‘悲憤・慷慨・憤怒(政権批判)’ カテゴリーのアーカイブ

ゴーン日産会長逮捕

カテゴリー: 悲憤・慷慨・憤怒(政権批判)

2018/11/19  23:39


 

「報道STATION」(テレビ朝日LIVE画面から)

 

自宅に戻ったら午後8時。知ったのはスマホの時事通信速報。日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕されたという。何が何だかよく分からない。9時から始まったNHKのニュース9をみても事情がよくつかめない。

端緒は同日夕刻に配信された日産の名前による日産自動車のニュースリリース「当社代表取締役会長らによる重大な不正行為について」によるものだった。

日産自動車(本社:神奈川県横浜市、社長:西川広人)は、内部通報を受けて、数カ月にわたり、当社代表取締役会長カルロス・ゴーン及び代表取締役グレッグ・ケリーを巡る不正行為について内部調査を行ってきた。その結果、両名は、開示されるカルロス・ゴーンの報酬額を少なくするため、長年にわたり、実際の報酬額よりも減額した金額を有価証券報告書に記載していたことが判明した。

そのほか、カルロス・ゴーンについては、当社の資金を私的に支出するなどの複数の重大な不正行為が認められ、グレッグ・ケリーがそれらに深く関与していることも判明した。

内部調査によって判明した重大な不正行為は、明らかに両名の取締役としての善管注意義務に違反するものであり、最高経営責任者において、カルロス・ゴーンの会長及び代表取締役の職を速やかに解くことを取締役会に提案する。また、グレッグ・ケリーについても、同様に代表取締役の職を解くことを提案する。

日産の西川(さいかわ)広人社長兼最高経営責任者(CEO)は夜10時から日産本社で記者会見し、「重大な不正行為を確認した。会社として断じて容認できる行為ではない」と述べた。

同社長は、一連の不正について、「長年にわたった統治の負の側面と言わざるを得ない。故人に権限が集中しすぎた点に明確な手を打ちたい」と語った。

 

参院は不要だ

カテゴリー: 悲憤・慷慨・憤怒(政権批判)

2018/07/19  12:56


「参院6増法が成立」を伝える日経一面

 

最近新聞をそれほど熱心に読まなくなった。自分が定年となり、正規の労働者でなくなったせいだ。しかし、世の中には不思議なことや腹立たしいことも多い。

珍しいことや好奇心を引くことは「好奇心こそ力の源泉」をモットーにこのブログで一生懸命拾っているが、権力者を取り上げるとなると、批判するにはそれなりの心積もりが必要だ。批判のための批判では意味がない。

対案が必要だし、それはそう簡単に出てこない。そうなると、どうしても批判は手控えることになりがちだ。

しかし、今年7月に70歳になった。70歳と言えば、大変な歳である。「古来、稀なり」。子どもたちから古希の祝いをしてもらった。ボーナスの一部を投入してくれた。嬉しかった。

カテゴリー「悲憤・慷慨・憤怒」は持って行きどころのない抑圧的な怒りをたまに書いてきたが、おかしいことはおかしいとはっきり言っておきたい。権力は腐敗する。

安倍政権も最近はよたよたし始めている。納得いかないことも少なくない。政治的な言動はあまりしなかったが、もうそろそろ良いのではないか。

「参院定数を6増やす改正公職選挙法が18日に衆院本会議で自民、公明両党の賛成多数で可決、成立した。埼玉選挙区の定数を6から8日増やし、比例代表を96から100にした。総定数は242から248となった。

改選公選法は自民党の議員立法で、来年夏の参院選から適用する。参院の議員定数が増えたのは沖縄の本土復帰に向けて沖縄選挙区を設けた1970年以来となる。埼玉選挙区の定数増で選挙区の「1票の格差」は3倍未満に抑えられる見通し。」(日経7月19日付朝刊)

民主主義の土台である選挙制度の改革を参議院で6時間超、衆院では3時間程度で打ち切り、全く熟議のないまま数の論理で強行したことは、参議院の不要論が噴出する今の時代に逆行するとしか思えない。

最高裁も1票の価値は平等だと杓子定規に構えていれば、こういうことになることを十分考えるべきだ。裁判所はもっと現実的になるべきだ。

自民党の党利党略、現職救済を優先させた。国会中継を見ても参院の議員は名前も知らない。そんな人が6人も増えて、248人もいる。しかも、彼らには大変なコストが付随する。コストをかけてもそれに相応しい仕事をしてもらえるのなら、それも必要だが、そうではない。

彼らの語る言葉はみな空疎だ。舌戦はかみ合わない。言い放しだ。見るに堪えない。

 

「公文書問題」で福田康夫元総理

カテゴリー: ジャーナリズム, 悲憤・慷慨・憤怒(政権批判), 政治/外交/国際/軍事

2018/06/01  22:35


 

福田康夫元首相(81)

 

ゲスト:福田康夫元総理
テーマ:公文書管理について
2018年6月1日@日本記者クラブ

 

元内閣総理大臣の福田康夫氏は1936年7月16日生まれ。81歳になる。政治家は高齢だが、この人もしっかりしている。政治家というのはどういう加減で長生きするのか。よく分からない。

2007年9月から08年9月まで内閣総理大臣を務めた。父の福田赳夫氏も総理だった。

福田元総理は学校法人「森友学園」に関する決済文書改ざん問題で「記録を残すのは歴史を積み上げることだ。公文書は石垣の1つであり、ちゃんとした石でなければ困る」と財務省を批判した。

福田氏は首相在任中、公文書管理法の制定に取り組んだ。今回の問題について「改ざんなんてことがあり得るのかと思った。ちょっとさびしい話だ」と述べた。

佐川宣寿前国税庁長官らが不起訴処分になったことについては、「おとがめなしとなってしまったら、(近畿財務局で3月に)自ら命を絶った人はいったいどうなるのか」と指摘した。(毎日新聞WEB版)

 

モヒート(アディロンダックカフェで)

 

内幸町の日本記者クラブからの帰途、神保町のアディロンダックカフェ(千代田区神保町)に寄った。コーヒーを飲もうと思っていたが、外が意外と暑く、ついモヒートと言ってしまった。

前に飲んだとき、マスターに教えてもらった。ラム酒ベースのカクテル。フレッシュミントを入れ、おしゃれなカクテルとして最近人気らしい。タンブラーグラスの底にグラニュー糖がたまっていて、それをつぶしながら飲むのが楽しいという。

さらにモヒートは1890年代に生まれ、文豪ヘミングウエーも愛したカクテルだったということになれば、もう飲まずにはいられまい。

アディロンダックカフェのすぐ近くに最近バー「街路」ができた。どうもそこの売り文句がモヒートらしい。本格派のバーだ。マスターの話だと、1年くらい前にできたようだ。この夏、一度ここでも飲んでみたい。

組織犯罪処罰法改正案

カテゴリー: 会見メモ, 悲憤・慷慨・憤怒(政権批判)

2017/05/26  22:34


 

 

処罰の膨張と捜査権限の拡張・浸透を懸念する葛野教授

 

ゲスト:葛野尋之・一橋大学大学院法学研究科教授
テーマ:組織犯罪処罰法改正案について
2017年5月26日@日本記者クラブ

 

消えた「耕作放棄地」

カテゴリー: 悲憤・慷慨・憤怒(政権批判)

2016/08/16  23:16


 

「消えた耕作放棄地」の記事(8月14日付日経朝刊)

「消えた耕作放棄地」の記事(8月14日付日経朝刊)

 

前期高齢者になった頃から、いろんなことに腹立ちを覚えるようになってきた。文字通り歳のせいだと思うが、我慢ができない。役所の窓口でも店員の接客でもつい口に出して文句を言いたくなる。その気持ちをこらえるのにエネルギーが必要だ。

「歳をとると自分のことしか考えられなくなる」という。恐らくそういうことなのだろう。これから後期高齢者になっていけば、その度合いが一段とひどくなるのではないかと恐れている。

ただ、個人的なことはともかく、公的なことについては不満や不信ははっきり口にしてもいいのではないか。ただ現実には口にはなかなか出せないので、せめて文章で表現しようと思う。悲憤、憤慨、慷慨・・・。おかしいことはおかしいと指摘したい。

最近ずっと感じているのは政府や政治家は国民の命を守らない。役人・官僚・警察にとって重要なのは組織防衛であり、そのための行動指針は責任回避だと強く感じる。国民の命はそれほど重要ではなさそうだ。真剣に国民の命を守っているとは思えない。そう思わざるを得ない事案がしょっちゅう起こるからだ。

精神衛生対策から、自分で腹の立つ問題を「悲憤・憤慨・憤怒」ジャンルで開陳したい。自分なりのガス抜きでもある。

8月14日付日経朝刊が「消えた耕作放棄地」という記事を載せている。「耕作放棄地」という言葉は農業問題を扱う場合、必ず登場してくるキーワードだが、この言葉がいつの間にか農水省のホームページの主な項目からデータが消えていたという記事だ。

この言葉は担い手不足から農地が耕されないままになっている農業の厳しい実情を示す言葉としてのリアリティーを持っているが、「似たような数字があるので、分かりにくいとの指摘があったから」削除することにしたという。似たような数字とは「荒廃農地」を指す。

「荒廃農地」は「耕作放棄地」より面積が狭く、農地の悲惨な実態を隠す上では重宝なようだ。記事を書いた記者は「荒れ地を狭く見せるためなどの見方も出そうだが、実際はそういう意図はなさそうだ」と農水省側の肩を持った書き方をしている。

耕作放棄地の調査は「すでに作付けをやめた農地を耕作する気があるかどうかを農家に聞いているだけで、どの農地がどんな状態かが分からない。頻度も5年に1回と少ない」。これに対し、「荒廃農地は08年から市町村の職員などが農地を訪ねて調べ始めたのが荒廃農地」とし、実施は年1回で、指標性としてはこちらが高いというのが肩を持つ理由だ。

しかし、「耕作放棄」と「荒廃農地」では言葉の与えるインパクトが違う。前者は担い手が耕作を放棄したという問題の所在が明確だ。これに対し「荒廃農地」は主語がない。誰が放棄したのか曖昧で、責任も不在だ。言葉の持つインパクトが消し飛んでいる。

責任を明らかにすることを極度に嫌う官僚用語の典型ではないか。実情や実態の深刻さをいかに薄めるか。そんな深刻な現実を招いた責任を問われることを極力回避することを考えたためと思いたくなる。

実態をいくら薄めても、改善しない。実態から国民の目からそらすことばかりに頭を使っている官僚の狡猾さを感じる。