‘墓参/法事/地域活動’ カテゴリーのアーカイブ

いちご狩り

カテゴリー: 丹波日誌, 墓参/法事/地域活動, 旅行/移動/街歩き, 農業/農地/農政, 食物/老舗

2019/05/19  14:21


 

こちらは「とちおとめ」

 

こちらは「かおり野」

 

「おいCベリー」

 

こんな感じで生っている

 

花はこんなふうに咲く

 

法要の翌日は大阪の姉夫婦が車で帰り、2男ファミリーと2組になった。せっかくなのでいちご狩りを楽しんだ。もう終わりかけだったが、「あぐり丹波3Dいちご園」(丹波市氷上町新郷)がまだやっていた。デッカくて(D)デリシャスで(D)大好きな(D)で3D。

完全予約制60分。小学生以上だと料金は1300円。1月4日に開園した当時は2000円だったが、5月7日以降は1300円に下がっていた。5月いっぱいで終わりだという。

敷地面積3500平方メートルのエリアに13棟のビーニールハウスが建っている。エリア制限がなく、自由にハウス間移動できる。かおり野6テント、おいCベリー3テント、紅ほっぺ2テント、とちおとめ2テント。総株数2万7000株は兵庫県内でも有数だという。

4種のイチゴが食べ放題。60分だと結構時間があって50個くらいで口が疲れた。煩悩の数に相当する108個も食べた人もいた。

東南アジア系のグループを見掛けた。受付のおばさんによると、最近増えており、毎日1~2組は来るという。これも時代を反映しているのだろう。

たっぷりイチゴを食べたあと、母の好きだった回転寿司「すし官太」に行った。姫路、神戸、たつ野、加西、丹波などの各市に店を持っている。

午後2時すぎに2男ファミリーとも別れ、丹波篠山市経由で雨引峠を越え、京都縦貫道千代川インターから高速に乗った。途中行きと同様、刈谷で一休み。炭酸泉に入った。午後9時に出発し、東京・練馬の自宅に着いたら午前1時30分だった。走行距離1166km。

丹波の老舗「三友楼」

カテゴリー: 丹波日誌, 墓参/法事/地域活動, 旅行/移動/街歩き

2019/05/18  23:59


 

 

先付=(富山産ホタルイカ辛子酢味噌、黒豆蜜煮)いくら醤油漬け

 

温物=たけのこ道明寺蒸し

 

小鍋=焼き物丹波黒どり入り寄せ鍋

 

焼物=ポークヘレのロースト

 

酢物=小鮎南蛮漬け

 

揚物=チーズおかき揚げ、海老ごま豆腐おかき揚げ

 

御飯=小海老、たけのこご飯、香の物、汁

 

母の7回忌と義曾祖父の50回忌供養を午後2時から菩提寺の円成寺で行った。参加者は親族10名。法要を済ませたのち、車で5分ほどのお墓に行って、圓満塔の後ろに1~2mの細長い塔婆(サンスクリット語で仏塔を意味する「ストゥーパ」が語源、卒塔婆が正式な言葉)を立てた。

ホテルにチェックイン後、午後5時30分から丹波の料亭「三友楼」(丹波市柏原町)で会食した。和食は健康食として世界から注目を浴びているが、健康のためには1日に30品目を食べるように言われている。

「懐石は焼物、煮物など約10品の料理を食材が重複しないようにつくる。また、肉は少なく、野菜・魚が多いのが通常だ。懐石を一度食べると30品目は軽くクリアするという。和食はバランスのとれた食事なのだ」(「食」は健康から始まる)という。

きちんとした懐石料理を写真に残しておきたいと考えていたが、食べることに頭が行って、今回は先付けの富山産ホタルイカ辛子酢味噌、黒豆蜜煮を撮り忘れ、いくら醤油漬けだけになってしまった。

温物と小鍋の間の造り(カンパチ、ホタテ、マグロ)と最後の水物(カボスゼリー、いちご、わらび餅)を撮り忘れた。

 

山本求(茂斗萌)画伯の舞妓を描いた作品が隣の部屋に飾ってあった

 

三友楼は奥丹波「柏原(かいばら)」で料亭を営む「味の老舗」。上皇になられた前天皇陛下が皇太子のときに妃殿下と一緒にこられ料理を召し上がったという。将棋の女流名人位戦の対局場にもなったことがあるという。

昔から格式の高い料亭だと聞いており、私は18歳まで当地に住んでいたが、これまで三友楼の食事をいただいたことがなかった。初めてだった。

ちなみに3階の別室には日本画家の山本求(茂斗萌)氏の舞妓図が飾られていた。山本氏は明治35年東京生まれ。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業後、昭和3年から柏原町に在住し、旧柏原中学校(現柏原高校)の図画科の担任として勤めるかたわら、昭和11年以降、官展、日展に入選を重ねた画家でもある。

われわれの会食した部屋には山本氏に見出された画家・川端謹次の絵が飾られていた。両画家の多くの作品は丹波市立植野記念美術館(丹波市氷上町)などに寄贈されている。

柏原そぞろ歩き

カテゴリー: 丹波日誌, 墓参/法事/地域活動, 旅行/移動/街歩き, 花/木/樹

  21:15


 

落葉高木のモクレン科のユリノキの花

 

この大ケヤキを「木の根橋」と言う

 

幅8mの奥村川をまたいで根が伸びている

 

木々の梢から青々とした新緑が

 

丹波市柏原支所

 

料亭「三友楼」

 

泊まったのはグリーンホテル「松風」(丹波市柏原町)。ビジネスホテルだ。法事に参加した3組が泊まった。ホテルから歩いて10分ほどの柏原町市街地に料亭「三友楼」はあった。

歩いてそこに行った。途中、木の根橋を渡った。この大ケヤキは兵庫県の指定文化財で、柏原(かいばら)の大ケヤキという。幹周6m、樹高22m、推定1000年。幅6mの奥村川をまたいでいる。

ケヤキの大樹の奇形は珍しく、その形状から「木の根橋」と呼ばれ、四季の変化の美しさとともに、柏原町のシンボル的存在として長く親しまれている。

柏原は戦国時代の武将・織田信包(のぶかね)が作った城下町。明治2年の版籍奉還まで織田氏の城下町として栄えた。木造の建物は旧町役場(現在は丹波市役所の柏原支所)。とにかく古い建物だ。

初の一般参賀

カテゴリー: 墓参/法事/地域活動, 東京日誌Ⅲ, 祭り/フェスティバル

2019/05/04  22:47


 

ずらりと並んだバス

 

むしろこんな感じでもいいな

 

日比谷サローでランチを

 

昔懐かしオムライス

 

東京ミッドタウン日比谷の6階では読み聞かせとミニコンサートが開かれていた

 

 

日比谷公園の新緑が目にまぶしい

 

日差しを避けて

 

9歳の誕生日を迎えた孫と一緒に皇居の一般参賀に行った。一般参賀は70歳になるまで行ったことがない。天皇家への敬意がなかったわけでもなく、象徴としての意義を認めていないわけでもなかった。

いろんなタイプの人が多いのは知っているし、陛下に熱い思いを抱く人が一定数いることも知っているものの、だからと言って皇居まで行く気にはならなかった。

しかし、今回は代替わりである。改元でもある。お祭りみたいなものかもしれない。遊びついでに行ってみた。あんまり並ぶようだと素直に撤収することも視野に入れていた。

案の上すごい人だった。翌日の新聞を見たら、一般参賀者は約14万人だったという。結構暑かった。行列に並ぶのに慣れていない人間には辛い。

東京都千代田区では4日、気温が6月上旬並みまで上昇し、一般参賀の会場では体調不良を訴える人が相次いだという。皇宮警察本部によると、熱中症などで121人が救護所で治療を受けた。救急車の搬送も28人に上ったようだ。

妻と私と孫。即位式典委員会から手渡された日の丸の国旗を手に30分ほど並んだが、やはり断念した。いったん中に入ると、すぐに出られない。そうならないうちに諦めた。われわれは30分足らずに列を離れたが、荷物検査終了時点で離列した人たちもいた。

「これからも平和を」「両陛下との距離を近くに感じた」。天皇陛下の即位を祝う一般参賀には全国から多くの人が集まり、祝福の声を上げるとともに、新しい令和の時代への思いを深めた。

「せっかくの機会だから」と同級生と足を運んだ東京都の私立高校1年生は「時代の変わり目に高校生活が始まり、令和と不思議な縁を感じる」、「人混みでほとんど見えなかったけれど、お祝いできてよかった」(横浜市の主婦)、「皇室は外国人に優しいイメージがある。新しい陛下をひと目見たい」(36歳の中国人女性)。5日の日経朝刊にはいろんな意見が載った。

とにかく雰囲気はつかめた。これまでは皇居には行こうともしなかった。むしろ拒否していた感じすらある。70年経ってずいぶん変わった。身近に陛下の存在を感じただけでも良しとしたい。

午前11時すぎだった。ランチは日比谷公園の中にある1949年創業のビアレストラン「日比谷サロー」。同じ公園内に会社があったときは何回も来たことがある。孫は昭和カレーをベースにしたカレードリア、妻はタイ料理をアレンジした東京36ライス、私はスタンダードなスタイルにこだわった「懐かしの昭和おむらいす」を食べた。オープンガーデンは気持ちが良かった。

東京ミッドタウン日比谷をのぞいた。6階パークビューガーデンでは13時30分開演で「お話と歌の広場」が行われるという。

公益財団ニッセイ文化振興財団「日生劇場」が企画・制作したイベントで、おお雨(おおはた雄一+坂本美雨)の2人がお話と歌を歌った。

読み聞かせは「しっかりものの錫(すず)の兵隊」(作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン)と「ゆうきくんのフシギないちにち」(作:多摩美術大学ストーリー表現研究会有志)の2話。

少し暑かったので演奏している2人は辛かったのではないか。時折、心地よい風が吹くと気持ち良かった。

民衆にとっての「墓」とは何か

カテゴリー: 墓参/法事/地域活動, 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2019/02/26  22:43


 

民衆にとっての「墓」とは何か

 

エジプトのミラミッドにしても、日本の古墳にしても、それは支配者の墓であって民衆の墓ではない。名もない民衆にとって、死者とはどういう存在だったのか。墓とはどういうものだったのか。

日本は少子高齢化のトップを走り、個人化している。長い間、「日本の葬送は古来より不変の慣習」という神話がはびこってきた。この「葬送」はいま大変動期を迎えている。

葬送ジャーナリストの碑文谷創(ひもんや・はじめ)氏を迎えて2月26日午後7時から、日比谷図書文化館(千代田区日比谷公園)で「民衆にとっての墓との変遷-葬送の原点を探る」と題する講演会が開かれた。

碑文谷氏は1946年、東北出身の73歳。私より2歳年上だ。東京神学大学大学院修士課程中退。出版社に勤務し、44歳で独立。それが葬送文化専門雑誌『SOGI』。編集長を4半世紀務める。

・フランスの歴史学者フィリップ・アリエス(1914-1984)によると、人間は「死者を埋葬する唯一の動物」だという。

・DNA鑑定の結果、現代のヒトであるホモサピエンスにはネアンデルタール人の遺伝子が1~4%ほど含まれているという。ネアンデルタール人は「滅亡」ではなく、新人と混血して亡くなったとの説も出ている。

・3世紀頃から豪族の大きな墳墓である古墳が作られた。古墳の中には石室が作られ、遺体は棺に納められ、副葬品が添えてある。人物や動物をかたどった埴輪やさまざまな用具が副葬品として納められた。

・古墳文化は3世紀後半から7世紀にかけて造営された土を高く盛り上げて築造された権力者、豪族、位の高い人やその家族等の大規模な墓。手厚く葬った葬法「厚葬」(こうそう)も儒教文化が伝来すると6世紀頃から次第に少なくなる。

・厚葬が廃止されるのに決定的な影響を与えたといわれるのが大化の改新で、646年に薄葬令が出されたことによる。大化の改新(645年)は中大兄皇子(後の天智天皇)、藤原鎌足が蘇我入鹿を暗殺し、天皇中心の律令国家建設を目指したといわれる。史実は確定していない。

・薄葬令は古墳のような必要以上の大きな墓を作ることは貧窮を招くと警告する一方、死者の身分により墓を作る夫役の延べ人数の上限を定め、遺体は意っての墓地に集めて埋葬することとし、もがり(遺体を別室に置いて骨になるまで見届ける)や殉死、宝物を副葬品とすることを禁じた。

・弥生時代には土坑墓がみられることから土葬は一般的だったと思われる。土葬以外にも死体遺棄に近い形の風葬(山の麓や海岸などに遺体を置き、自然に還す葬法)で、あちこちに葬られていた姿が想像される。

・これは中世になっても変わらなかったようで、『今昔物語』には平安京の正門・羅生門の上に遺体が遺棄された様子が描かれたり、『八幡愚童訓』には、辻に野捨てにされた死体を犬などが食べるありさまが書かれたりしている。山や麓や川原などに死骸、白骨が捨てられることは珍しいことではなかった。

・長い間、墓を作ることができたのは上層階級に限られており、貴人や官人などを除くと、民衆には鎮めなくてはならない霊魂の存在など認められていなかったかのように思われる。

・浄土に行く。山の上にある霊山。あるいは海の麓にある。中世までは土葬、風葬などが入り交じっていた。

・火葬は統計上100%。土葬は約120件。年間死亡者数は137万人。明治の20年代の火葬は20数%で、土葬のほうが多かった。火葬の最初は700年の僧道昭(中国から来たお坊さん)の時と「続日本記」に書かれている一方で、659年ごろの和歌に火葬の煙を詠んだものがあり、こちらを記録上最古とする説もある。仏教が火葬を持ち込んだ以前に火葬があったのではないか。弥生前期紀元前300年ごろに火葬跡が検出されたほか、6世紀後半以降の遺跡からも火葬跡、火葬された人骨が発見されている。

・火葬は薪を用意しなければならないなどお金がかかるなど普及はいま一つ。一般の火葬はなかなか進まなかった。日本人に火葬が受け入れられたのは「白骨化が成仏の徴」とする、仏教による意味づけが必要だった。野蛮だとか熱いとかの意識を抑えた。仏教の影響は大きい。

・一般に火葬が進むのは明治の中頃以降のこと。

・応仁の乱以降の戦国時代は災害、飢餓、戦災の時代である。それまでの寺院は貴族、武士を檀那(スポンサー)にしていたが、農業生産力の向上で力を付けた民衆が村を形成し、民衆が村を形成檀那となる寺院が各地で作られていくことになる。10~30㎝の小型(90㎝を超えない)の稚拙な(石工が作ったものではない)一石五輪塔や石仏が民衆に流行した。

 

墓参

カテゴリー: 墓参/法事/地域活動

2018/09/23  21:58


 

線香を付けるには風が邪魔。そのために線香点火台があった

 

線香を横に置く方法と立てる方法があることに気づいた

 

こんな区画が75もある

 

64haの広大さを誇る都営八王子霊園の案内図

 

帰る頃は大きなまん丸の月が空にかかっていた。時期的に中秋の名月かなと思った。自宅に帰って調べたら、中秋の名月は翌24日で、ついでに言えば25日が満月だった。太陰暦を元にしており、昨年は10月4日、来年は9月13日と散らばっている。

義母と義父の墓参りをした。毎年1回は行っている。妻の両親で、彼らの眠る都営八王子霊園(八王子市元八王子町)までは車で49km。一般道を走ると2時間30分ほどかかった。普通なら1時間で着くが、2.5倍かかった。

連休の合間で、しかも午後1時すぎに練馬の自宅を出た。そんなにかかるとは思わなかったが、ナビの指す時間は15時35分だった。3連休の合間である。

一番かかったのは八王子市内。とにかく、ちょっと走ったら渋滞、渋滞を抜けたと思ったらまた渋滞。どうしようもない。車の増え方に道路事情が追いついていない。

人口少子化時代に入って以来、地方の人口は減っているのに対し、東京は増えている。東京もそろそろ減少に転じるはずだが、それでもまだ増えている。東京一人勝ちの状態が依然続いている。

最近、東京では北海道や九州、四国など遠隔地ナンバーの車をよく目にする。2年前に建った自宅前のマンションでも14台の収容車数のうち札幌ナンバーが2台もあった。街を走っていても遠隔地ナンバーが目立って増えた。

私も8年間神戸ナンバーのまま東京を走っていたから自慢できないが、札幌ナンバーは札幌納税事務所に自動車取得税を地元で払っている。ふるさと納税と同じだ。

地下鉄車両の車内広告も地方のイベントが目立つ。福島県はもとより、岩手県や青森県など東北が目立つ。年末には佐野厄除け大師の初詣の広告が目立った。これに惹かれて栃木県に行ったこともある。地元で広告を出すより東京に宣伝し、東京から来てもらったほうが集客になるとの狙いからだ。

小平にこないか?

カテゴリー: 墓参/法事/地域活動, 歴史的建造物/産業遺産

2018/06/24  22:01


 

旧小平小川郵便局舎の前に立つ丸ポスト(保有数は都内自治体ナンバーワンの37本!)

 

旧神山家住宅主屋

 

旧神山家住宅内部

 

中で小平市の伝統食「小平糧(かて)うどん」(500円)をいただく

 

神棚

 

木には苔が・・・

 

庭で竹馬に乗る

 

親子で遊ぶ

 

小麦粉を挽く水車小屋

 

水車が回る

 

水車小屋内部

 

小川村の開拓当初の復元住居

 

同内部

 

玩具類・・

 

東京都小平市(人口19万2000人)。多摩地域北部に位置する市で、聞いたことはあったが、「小平にこないか?」とどういうわけか調べることになった。起点は小平ふるさと村(小平市天神町3)。

「小平の地は江戸時代初期の玉川上水の開通に伴って開発が行われた新田村落。かつては青梅街道をはじめ、東西に走る各街道沿いに屋敷森に囲まれた農家が並び、農家の南北には短冊形の畑が続いていた」という。

「こうした中で小平市は寄贈を受けた旧小川家住宅棟のほか4棟の建物を解体保管してきた。市民の郷土に文化に対する関心の高まりに応え、これらを文化遺産として後生に伝えていくために、平成5年(1993)に小平ふるさと村として開村した。

 

高松劇場

カテゴリー: 墓参/法事/地域活動

2018/03/10  18:26


 

 

たかまつ劇場

 

練馬区高松地区区民館で3月10日、「青い卵」によるパフォーマンスが行われた。道化師YAMAさんとオペラ歌手まりさんのユニットで、1時間にわたってレクルームで大道芸を演じてくれた。

歌姫と赤鼻のコンビ「青い卵」によるパフォーマンスはボールやハットを使った遊びが中心で、こどもたちを含めて100人ほどの会場を楽しませてくれた。

モスクワ国立サーカス学校で学んだ道化師YAMAと音大出身のオペラ歌手宮城摩理によるパフォーマンスユニット。卵はわくわくする。色つきならもっとわくわくすると思いで「青い卵」にしたという。

高松区民館は1年間リニューアルを行い、昨年4月からオープンした。こういうところをもっと仕えるようにしたい。

平成29年度北原小運動会

カテゴリー: 体調/体力/運動/病気, 墓参/法事/地域活動

2017/09/30  18:41


 

平成29年度プログラム

 

 

「つなげてひろげて2年のWA」

 

ご飯を作ってくれたお母さんに感謝。外でゴザを敷いて食べたのは実に久しぶりのことだった

 

平成29年度運動会が練馬区北原小学校で9月30日(土)開かれた。初孫が今年は2年生になった。去年はどうしてもいけなかった。

今年のスローガンは「心を一つに 勝利を目指して 全力でかがやこう」。競争より協調を重視している時代が続いたものの、100m走やリレー、騎馬戦など対決姿勢を煽る種目もあった。競争こそ人の世の本質だが、世の中にはぼんやりした子もいる。競争したくない子もいる。

自分の子となると親は大変だ。親の言葉通り、子どもは動いてくれない。深く突き刺さらなければ、子どもは動かない。子どもをどう動かせば良いのか。難しい。

高松町会盆踊り2017

カテゴリー: 墓参/法事/地域活動, 東京日誌Ⅲ

2017/07/22  22:04


 

今年もやってきました夏祭り!

 

みんなこの人達が尽力してくれたせいです

 

高松町会盆踊り

 

盆踊りは23日もあります

 

地方の町の盆踊り。お菓子がもらえるのが嬉しくて。お菓子をもらって、マツケンサンバで燃え上がって、今年の夏の暑さもこれで吹き飛ばそう。

今日は午前中から東大の公開シンポジウムに出掛け、帰ってからすぐに近所の盆踊り大会に行った。こちらは夏休みが始まるとともに行われる初夏の名物だが、今年は停電騒ぎがあった。

30分も空費したが、関係者の努力は大変なものだ。マツケンサンバで停電を吹き飛ばして燃えた。