以上の日を「猛暑日」と呼ぶが、今夏はそれを上回る40℃台も続出。じりじりと肌を突き刺す「酷暑日」という呼び方も定着しつつあるほどだ。
■自分でPCを壊す!
ただ引っ越し作業中に問題が起こった。愛用のノートパソコン(レッツノート,12.1型、2018年6月モデル、0.999kg)が壊れてしまったのだ。正確に言うと、自分で壊してしまったのだ。
内蔵しているDVDが故障し、それを何とか修復できないかと裏面のフタを剥がしていじっているうちに、スイッチを稼働させる部分の部品が剥落してしまった。何とも悔しい!
OS10ながらパソコンはまだ十分稼働していた。それなのに、スイッチが入らなくなってしまった。オウンゴールである。
OS11へはいずれ切り変えるつもりだったが、OS10の段階で動かなくなってしまった。もう泣きっ面に蜂である。
パソコンがなければ何も仕事ができない。スマホもあるが、長い文章を書くには適さない。オペレーションシステムをアップグレードするのをずっと回避してきた咎めが出たせいなのか。
現在使っているWindows10のサポートが今年10月14日以降終了する。メーカーのサポートが終われば、セキュリティーリスクも高まるためアップグレードせざるを得ない。
アップグレードは無償でできるものの、導入しているアプリなどのバージョンアップに問題が生じる恐れもある。今快適に使用しているバージョンをメーカーの都合に合わせて変更する必要はないとずっと思っていた。
■「書いてなんぼ」のジャーナリスト
ジャーナリストにとってPCはとにかく生活の中心、仕事の要だ。これがないと生活が回らない。「書いてなんぼ」の世界に住んでいる。
それが使えなくなったのだから致命傷である。買った店舗に持っていって修理を頼んだ。終わるまで3週間ほどかかるという。
途方にくれたが、泣いてもどうにもならない。修理が終わるまでじっと待つしかない。待って、待って、待ち続けるしかない。
それで待った。返事があったのはちょうど3週間後だった。絶望していたスイッチがしっかり直っていたほか、DVDも利用可能になった。硬くなっていた一部キーボードもしっかり打てるように修理された。それでいて修理費は1万5000円程度と思っていたよりもかなり安い。
さっそくWindowsOS11に変えて使っているが、打ち込みもサクサクと軽快かつ快適である。無理して新機種を買うことなかった。買ってしまったものは仕方がない。使い方を考えるしかない。
■仕分けするのが大変
書斎を引っ越したお陰で部屋を片付ける必要が生じた。当然のことながら一切合切引っ越しせざるを得なかった。
最大の難関が大型の机。これを移動するのが大変だった。一部組み立て式だが、図面はどこにあるのか分からない。メインの引き出しが壊れて使えなくなっているのが実情だが、両サイドの引き出しを活用して何とか代替している。
この机を何とか苦労して隣の部屋に移動したが、一番大変だったのが書籍類の仕分け。2つの本箱分と別の部屋にある本箱分をもう一度読みたいものと恐らくもう2度と読まないものに分けた。
■本の買価も二束三文に
もう一度読みたい本は残した。もう二度と読まないであろう本はくくって2度にわたってブックオフに持っていった。
値段の付いた本は1回目が125冊、買取額は2915円。2回目は106冊、2155円。合計330冊を約5000円で買い取ってもらったことになる。
ちなみに一番買取額が高かったのは『エコノミック・ヒットマン』の500円也だった。
昔は本を古本屋に売る場合、古本屋の店主と売主が対等の関係で値段を付けたものだ。学生時代、杉並区善福寺に住んでいた頃、西荻窪の西北書房という古本屋に本を売却した。
新刊書も含めて確か7万円ほどで売って、その金を欧州旅行の資金の一部にしたことを覚えている。
それが今や300冊以上(価格の付かない本も少なくなく500冊は買い取ってもらっているはず)、5000円である。本の値段も軽くなったものだ。
そもそも今や活字の本を読むのは一部の人に限られているようだ。読んでもデジタル書籍でスマホである。こちとら、アナログなので、やはり活字がいい。
■実家の蔵にもまだ蔵書の山
本の整理は大変だなとのんきに構えていたら、まだまだ大変なことが丹波の田舎に残っていることを思い出した。
兵庫県丹波市の自宅の蔵に山積みにになっているはずの本の処分だ。こちらもいずれ処分しなければならないが、こちらは現在賃貸に出しており、すぐには手を付けられない。
どこかの時点で手を付けなければならない。本は自分を磨いてきたが、ある時点では処分する必要がある。それも自分の仕事である。そう考えると憂鬱になってきた。
どうやら何でも最後は簡単ではないようである。








