‘旅行/移動/街歩き’ カテゴリーのアーカイブ

ディープな下町・蒲田

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 東京日誌Ⅲ

2019/02/19  16:47


 

サンライズ入口

 

サンライズ出口

 

サンロード入口

 

サンロード出口

 

最近、JR京浜東北線蒲田駅によく行く。探していた脊柱管狭窄症の専門医を見つけたからだ。JR蒲田西口から10分くらいの病院だ。京急線蒲田駅は大田区産業プラザがある。ここでは産業関係のセミナーをやっており、ここ数年年に3回くらいは通っている。

総武線の大久保にある東京山手メディカルセンター(新宿区百人町)にも行っている。山手線の新大久保駅のほうが近いが、韓国系のほか、最近は他のアジア系も進出している。

大田区内の2大繁華街は大森と蒲田。2つを足すと大田区になる。京急線蒲田駅からは羽田空港線が延び、大規模改修工事が行われた。京急蒲田駅はびっくりするほど大きな駅に生まれ変わった。

JR蒲田西口周辺はアーケード式の商店街がいくつかある。サンライズとサンロード、一番駅寄りの道路には「バーボン通り」という看板がぶら下がっていた。サンライズは1キロくらいか。手芸専門店ユザワヤは蒲田発祥だという。

蒲田はB級グルメが有名で、とんかつと羽根つき餃子が名物。サンライズ商店街のとんかつ・なべ『多津美』(たつみ)でヒレカツ定食を食べた。少し堅かった。

蒲田が終戦直後に焼け野原と化したことは知らなかった。この蒲田を舞台に、地域医療に生きるヒロイン・梅子(堀北真希)を描く、尾崎将也氏脚本のオリジナル作品(2012年春放送のNHK朝ドラ「梅ちゃん先生」)が放送され、好評だった。

大学病院の医師である父を持つ3人姉兄の末っ子に生まれた梅子だが、父の姿を見て医者を志す。持ち前の負けん気で女子医学専門学校に入学し、卒業後は研修などを経て自宅横に診療所を開き、「梅ちゃん先生」と親しまれる。

旅行作家「兼高かおる」さん死去

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 映画/テレビ/舞台

2019/01/10  23:16


 

兼高かおるさん(オダブツのジョー氏のツイートから)

 

「テレビ番組『兼高かおる世界の旅』の案内役を長年務めた旅行作家の兼高かおる(かねたか・かおる、本名=兼高ローズさん)が1月5日午後8時45分、心不全のため東京都内の介護施設で死去した。90歳だった」(1月10日付朝刊)。

米国留学後、英字紙でフリー記者として活躍。1959~90年に放送されたTBS系の「兼高かおる世界の旅」では、制作やナレーターを手掛け、北極点や南極点も訪れた。全行程は721万キロとなり、海外旅行ブームに火をつけた。

「兼高かおる旅の資料館」(兵庫県淡路市)の名誉館長や、「横浜人形の家」(横浜市)の初代館長も務めた。91年に紫綬褒章。神戸市出身。

1958年7月27日、兼高かおるさんが、スカンジナビア航空主催の「世界早回り」に挑戦し、73時間9分35秒の(当時)新記録を樹立。この日、挑戦を達成し、羽田空港に帰国。その勇姿がオダブツのジョー氏のツイートに載っている。

兼高氏の香蘭女学校の後輩に当たる黒柳徹子(85)氏がコメントを発表している(日刊スポーツ)。

「なんと悲しいニュースでしょう。兼高さんは、大変美しい方で、私の女学校の先輩でしたが、バザーなどで、卒業した兼高さんがいらっしゃる事がわかると、私たち在校生は、門から一列に並んで、キャーキャー言いながらお迎えをしたくらいの、私たちにとって大スターでした」

「その後、テレビをお始めになり、まず、外国へ行くこと楽しさ、その国々の色々な習慣や違った文化、そんな中に、兼高さんはどんどん入っていらして、現地の人たちと交流していらっしゃいました。のちに、私はユニセフの親善大使になりましたが、行く先々で兼高さんの事を思い出していました。ドキュメンタリーをきりひらいた先駆者、兼高かおるさん、私たちに与えた影響は凄く大きなものがありました。心から感謝をしています。本当に本当に、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました」

多くの人が同番組を見ていたが、私もその中の1人。当時は中学生の時だった。これを見て社会、特に地理が強くなった。これで社会だけが通信簿で5となり、自信がついた。将来は外交官かジャーナリストになりたいと思い出したのも彼女に影響を受けたからだ。

最近、毎日のように知っている人が亡くなる。人はいずれ死ぬ。死に方も難しい。好奇心が消えたら定年だと思うが、最期のときはそれよりさらに経ってから。死ぬときは好奇心もない。何なんだろうと思うが、それも人生かもしれない。ともかくも合掌。

さよなら東京

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

2018/12/25  22:39


 

孫2人と母親を送って東京駅に行く

 

東海道新幹線のりばも懐かしい

 

東海道新幹線は3人に1人がネット予約する

 

時刻表を見ると心が和んでくる(丸の内南口)

 

改札の外に立って上を見上げるとこんな具合だった

 

ファミリーが一堂に集まるクリスマス会は終わった。我が家の1年間で最大のイベントだった。みんな正月は地元に戻り、また実家に帰る。残された2人は静かに正月を迎えるだけだ。

 

大吟醸から燗酒まで720ml×3種類の日本酒飲み比べセット

 

大阪で留守居をした2男は自分が来る代わりに御歳暮を佐川急便で送ってきた。宅配便の届いたのはクリスマス会をやっている最中の24日だった。720ml×3種類の日本酒飲み比べセット。

本人が来ないのは問題だが、中国出張で疲れも溜まっていたのだろう。これで祝い酒を買いに行くことがなくなった。

小鼓(こつづみ)は西山酒造場(兵庫県丹波市市島町中竹田)の看板酒。創業から170年以上、ずっと私たちを支えてきた。日本3大杜氏「丹波杜氏」発祥の地でもある。

西山醸造場の3代目蔵主は泊雲、4代目蔵主は小鼓子として俳句に精通しており、2人が師事したのが高浜虚子。彼の命名で、「小鼓」が誕生した。

 

秋色の日比谷公園

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 花/木/樹

2018/12/07  23:40


右手は日比谷図書文化館
鶴の噴水のある池
鶴の噴水の背後は日比谷ミッドタウン

自撮りに熱中するアベック
老舗フランス料理屋・南部亭のそばにあるイチョウ

 

日本記者クラブで会見を1つ聞いたあと、日比谷図書文化館に寄った。2冊返却し、2冊借りた。

どちらも志水辰夫で、『引かれ者でござい』(蓬莱屋帳外控)と『つばくろ越え』だ。志水辰夫をこれまで何冊も読んできた。現代物が多かったが、あるときを期して志水は時代物に転身したらしい。

志水の場合、話の内容がどう展開するのか最後まで分からないのが気になるが、達意の文章は読んでいて引き締まるものを感じる。

返却後、図書館の周りを散策した。日差しが少しあり、意外と暖かかった。秋色も濃く、冬を迎えようとしている。

道志川温泉「紅椿の湯」

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

2018/11/27  23:56


 

甲斐の猿橋(上)は日本3大奇矯のひとつ

 

四層のはね木がテコの原理で橋を支える特殊な建築方法で木造で現存しているのはここだけ

 

下を流れる桂川

 

広重の「甲陽猿橋之図」にも描かれた名所

 

道志川温泉「紅椿の湯」

 

すっかり山梨県リニア見学センターで時間をとられ、そこを出たのは15時半すぎ。しかも、肝心のリニアは走らず。空振りに終わった。

外は小春日和で暖か。その中を館内でずっとリニアを待っていた。とんだ見学日になってしまった。せっかくなので「甲斐の猿橋」(大月市猿橋町)に行った。

山梨県の猿橋は「錦帯橋」(山口県)と「木曽の桟(かけはし)」(長野県)とともに日本三奇橋の一つ。

大月桃太郎伝説が残る日本3奇橋の一つ」によると、「四層のはね木がテコの原理で橋を支えている橋脚を全く使わない特殊な建築方法。木造で現存しているのはここだけ」だという。

今回の山梨行の真の目的地は道志村だった。そこで東京から移住し、バイオマスと林業に取り組んでいる大野航輔氏の仕事ぶりの一端をみたいと思っていたが、リニア見学センターに引っかかってアウト。ずさんな計画だが、これでいいと思っている。

午後5時をすぎ、暗くなっていたが、道志村に向かった。びっくりした。山を2つも越した。トンネルを掘れば簡単だが、掘るだけの経済性がないのかもしれない。90度、180度、360度のカーブまたカーブの真っ暗な道を何とか進み、ようやく道志村に辿り着いた。しかし、夜なので何も見えない。

薪ストーブで作ったという村営の「道志の湯」も休館だった。仕方がないので、看板が出ていた道志川温泉「紅椿の湯」を訪ねた。地下1500mから湧き出た天然温泉だという。

大野氏によると、「道志村は日本でも最多のキャンプ場」があるという。道志の湯には入っていないので比較できないが、紅椿の湯のフロントマン氏は「広くてきれいで、自信を持っている」と断言した。

温泉は午後7時から半額になるというので食事を済ませたのち、温泉に入った。まず源泉高温泉。実に広く、気持ち良かった。38度のぬる湯も悪くない。夜でよく分からないが、露天風呂も周囲の景観と溶け合っていそうだ。せせらぎが聞こえていた。ほかにサウナと脱衣場だけだが、基本的なものがしっかりしていた。「自信を持っている」と答えたのも理解できた。

村営ではなかなかここまでのレベルは提供できないかもしれない。宿泊料金も平日だと大人1名5500円(2名以上で利用の場合)と極めてリーズナブル。若人は川でキャンプをし、年寄りはホテルでのんびりできる。道志村は意外と穴場かもしれない。

帰りは午後8時すぎに紅椿の湯を出発。国道413号線から途中で土砂崩れのため78号線を走って相模湖ICから中央道で高井戸まで。2時間で練馬の自宅に着いた。合計12時間のドライブだった。

道の駅「つる」

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き

  23:22


 

地産地消レストラン「お勝手場」でいただいた「あったか自然薯芋汁うどん」(税込み851円)

 

炒めて良し、漬物良し、味噌汁良しの「はやとうり」

 

サラダや甘酢漬けのほか、炊き込みご飯にも使う「紅くるり」

 

天然のインシュリンと言われる「イヌリン」を豊富に含む「菊芋」

 

初めて見た野沢菜

 

きゅうりを半切りにした都留名物「八朔巻寿司」

 

リニアが走るまでの間、向かったのが道の駅つる(山梨県都留市大原)。最近はどこに行っても道の駅がある。やはりつい立ち寄りたくなるものだ。

都会のスーパーでは目にしないような地元産野菜が置いてあった。珍しいのつい買ってしまう。それが売る方の狙いでもあり、せっかく来たので買って帰るのも買う方のお勤めだ。

野沢菜は漬物ではよく食べるが、実際の野菜を見たのは初めてだった。写真を撮らなかったが、「金時草」というのもあった。おしたしにして食べるらしい。

菊芋も置いてあった。会社時代の友人が菊芋の普及に尽力している。年初の年賀状に「キクイモをもっともっと広く、さらに深く・・・と欲張る。が、自然は右肩上がりではない。異常気象、そして人力農業の限界もある。古希にあたり、運を掴む度胸と育てる努力ができるか。今年はその試金石になる」とあった。

リニア見学センター

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 東京日誌Ⅱ

  23:01


 

世界の鉄道最高記録の時速581kmを2003年に達成した超電導リニア車両MLX01-2

 

摩擦力に頼らない超電導リニア

 

超電導体(1個約10万円)を使ってリニアの仕組みを解説する

 

これはほんのお遊びの「ミニリニア」

 

14時53分に「まもなく走行開始します」と出たけれど・・・

 

一度発車したものの、15時01分には「停車しました」。とほほ・・・

 

再度、走り出す気配もありません

 

午後3時もすぎると、陽も陰りだしました

 

予定がなかなか立たなくて延び延びになっていた紅葉見物に27日(火)出掛けた。晴れ渡り、絶好のドライブ日和だったが、出掛けでつまずいた。

自宅を10時に出発し、関越自動車道に入ったものの、薬を持ってくるのを忘れていた。今や薬は私の生命を左右するほどの存在だ。やむなく最初の所沢ICで下り、川越街道を通って自宅に戻った。11時になっていた。

せっかく決めたのでのんびり行くことにした。最初に行ったのは山梨県立リニア見学センター。たまたまHPを見たら11月は走行試験をやっている。実際に見れると思って期待もしていた。

ところが、出がけ前の朝8時33分頃、茨城県南部を震源とするマグニチュード5.0の地震が発生し、茨城県、群馬県、栃木県、埼玉県で最大震度4を観測した。東京都練馬区は震度2だが、3はあったと思う。走行試験にもこの影響が出たかと思ったが、スタッフは「それはない」と否定。

「どきどきリニア館」(2014年開館)ではこの日の実験について「13時50分から14時40分ごろの間走行試験が行われる」。いつもより時間が大幅に短縮された。

時間調整のため、センターの近くの「道の駅」で昼食をとり、時間を見計らってセンターに戻った。しかし、館内に設置されたディスプレイで1時間遅れで「走行開始しました」とアナウンスがあって、屋外見学テラスに出たものの、肝心のリニアはすぐさま速度を落とし、停車。動かなくなった。

我慢して待っていた米国定住者の子どもや外国人カップルも、普通の観光客もみんながっかり。帰路に着く人が目立った。一方で、観光バスで新規の客も続々やってくる。すっかり観光スポットになっているようだ。

問題は今日だ。どうなっているのか。「普段の山梨県の『まもなく』というのはこんなことないですよ。珍しいです」とスタッフも弁解しきりだった。

残念だが、9年後にリニアに乗って大阪に行きたい。80歳になる。郷里に日帰りできる日が来るのかもしれない。

 

走行実験の様子を「新幹線なるほど発見デー」のサイトで共有させてもらうことにした。

京都伏見・寺田屋

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 歴史的建造物/産業遺産

2018/10/10  23:23


 

寺田屋外観

 

2階はこんな感じ

 

旅籠

 

坂本龍馬使用の六連拳銃

 

雨の中をこぎ出す十石舟

 

京へ来たら一度はお寄
伏見寺田屋 坂本龍馬
昔白刃のうらばしご

寺田屋(京都市伏見区南浜町)は、大阪と京都間の通船「三十石船」の京都側に船着き場を持つ大きな船宿だった。薩摩藩の定宿でもあった。

船宿の営業時間は1日20時間で、朝から夜まで2時間ごとに客の食事、休憩、入浴などの世話をするので大変忙しかった。

梅の間はその当時、龍馬が愛用していた部屋で、慶応2年(1866)1月23日幕吏の襲撃を受けたときもこの部屋に泊まっていた。寺田屋は今も泊まれる。

龍馬はこのとき、負傷しながらも脱出に成功し、薩摩藩に保護されたという。

2男の自宅は大阪府寝屋川市。車で国道1号を走ると30分で池田屋に着いた。大阪にも京都に行くにも足場が良さそうで、この日は伏見を訪ねた。

柏原藩「織田まつり」

カテゴリー: 旅行/移動/街歩き, 神社/仏閣

2018/10/08  21:19


織田家にゆかりのある浅井の3姉妹

 

左から茶々、初、江

 

柏原藩陣屋跡

 

柏原藩陣太鼓を披露

 

8日(月)は体育の日で祝日。朝から良く晴れ、暑すぎるくらいだった。別に計画したわけではなかったが、この日は「柏原藩織田まつり」(兵庫県丹波市柏原町)の日だった。

総勢約100人の武者行列は午後零時20分に柏原藩陣屋跡を出発。織田家18代当主の織田信孝さん=神奈川県茅ヶ崎市=を殿様として、暫時練り歩いた。

織田まつりは2月に行われる柏原(かいばら)厄除け大祭(厄神さん)と並んで柏原の2大祭りに数え上げられる。

 

いつの間にか「織田信包公」の銅像が建っていた

 

織田 信包(おだ・ のぶかね)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。丹波柏原藩初代藩主。信包系織田家初代(諸説あり)。織田信秀の四男(異説あり)で、織田信長の実弟。

兄からの信頼が厚く、織田軍団の重鎮として各地で戦功ががあった。近江・小谷城の浅井攻めの後、長政の正室だった市と3人の娘(茶々、初、江)を引き取る。

本能寺の変後は秀吉に従い、津15万石の城主となったが、小田原攻めの際、北条氏の助命を嘆願し、秀吉の不興を買って改易されたといわれる。その後、慶長3年(1598)に丹波氷上郡で3万6000石を与えられた。

 

 

稲畑式三番叟

カテゴリー: 丹波日誌, 旅行/移動/街歩き, 神社/仏閣

2018/10/07  23:22


 

翁が舞う稲畑式三番叟

 

三番叟と千歳(せんざい)

 

御神燈

 

五穀豊穣や家内安全を祈願し、氷上町稲畑の奴々伎(ぬぬぎ)神社の舞堂で7日、「稲畑式三番叟」が奉納された。稲畑地区の秋祭りの一環として行われ、農産物の品評会や素人演芸会もあった。

稲畑式三番叟は、丹波市指定文化財(無形文化財)。氏子である稲畑地区全戸で「稲畑式三番叟保存会」が組織され、継承している。翁役を奥井巧太さん、二番叟役を中島颯仁君(南小3年)、三番叟役を山本陽友君(同6年)が務めた。

実家の柏原町で、家屋管理者として風害被害を実況見分し、屋根屋さんに損害額の見積もりを出してもらった。それが終わって、隣町の氷上町稲畑の次姉宅に向かった。大阪府吹田市に住む長姉夫婦も来ていた。

家族水入らずで再会できた。ちょうどその日は「稲畑式三番叟」を奉納する日。次姉によると、「稲畑式三番叟は今から150年程前から伝わっている伝統芸能で残っているのは珍しい」という。せっかくなので見学させてもらった。