‘「写真」を学ぶ’ カテゴリーのアーカイブ

「それでも紛争地取材をやめない理由」

カテゴリー: 「写真」を学ぶ, 政治/外交/国際/軍事, 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2019/03/27  23:15


 

それでも紛争地取材をやめない理由

 

千代田区立日比谷図書文化館(日比谷公園1)の日比谷カレッジが27日開かれ、報道カメラマンの横田徹氏が「それでも紛争地取材をやめない理由」を語った。

横田氏は1971年茨城県生まれ。父親が報道カメラマンだった。フリーランスのカメラマンとしてキャリアをスタートし、クオリティーが低いと怒られながらも動画も撮った。

1997年のカンボジア内戦(ポルポト派)から活動を開始し、インドネシア、東チモール、コソボ、パレスチナ、リビア、イラクなどを取材。2007~12年までアフガニスタンの米軍に従軍取材。14年3月に世界で初めてISの拠点ラッカを取材した。

最初は写真から始めたが、テレビ向けのムービーカメラ(動画)も撮った。写真はAPやロイターに持ち込んで買ってもらったほか、韓国のディレクターの専属となった。品質がひどくて、かなり勉強した。とにかく「いい加減な状況で始めた」などと語った。

横田氏は2007年から12年にかけてアフガンに展開している米軍に従軍したときの映像を見せた。彼が取材したのはコレンガル渓谷。このレストレポ前哨基地は2010年に米軍が放棄した。ここには20人の米軍兵が駐留していたが、最も激しい戦闘地域でこの時点で40人の米兵が死亡したといわれる。

横田氏によると、「毎日の小さな戦闘があり、そのたびに飛行機を飛ばしたりヘリを飛ばしたり、お金がかさむ。米軍もこの基地を持つ意味があるのかに気づいたと思う。パキスタンとの国境に近いのでタリバンがどんどん押し寄せてくる。タリバン軍はライフルなどの旧式兵器で攻撃してくるが、米軍は航空機を含め近代兵器で反撃するのでコスト的には割が合わない。結局ここを手放すことになった」という。

こういう映像を見ると、アフガンはどこもこういう状態でアフガン=危険というイメージを持たれると思うが、「実際にこういう戦闘をやっている場所というのは限られていて、ジャーナリストも行ってもこういう写真はほぼ撮れない。ぼっとして終わってしまう。たまにパトロールに出ても何も起きないのがほとんど。戦闘を探すのが非常に大変だ」という。

米軍は厳しいながらも、自分が行きたいというリクエストを何度も出せば、行けてしまうところがあって良かった。一度従軍の許可を取ると、食べ物から寝るところまで全部ただでやってくれた。撃たれるジャーナリストも少なくなく、治療もきちんとやってくれた。自衛隊ならこういうわけにはいかない。プレスツアーで連れて行くのは「安全」地帯。安全を見せて終わりだ。

横田氏が最後にアフガンに行ったのは2012年。当時のカブール市内は独りで歩けたが、タリバン政権の今は歩けない。駐留米軍やアフガン政府軍ではどうしようもない状態だ。

シリアの取材をしたのは2013年6月ごろ。IS(イスラム国)の存在はまだほとんど知られておらず、まだアルカイーダと呼ばれていた。

横田氏によると、重要なのは信頼できるコーディネーターをどう捉まえるかだ。だいたい捕まるときというのはコーディネーター。怪しいのか、あるいはギャングなのか。誰に当たるかで運命が変わる。「私の場合はたまたま運が良かっただけ」だという。

3年4カ月ぶりにシリアのISに解放されたジャーナリストの安田純平氏について横田氏は「信用できない人がいきなり現れて付いて行ったら捕まってしまった」と述べ、「これは大きなミスだった」とコメントした。「彼はコーディネーターに売られたんだと思う」。外国人も彼は売られたと言っていた。ちょっとでも不安だったら行かないと言う判断もあったはずだ。

取材する上で一番大事なのは取材のセッティングや通訳をやってくれるフィクサー。CNNやBBCと仕事をしているプロから学生みたいな金ほしさでやっているフィクサーもどきもいて、けちると身に危険が及ぶ。安心してもらえる人を紹介してもらうのが重要だ。高いのが難点だが、人間関係が重要だ。

取材経験の浅いジャーナリストは判断が難しい。おいしい話があっても、それは次回にしようと判断する。欲をかくと変なことになりかねない。ベトナム戦争当時は牧歌的な戦争だったが、いまは容赦なくジャーナリスト=お金だ。来たらお金にしてしまう難しい状況に毎年なっている。

IS発行の許可証を持って2014年3月にIS(イスラム国)支配下のラッカに入った。「非常に平和だった」ことに驚いた。「邪悪で残忍な町というイメージが覆された」という。ラッカは同年6月にISの首都になり圧政を受けたが、クルド人主体の「シリア民主軍」(SDF)は3年半後の17年10月、奪還作戦が完了したと発表した。

さらにISのシリア内で最後の拠点であるバグズ町を19年3月に完全に制圧したと発表した。ISは最大時にはシリア西部からイラクの首都バグダッド郊外まで770万人を支配。税金、料金、罰金を資金源とした。

写経

カテゴリー: 「写真」を学ぶ

2017/07/21  21:26


 

 

初めての写経

 

三人の写経を並べながら・・・

 

先生はまた別のテーマを自在に操る

 

墨もいろいろありまして

 

特定非営利活動法人「夢」の第2回総会に出席した。社員は重要なことを決める社員総会の議決権を持つらしい。

「夢」は知的障害者の自立支援に向けた事業を行っている。知的障害者の社会進出を支援する教育訓練や市民との交流促進などで、切り絵のほか、写経を行っている。

会場は横浜市桜木町の横浜市市民活動支援センタービルの4および5階「ディスカッションルーム」。研修の一環で写経に取り組んだ。墨などの道具は監事の伊東通氏がもってきてくれた。研修生3人は書くだけ。

40分ほどで書き終えた。気持ち良かった。初めての写経だった。

伊東氏の親父さんが定年後写経を始め、とっぷりつかったという。それを息子が引き継いだ。いい趣味を継いでいる。

 

横浜のシンボル「ランズマークタワー」

 

横浜的な風景

 

研修会の後は交流会。つまり飲み会。桜木町近くの野毛で交流会に少しだけ付き合った。帰宅するのにとにかく時間がかかる。

枝垂れ桜

カテゴリー: 「写真」を学ぶ, 花/木/樹

2017/03/07  22:41


 

咲いた枝垂れ桜

 

 

2月25日(土)に買った枝垂れ桜が1週間で咲いた。特に何もしていない。土も替えていない。水やりもしていない。既に蕾を持っており、結局何もするゆとりがなかった。黙っていてもあとは咲くばかりだった。

木肌も若く、つるつるしていた。まるで赤ちゃんのようだった。今年はこのまま咲かせ、本当に自分に咲かせるのは次からだ。桜の花はあっという間だ。知らないうちに咲いて、知らないうちに散っていく。

光が丘公園で春を探す

カテゴリー: 「写真」を学ぶ, 旅行/移動/街歩き, 東京日誌Ⅲ

2017/03/04  20:32


百路の日暮(桃地の日暮)

百路は桃地にかけ、日暮は母樹から。「日暮」とは一日中、日暮れまで眺めていても見飽きない花の意らしい。

これは「ハルサザンカ笑顔」。細かく言えば、ツバキとは異なるが、まあ良いか!

明石潟

中部都鳥

ツバキは日本原産の照葉樹。全国に広く分布している野生のヤブツバキと北陸の内陸の積雪地帯に分布しているユキツバキがある。ツバキが観賞植物として栽培され、多くの園芸品種が作られたのは江戸時代以降。17世紀末にはヨーロッパに紹介され、そこでも品種改良がさかんに行われ、現在では世界中で親しまれている。(ツバキ園は練馬区役所公園緑地課の立て看板から)

このツバキ園には日本でみられる1000種の園芸品種のうち、約100種を「花の大きさ」に着目して配植している。なお、サザンカとツバキは良く似た別の花。見分けるポイントはサザンカの開花が10~2月、ツバキは12~19日4月。つまりツバキのほうが長い。

またサザンカはツバキより一回り小粒だ。コブシが木蓮より一回り小さいのと同じである。

難しそう

へえ、こんなことも・・・

ディアボロ(Diabolo=悪魔の意)。鼓の形を持つ中国コマの別称を持つジャグリング道具。中央のくびれた部分にヒモを引っかけて操る。本家は中国で、それがヨーロッパに伝わり、ジャグリング道具として広く世に知られるようになった。

コマを投げ上げたり、体の各部をくぐらせたりとバリエーションも幅広く、旨い人の手に掛かるとコマが生きているかのように自由自在。また2個や3個のディアボロを使った芸や複数の人間で行う芸でもある。

ジャグラー・セイロン氏

東京都の石原慎太郎元知事が2002年に始めた大道芸人公認制度。そのライセンス保有者をヘブンアーティストと呼ぶ。ボールとデイアボロが中心で、セイロン氏もその1人。

実はこの写真の中にメジロがいるんです!

光が丘公園の一角にある屋敷森に行く。梅を楽しんでいたら、メジロが盛んにさえずっていた。「梅に鶯」は詩の中のことで、通常は大体このメジロだ。

これは面白い亀甲竹

竹と言っても結構種類が多い。そんな中で一番多いのが孟宗竹か。この孟宗竹の変異が固定化された竹のことを亀甲竹(キッコウチク)と呼ぶ。地表から2~3mのところが一節ごとに、まるで亀の甲羅のように膨らんでいることからこの名が付いた。

テレビ番組「水戸黄門」で黄門様が持つ杖がこの亀甲竹だ。デコボコした亀甲の部分が杖のほか、釣り竿などの持ち手として使いやすいので多用される。また、観賞用として庭園に植えられたり、銘竹として庭柱に使われたり、茶道用、華道用としても使われる。

紅梅と白梅の交わりがなかなかのものだ

光が丘公園の中に梅林がある。せいぜい20本程度だが、ほとんどが白梅で、紅梅は数本だ。その混合ぐらいがなかなかよろしい。その後、野鳥観察施設にも行ったが、それらはカットした。

七尾湾に朝日が昇る

カテゴリー: 「写真」を学ぶ, 旅行/移動/街歩き

2016/05/08  05:55


 

七尾西湾に朝日が昇る(4:34)

七尾西湾4:34(左手は能登島、右手は能登島大橋)

 

4:44

4:44

 

 

4:57

4:57

 

4:59

4:59

 

5:00

5:00

 

5:02

5:02

 

5:04

5:04

 

5:15

5:15

 

泊まったのは客室74のうち4部屋しかない特別室。8階トップフロアの角部屋で、2つの窓が海に向いている。しかも明朝の予報は晴れ。ゆっくり眠っているわけにはいかない。錦織圭VSジョコビッチ戦の中継もあった。忙しい。

早朝からカメラを構えて朝日を待ち構えた。技術がないからこの程度しか撮れなかった。1時間にわたってにわか写真大会になった。

朝日を堪能したあと、今度はゆっくり朝風呂を堪能した。良き旅かな。

『セバスチャン・サルガド』

カテゴリー: 「写真」を学ぶ, 映画/テレビ/舞台

2016/03/04  23:31


 

CIMG0935

ポスターの写真はゾウアザラシの子ども(ギンレイホール)

 

作品:『セバスチャン・サルガド』(THE SALT OF THE EARTH)
監督:ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド
受賞:第67回カンヌ国際映画祭ある視点特別賞、エキュメニカル審査員賞
2014年フランス・ブラジル・イタリア合作映画
2016年3月4日@ギンレイホール

 

ブラジル出身の報道写真家セバスチャン・サルガドの取材プロジェクト「Genesis(創生期)」にヴェンダース監督とサルガドの息子ジュリアーノが同行し、サルガドの仕事をフィルムに収めたドキュメンタリー映画。

映画.comによると、「『Genesis』はサルガドが、2004年から地球上の最も美しい場所を探し求めたプロジェクト。ガラパゴス、アラスカ、サハラ砂漠など世界各地で撮影され、熱気球から撮られた水牛の群れ、遊牧民ネネツ族のシベリア横断、サンドイッチ諸島での”ペンギンの楽園”など、生と死が極限に交わる、圧巻の風景が写し出されている」。

メインのポスターは、サルガドが撮影した、サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島のゾウアザラシの子どもの写真。アルゼンチンの東海上にあるフォークランド諸島(英領)からさらに東に1000km離れたこれも英領。

報道カメラマンとしてこれだけ多くの仕事をした人は少ない。被写体はアフリカの難民であり、厳しい自然。世界はなぜかくも過酷なのか。サルガドの写真は2009年12月12日、東京都写真美術館でも見た。

『かさぶた 福島The Silent Views』

カテゴリー: 「写真」を学ぶ, 会見メモ

2016/02/22  23:33


 

見えない放射能災害を記録し続ける写真家の中筋純氏が会見する

見えない放射能災害を記録し続ける写真家の中筋純氏が会見した

 

ゲスト:写真家 中筋純氏(なかすじ・じゅん)
テーマ:3.11から5年
2016年2月22日@日本記者クラブ

 

中筋純氏は2007年からチェルノブイリ原子力発電所の事故(1986年4月26日)現場周辺で写真を撮り続けている。撮った写真を日本全国各地を巡回し写真展を開いている。パノラマ写真を説明しながら、「4キロ離れたプリピアチの団地で16階建ての屋上から見ると、紅葉した木々が広がり、その奥にチェルノブイリの石棺が見える。自然に飲み込まれる難破船のように見える」と話す。

3.11の時はチェルノブイリ25周年写真展の準備をしていた。すぐに福島に向かったわけではない。「福島はどう追いかけていいのか分からなかった。直後は福島ではなく、チェルノブイリに足が向かった」という。

福島への取材を始めたのは2013年、東京五輪の開催が決まったのがきっかけ。「これで流れが変わると思った。福島の忘却が始まると思った」。浪江町に企画書を出し、「公益」目的の一時立ち入りパスを発行してもらった。それで撮影が可能になった。

 

浪江町内のJR常磐線を覆い尽くすセンニンソウ(表紙写真)

浪江町内のJR常磐線を覆い尽くすセンニンソウ(表紙写真)

 

「人の気配が消え去りしばらくすると、それを察知していたかのように植物の萌芽がみられる。

春 アスファルトを割るヨモギ、
夏 路地という路地、壁という壁 藤や葛の千手の蔓這い回り 街は緑の波に飲み込まれる。
秋 穂を揺らすススキやエノコログサにテッポウユリが子どものいなくなったグラウンドを覆い
冬 枯れ草が覆う中 ニワタバコの葉が春を待ち地面を這う

溢れ出す野性は、人間の営みや、記憶に全く無関心だ。あの日の津波が色を変えてまた、ふたたび襲ってくるのか?

自然の暴力を感じるものの 緑にはその意識はなく、かえってやさしく忌地(いやじ)と化した地球上の傷を癒やす幾重もの「かさぶた」となる。

中筋氏は2月末、福島の写真集『かさぶた 福島The Silent View』を東邦出版から出版した。5年間の時間の経過の中で、まるで地球が自らを癒やすかのように福島の傷跡を「かさぶた」のように覆い隠そうとしている姿を見事に記録している。こういう仕事は重要だ。

全国で写真展巡回中(チラシ)。

 

ルシアン・クレルグ写真展

カテゴリー: 「写真」を学ぶ

2015/05/22  15:51


 

「ルシアン・クレルグ写真展」案内ハガキ

「ルシアン・クレルグ写真展」案内ハガキ

 

昼休み時間を利用して、「リコーイメージングアクエア銀座」ギャラリーA.W.P(銀座5)で開催中のルシアン・クレルグ(1934~2014)写真展をのぞいた。ペンタックスQ7を買ったとき、一度講義を受けたことのある三愛ドリームセンター8F。

絵画展や彫刻展には時々行くが、写真展に行くのはほとんどない。最近では「岡村昭彦の写真」展に出掛けたくらいだ(2014.9.19)。関心も無かった。

それでも最近はもっとましなブログ写真を撮りたいという気持ちから、少しずつ写真のことを考えている。考えてもセンスがないから、少しもうまくならない。どうせうまくならないのなら、高級機を買っても宝の持ち腐れだと、1年前に買ったのもミラーレスだった。

一応、スタンダードと望遠レンズの2本でレンズ交換を楽しめるが、所詮お遊び程度。とにかく、写真のことを四六時中考えているようじゃなくては写真の腕は向上しない。撮っていても、つい面倒臭くなり、何も考えないで、ただやたら滅多に撮りまくっているだけだ。

所詮自分はペン記者だから、勝負するのは文章だと思っても、最近は文章だけではなかなか読んでもらえない。どんな記事でも最低1枚は写真を付けるのが普通だ。

毎度、毎度、センスのない写真ばかりではどうしようもない。何とか少しはうまくなりたい。せめて自分の撮っている写真を技術的にも語れるようになりたいと思っている。シニアになって時間も少しできたので、少しずつ勉強したいとも考えている。

ペンタックスファミリークラブにも入った。機会があるごとに、写真展にも足を運び、たくさん写真を見ることにしたい。撮るほうも、やたら滅多り撮るのではなく、少しずつ考えながら撮るようにしたい。時間とお金も徐々にかけたい。

これまでは文章を書くことに最大限の努力を払ってきた。これからもペン記者であることは変わりないが、情報を伝える意味では写真も同じ。たくさん見て、たくさん撮って、たくさん考えたい。

ルシアン・クレルグ(Lucien Clergue)は1934年、南フランス・アルル生まれ。19歳でアルルの闘牛場でパブロ・ピカソを初めて撮ったときが写真家としてのスタートとなった。1950年代後半よりピカソ、ジャン・コクトーの知己を得ている。

「ギャラリー新居東京」の作家紹介によると、彼は1956年、波のヌード作品で一躍脚光を浴び、1957年にはコクトーが序文を書き、ピカソが表紙をデザインした作品集『記憶される肉体』を出版した。アルル写真フェスティバルの創立者の1人。

女性の顔や全身ではなく、部分を自然の中に配置し、そこから想像力を引き出す手法を取っている。エスプレッソを飲みながら、展示してある25点の作品を眺め、テーブルの上に置かれた『記憶される肉体』のページをくった。

 

『岡村昭彦の写真』展

カテゴリー: 「写真」を学ぶ, ジャーナリズム, 政治/外交/国際/軍事, 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2014/09/19  23:09


「岡村昭彦の写真」展(東京都写真美術館)

「岡村昭彦の写真」展(東京都写真美術館)

 

テーマ:岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて
東京都写真美術館

 

岡村昭彦(1929~85)は、1964年6月12日郷の『ライフ』に9ページにわたり掲載されたベトナム戦争の写真によってフォトジャーナリストとして国際デビューした報道写真家。

東京都写真美術館(目黒区三田1、恵比寿ガーデンプレイス内)に行ったのは2009年12月12日のセバスチャン・サルガド展「アフリカ」以来。スカイウォークを歩きながら、「ガーデンプレイス20周年」の垂れ幕を見た。もうそんなに経つんだ。

岡村昭彦には写真というよりも彼の書いたものに触発されてきた。触発された結果、息子の1人にその名前を付けた。この日は『石川文洋を旅する』の映画と掛け持ちしたが、岡村昭彦展のことを調べていた過程で、たまたま石川文洋の映画のことを知った。

どちらもベトナム戦争を取材しており、岡村昭彦をよりよく知るためには、石川文洋も参考になると考えた。これも何かの因縁だ。

『石川文洋を旅する』

カテゴリー: 「写真」を学ぶ, ジャーナリズム, 政治/外交/国際/軍事, 映画/テレビ/舞台

  21:06


『石河文洋を旅する』を写真する

『石川文洋を旅する』を写真する

 

作品名:『石川文洋を旅する』(ドキュメンタリー映画、109分)
監督:大宮浩一
上映館:ポレポレ東中野

 

石川文洋氏(いしかわ・ぶんよう)は、1938年沖縄生まれの76歳。世界一周無銭旅行を夢見て日本を脱出。65年から南ベトナム政府軍・米軍に従軍取材し、戦場カメラマンとしてベトナム戦争を世界に伝えた。68年末に帰国してから今日に至るまで、ふるさと沖縄の姿を記録し続けている。