【九州ドライブ旅行⑧】軍艦島を遠望したのち長崎平和祈念像に祈りを捧げ、フランシスコ・ザビエルの面影漂う平戸へ
■すり鉢状の地形が特徴の長崎市街
長崎県の地形は県土の約9割が山地や丘陵地で平地が非常に少なく、海に囲まれて山や島が多いのが特徴だ。
多くの半島や入り組んだリアス式海岸、日本一の数を誇る島々が複雑で美しい景色の元になっているようだ。
その典型的な例が長崎市だ。三方を山に囲まれたすり鉢状の地形と、奥行きのある天然の良港「長崎港」が象徴している。山が海の間際まで迫っており、斜面に建物や住宅が重なる「坂の街」そのものである。
泊まったホテルはアマンディ。世界新3大夜景にも選ばれた標高333mの稲佐山の一角に立地するホテルの部屋から朝起きるとこんな光景が眼前に広がっていた。
■野母崎から島を眺める
軍艦島(正式名称:端島=はしま)は、長崎市にある炭鉱で栄えた人工の島。高層コンクリートアパートが並ぶ姿が軍艦「土佐」に似ていることからその名で呼ばれ、2015年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
明治から昭和にかけて良質な石炭を採掘し、日本の近代化を支えた。最盛期の1960年には約5300人が暮らし、当時世界一の人口密度を誇った。
主要エネルギーの石炭が石油に移行したのに伴い、1974年に閉山して無人島になった。個人の自由立ち入りは禁止されており、船会社各社が運行する上陸・周遊ツアーへの参加が必要だ。
■上陸ツアーは長崎港から
軍艦島上陸は諦めていたが、少しでも近くから見たい気持ちもあって野母崎方面に車を走らせた。着いたのは「のもざき恐竜パーク」(旧野母崎総合運動公園)。
野母崎周辺では多くの恐竜の化石が発見され、2021年に「のもざき恐竜パーク」がオープン。軍艦島にも近いことから軍艦島の歴史を学べる軍艦島資料館なども併設されていた。
上陸ツアーは長崎港ターミナルから。ツアー会社のクルーザーなどで片道45分の船旅。気象や海上の状況次第で上陸できないこともあり、上陸できるかどうかはその日になってみないと分からない。
■上陸はあきらめた・・・
島への上陸は各社ごと午前と午後の2便で上陸時間を含め40~50分。危険エリアも多く、なかなか奥には入れそうもない。それでも現場主義の私としては残念だったが、諸般の事情で上陸はあきらめざるを得なかった。
恐竜博物館のお土産店店員などに「上陸したことある?」と聞いても、行ったことがないとの答えだった。さもありなん。
東京スカイツリーに上ったことのない私と同じである。崩れかけたアパートをわざわざ見に来る物好きな人扱いされても仕方がないのかもしれない。
(軍艦島アーカイブス)
■「私、昔そこに住んでいたの・・・」
家人の友だちが小さい頃ここに住んでいた、と衝撃的なことを言った。私も知っている人だ。彼女は今は東京に住んでいる。
子どもの時とはいえ、軍艦島である。長崎である。離島でもある。へえ!!と驚いた。そんなことあるんだとびっくりした。
彼女は小学生高学年の時だったらしくて、よく覚えているとか。どこに住んでいたかも明確に説明した。なるほど、なるほど・・・
自分の知っている人がそこに住んでいたということだけで、不思議とその場所に親近感が湧いてきた。変な物である。
■平和祈念像は公園のシンボル
昼頃、長崎市に戻ってきて、平和祈念公園を散策した。1945年8月5日広島に、同9日に長崎に落とされた原爆は大きな被害を残した。
午前11時2分、米軍機が松山町上空503mで投下したプルトニウム原爆「ファットマン」は一瞬にして市街地を破壊し、その年の末まで約7万4000人が亡くなった。負傷者は約7万5000人。
爆心地周辺の地表温度は3000~4000℃に達し、強烈な熱線と爆風であらゆるものが焼き尽くされ、吹き飛ばされた。
目に見えない放射線が人々の体を傷つけ、後遺症(原爆症)に苦しむ人が続出。放射性物質を含んだ「死の灰」や「黒い雨」が広範囲に降り注ぎ、被害を拡大した。
■「浦上天主堂」は旧称
長崎市のキリシタンの聖地のひとつであるカトリック浦上教会(うらかみきょうかい、長崎市本尾町)は旧称浦上天主堂と呼ばれており、今もこちらの呼び方のほうが一般的だ。
キリシタン弾圧の禁制を解かれ自由を得た信徒たちによって建設が計画された。1914年に東洋一を誇るレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられたが、20年後の1945年、原爆で破壊された。
現在の建物は原爆投下から約14年後の1959年にコンクリートで再建されたのち、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元された。
■美味しかった長崎ちゃんぽん
長崎市内を散策後、長崎自動車道を走っていてたまたま留まったのが大村湾PA(上り線、東彼杵郡=ひがしそのぎぐん=東彼杵町瀬戸郷)。大村湾が側に広がっている。ちょうど午後も2時を回っていた。
そこで見つけたのが長崎ちゃんぽん。食べたいと思いながら不思議と遭遇しなかった。東京でもリンガーハットでいつも食べており、それなりに満足していたが、ここで食べたちゃんぽんもすばらしくおいしかった。
店舗の名前は「ちゃんぽん処・大村湾」。2023年3月にリニューアルオープンし、唐あく(かんすいの一種=麺に加えることでスープがよく絡む食感になる)を用いた本場長崎の麺と1日分の野菜(350g)が摂れるこだわりの1杯を提供しているという。
どうやら長崎ちゃんぽんはリンガーハットより美味しい店がたくさんあるらしい。ただ名店と呼ばれる店はどこもかなり高いようだ。
コストパーフォマンスからみれば、リンガーハットに落ち着くらしい。それで「リンガーハットがおいしい」と話が決着するという。なるほどコスパかと思った。
■お客さんを「モテナス」
大村寿司は長崎県大村市の一般家庭で広く祝い事や来客をもてなす際に作られる郷土料理。ほんのり甘く、具たくさんで彩りも豊かな一品だとか。なかなかの味でした。
ちなみにモテナスはNEXCO西日本グループのブランド名。名神、中国、山陽、九州道に展開しており、日常的に関東しか走らない私が知らなかったのも無理もない。
「モテナス」とは?お客さんを「おもてなしする」から来ているという。「多くのお客様に親しんでいただけるよう、カタカナでシンプルに表現している」らしい。
■まだ見ぬ土地に足を踏み入れる
平戸市にはこれまでの自分の人生で接点はない。名前は聞いたことがあるものの、自分の目で見たことがあるのは長崎市まで。
ハウステンポスやもっと北側の佐世保市よりもさらに北の松浦市や平戸市はなんとも遠い。
見知らぬ土地と言えるかもしれない。それほど遠い国だ。そこに今回、足を踏み入れた。車の力を借りたとは言え、有り難いことだ。
『妻はくノ一』(NHK・BS時代劇)
■知っているのは松浦清山
そう言えば、10年ほど前にテレビで見た2013年度放送されたNHKのBS時代劇『妻は、くノ一』(原作・風野真知雄)は江戸後期、”開国”をもくろむ平戸藩士に嫁いだ美女は、幕府が送り込んだ”くノ一”を描いた作品だった。
対立する2つの勢力のはざまで”夫婦”となった2人の、切ない愛の物語に心をときめかせたことを思い出す。
松浦清山(1760~1841)はその時知った。肥前国平戸藩の第9代藩主(本名・松浦清)で、藩政改革や学問を奨励した人物だ。
また剣術の達人でもある。膨大な随筆集『甲子夜話』(かっしやわ)の作者として知られる文武両道の学者大名として知られる。
■33年間続いた南蛮貿易の拠点
平戸には寛永16年(1639年)に建造された平戸オランダ商館があり、南蛮貿易の拠点として約33年間栄えた。ところが幕府の命令により商館は取り壊され、長崎出島に移転。
平成23年(2011年)に石造り倉庫を和洋折衷の構造を細部にわたり忠実に再現し、現在は博物館として当時を偲ぶ貴重な品を展示している。
■鋭角的なシルエットが美しい
フランシスコ・ザビエル(1506~1552)は教科書にも必ず登場する有名人だ。スペイン生まれのカトリック教会の司祭であり、宣教師だ。日本での滞在歴は2年3カ月。46歳で中国で死去した。なぜか有名である。
ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、1549年(天文18年)に日本に初めてキリスト教を伝えた。
ウィキペディアによると、日本やインドなどで宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれる。













