‘東京日誌Ⅲ’ カテゴリーのアーカイブ

更地

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

2019/01/26  17:54


 

壊すのは一瞬

 

あっという間に更地になった

 

家の取り壊しの連絡があったのは今年に入って間もなくだった。われわれが家を建てた20年前には建っていた。築50年くらいはあったと思う。

その家には老夫婦が住んでいた。その老夫婦がいつの間にか夫人だけとなり、子どもが介護をする姿が見受けられた。介護用のワゴン車も留まっていたことを思い出す。

そのうちに夫人が亡くなった。お葬式がその家から出たという記憶はない。いつの間にかいなくなった。今度その家に現れたのはサーファー姿の若者だった。若者はどういうわけか小型車で週末に帰ってきて、いつもサーファーの着る水着が干されていた。日曜日にはまたどこかへ行く。不思議な家だった。

その若者もいなくなった。そして今度は家が取り壊され、あっという間に更地になった。事情通によると、その家は地元の旧家の持ち物。老夫婦に貸してあったという。夫人が亡くなり、地主が家屋の返却を求めた。最終的に持ち主が処分したらしい。

取り壊してみると、今ならば2軒が立つ広さだった。そのうち建築が始まるのだろう。我々の家も旧家の土地。主人がなくなり、相続税対策で3軒が売りに出された。わが家もそのうちの一軒だ。

最寄り駅まで徒歩15分。途中は畑が多かった。当時はどこも売りに出さず、売りに出たのも駅から15分の小学校裏手だった。それが相続税対策で事情が変わった。軒並み建て売り住宅やマンションが建ち並んだ。自分が死んだら売ると言っていた旧家はマンションになった。

私の家もいつまであるのだろうか。子どもたちはそれぞれ独立し、2人は自分たちの家を構えている。1人は海外在住だ。1人に譲渡するわけにはいかない。不動産は分けにくい。取り壊して換金化するしかない。

あと10年もすれば、相続のために角の家のような更地になっているかもしれない。そんなことを思った。

『エルネオス会』

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ, 講演会/シンポ/セミナー/勉強会

2019/01/25  23:46


 

今年92歳の石原信雄元内閣官房副長官

 

グッドバンカーの筑紫みずえ社長

 

ビジネス月刊誌『エルネオス』の新年懇親会が1月25日(金)夜、如水会館(千代田区一ツ橋)で開かれた。私も匿名ながら書いているので出席した。声がかかる以上、基本的に出席するようにしている。

あいさつしたのは財団法人地方自治研究機構の石原信雄氏。群馬県生まれ。地方自治研究機構会長。元自治省次官。1987年から95年(平成7)に退官するまで竹下内閣から村山内閣まで7つの内閣で官房副長官(事務方)を務めた。

石原氏はあいさつで、「平成という時代は自然災害が多かったが、国を挙げて経済の発展に取り組んできた。戦争がなかったことでも特記できるという印象を持っている」と述べた。

また読者の1人としてESG(環境・社会・企業統治)投資を推奨しているグッドバンカーの筑紫みずえ社長は「いろんな雑誌を読んでいる。批判精神に富む雑誌が多い中でエルネオスは批判の中にも記事に温かみがある」とし、単なる批判一辺倒ではない点を評価した。

筑紫氏はSRI(Socially Responsible Investment=社会的責任投資)の普及に情熱を燃やしている社長。1998年に女性有志による金融サービス会社を設立、その普及に情熱を傾けているという。

ところで石原氏は「お尻から脚にかけての痛み」に苦しんだ「座骨神経痛」患者の1人。数年間、苦しみ抜いた末に、福井康之先生と出会い、痛みをなくすために手術を決断した。『お尻から脚が痛い』(座骨神経痛の治療法)を日本法制学会から出している。

パーティーのさなかだったが、つい嬉しくて氏と座骨神経痛が典型的に出る「脊柱管狭窄症」について情報共有した。思いがけないところで思いがけない人にあったものだ。

パーティーは意外なところで意外な人と会えるのが面白い。他にもPR会社社長、文芸評論家、大学教授、化学会社広報担当者などと話をした。同じ業界関係者としか話しをしない人も多いが、あえてそれをしない覚悟をずっと貫いてきた。そういう中から生まれるものもあるのではないか。

『エルネオス会』については2016年1月25日にも書いている。

羽田空港機能強化に関する住民説明会

カテゴリー: 政治/外交/国際/軍事, 東京日誌Ⅲ

2019/01/12  22:53


 

住民説明会(光が丘IMA1階光の広場)

 

シュミレーター

 

説明パネル

 

国土交通省は1月12日、練馬区光が丘IMA1階の光の広場で羽田空港機能強化に関する住民説明会を開催した。説明会は事前予約不要、入退場自由で、説明パネルや映像資料、パンフレットなどを自由に閲覧。国土交通省の職員が区民の疑問や関心事について答えた。

現在の羽田空港は飽和状態に瀕している。4本の滑走路と3カ所の旅客ターミナルがあり、発着回数は国内線が1日約1000回(利用客数18万1000人)、国際線は最大同約220回(同4万3000人)となっている。国内線の就航先は48都市、国際線は18カ国30都市だ。

 

羽田空港の滑走路の位置関係(国土交通省航空局作成「羽田空港のこれから」から引用)

 

国際線を増便するためには滑走路の使い方、飛行経路を見直すしかないと結論づけた。羽田空港は4本の滑走路が井桁の形となっており、出発と到着経路が複数個所で交錯するため、一定の間隔を空けて運用する必要がある。

4本の滑走路の中で最も新しいのが2010年8月に完成したD滑走路。しかも100年間の長期耐久性を実現する維持管理に配慮した設計となっている。建設費は6730億円。

 

 

 

大学同窓会

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

2019/01/11  23:50


 

食後のコーヒー(浦和パルコ7階の映画館併設ライブラリー「スルークカフェ」)

 

大学時代の同級生3人がどういうわけかJR浦和駅周辺に住んでいる。東京都心へのアクセスが抜群で開けているのだという。うち2人は親の代からそこに住んでいるという。

家賃がかからないのはうらやましい。こちとら、ゼロからのスタート。財産は何もなかった。それを苦労して作り上げた。環境がみんな違う。うらやましいが、うらやむことはできない。それぞれの生活だ。

そこに山つながりで、当時の女学生が加わって4人で飲むことになり、私もつながりのつながりでそのグループに加えてもらった。1968年入学の総勢5人の同窓会だ。場所は浦和駅東口。浦和パルコ5階の和風居酒屋「いろはにほへと」。顔は知らないが、何となく面影はあった。元女子学生は都内杉並区の出身だという。

約50年ぶりだった。私は丹波の山の中から出てきたばかりで、上京前1年間は大阪で予備校に通っていたものの、東京は初めて。東京には強い劣等感があった。うぶで田舎者で、名門都立高校出身の彼女とは縁のない人間だった。しかも彼女は国立大学に2年間通いながら、そこを蹴って改めて早稲田に入り直したということを今回初めて知った。

彼女はそんなお姫様のような人だった。男子学生は1浪か2浪。しかし、埼玉県といえば首都圏である。県立浦和高校は1校だけで東大入学者数が何十人もいた。地方では1県全体でも数人という県もあった。びっくりするほどの名門だ。おそらく今も名門であり続けているようだ。

何を話したのかもうすっかり忘れたが、とにかく3時間はあっという間に経った。48歳からずっと山ガールだったという。仲間の1人も山に強く、話は2人を中心に山が中心だった。

私は山はさっぱり。さりとて、海もさっぱり。何もかもさっぱりだ。山の話には付いていけなかった。それは仕方がない。

人生もそれぞれだ。成功した人もいる。うまくいかなかった人もいるかもしれない。人生は過酷だ。みんな顔に表れている。人によってずいぶん違う。若くして亡くなった同級生も少なくない。彼らの分まで生きているのだろうか。

謹賀新年2019

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

2019/01/01  13:12


 

桜の木、南天、千両の木

 

新しい2019年(平成31年)の元旦を迎えた。今年は4月30日までで、5月1日から平成が新元号に変わる。元号は日本だけに通用する。なくても良さそうなものだが、なくては困る人たちもいるから面倒だ。米国だけとは限らない。日本も一流の分裂国家である。

2018年もいろいろありました。羽生結弦66年ぶり連覇、財務省が森友文書改ざんを認める、西日本豪雨、北海道震度7地震、日産ゴーン会長逮捕、米中貿易戦争などなど。どれもこれも歴史に残る大出来事ばかりだ。平成で最悪事件も結構あった。

現役時代には忙しくていい加減だった新聞のスクラップノートをまた作り始めた。1カ月に1冊ペース。ダイソーの100円ノートにアラビアのりで貼り付けるだけだ。時代遅れもはなはだしいが、これで結構気が落ち着く。

昨年7月で満70歳になった。社会への関心は変わらないが、やはり人と会うのはおっくうになりがちだ。頭が白髪で、動作・挙動も不穏当限りない。社会で活動する場合、これは結構深刻な問題だ。

昨年はこんな記事を書いた。

・軽さは鉄鋼の5分の1、強度は5倍ナノセルロース車開発プロジェクト始動
・ICT林業支援ツール活用で山を動かす航空レーザー測量技術による森林管理
・雪が降るごとに美味しくなる冬の味覚の王者ブリ
・西郷隆盛:明治維新に尽力したラストサムライ
・CLT工法による都市の「木質化」は進むか
・一歩前進した孫正義氏提唱のアジアスーパーグリッド構想
・農学的手法で「生分解性プラスチック」を開発

また古巣の農業専門デジタル誌に書いている田舎コラムも24回になった。

身体は「脊柱管狭窄症」の再発などで弱体化するばかり。「好奇心こそ力の源泉」のモットーを持ち続けられるよう頑張りたい。本年が皆様にとって良い年になりますようお祈り致しています。

Xマス会2018

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ

2018/12/23  21:18


 

女子チームが作ったチョコレートケーキ

 

大好物の牛肉のたたき

 

見ただけで身の毛もよだつグリルしたチキンたち

 

私の嫌いなチキンの唐揚げ

 

素揚げしたフライドポテト

 

定番の野菜サラダ

 

今年初めて加わったエビ、マッシュルーム、ホタテなどの入ったスペイン小皿料理アヒージョ(小さなニンニク)

 

サンタクロースも老化する

 

今年のクリスマス会は23日(日)となった。大阪から母娘4人、東京から子ども3人+大人2人が集まった。長澤ファミリーは13人だが、大阪の2男とシンガポールの長男は仕事の関係で欠席11人だった。

今年もたっぷりの料理がテーブルに並んだ。子どもたちのみならず、大人にもご苦労さん賞が振る舞われた。サンタクロースさん役のジジには何もなかった。

インドネシア国家防災庁によると、22日午後9時半(日本時間同午後11時半)頃、西部スマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡で津波が発生した。両島で222人が死亡し、843人が負傷、28人が行方不明になった。

近くの島にある火山が直前に噴火しており、火山活動に伴い海底で生じた地滑りなどによって津波が起きた可能性がある。死者はさら増える可能性があるという。

インドネシアでは9月28日にスラウェシ島中部でも地震と津波が起きており、死者は844人に及んだ。同国では7月と8月にも観光地バリ島の東隣にあるロンボク島で大きな地震があり、550人以上が死亡した。

14年前の2004年のスマトラ沖地震・津波ではインドネシアや周辺国で20万人以上が犠牲となっており、異常気象による風水害も増えている。

東京都も首都圏直下型に加え、さまざまな地震の危険に直面しており、インドネシアの地震頻発も他人事とは思えない。しかし、地震はいつ起こるかもしれない。今日大丈夫でも明日はそうでもない場合もある。

クリスマス会などとのんきに暮らしていても、明日はがれきの下ということも十分あり得る。それだけに怖いが、怖い怖いとばかり言ってもおれない。

怖くないときは平気な顔を装う必要がある。地震は起きる。起こったときに、それにどう対処するか。それが一番重要だ。

12月の黄葉

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ, 花/木/樹

2018/12/05  23:47


 

黄葉した銀杏の木

 

あまりにも葉っぱが多くて・・・

 

もう目まいがしそうで・・・

 

5日も暖かだった。10時頃、夏の雲公園を通って光が丘まで自転車で行く。例年より遅く、イチョウ並木がすっかり黄葉していた。

11月頃からずっと黄葉が続いていたが、今年の本格黄葉は暖冬で12月に延びた格好だ。

祭のあとの花盛り

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ, 花/木/樹

2018/11/18  18:57


 

パンジー

 

こちらもパンジー

 

さらにパンジー

 

またもパンジー

 

メリーゴールド

 

「玄関先で一気に花が咲くのは11月の農業祭のあと」-こう言われても仕方がない。花は農業祭で買ってくるからだ。

まだ花はポットの中に入ったまま。植木鉢の上にちょこっと置いてあるだけだ。休みにならないと植え替える時間がない。

第21回JA東京あおば農業祭が今年も11月17日(土)~18日(日)、10~16時、都立光が丘公園けやき広場で行われた。「耕そう、大地と地域のみらい」が標語だ。

土曜は東大農学部の公開セミナーで出掛けたので、こちらは日曜日になった。天気は圧倒的に土曜が良かった。日曜は午後から曇り始めた。それでも午前中はもった。

お目当ては農園芸畜産物品評会の展示物即売。日曜の13時から。有料ながら即売されるものを買えるので嬉しい。野菜と花の2つの列ができる。10時から整理券が配られるが、ずぼらな我が家は整理券をもらうほど熱心ではない。しかし、13時頃になると、列に並ぶのが普通だ。

今年も整理券なしの列に並んだ。花は1人1点、野菜は1人3点までOK。それで買ったのがパンジー。同じ有料でもここで買うパンジーは5月頃まで持つ。玄関先がぱっと花盛りだ。

大きな荷物を提げて宝船の横を通りかかると、ここにも長い列ができていた。お宝分けにさずかろうとする行列だ。こちらは無料。

今年のJA農業祭もいつしか終わった。無料で配布される大根をからめた「からみ餅」を食べながら、田舎まんじゅうにも並んだ。こちらは寄付金が必要だが、1時間近くも並んだ。

田舎まんじゅうは「皮40g、あんこ25g」と決まっている。蒸し器でむして出来上がり。材料さえ買ってくれば誰でもできるが、作るとなると面倒だ。

作りたてはびっくりするほどおいしい。分かっているけど今は誰も作らない。できたものを買ってきて食べる。いろんなものが入っている。だからそんなにおいしくない。現場で作るからこそおいしい。当然と言えば当然だ。

みんなが3パック(1パック3個入り)ほど買う。我が家は2人。1時間待って1パックはもったいないが、1パックにした。2つをその場で食べた。おしいかった。すぐそばの「JAながの」がキノコ汁を振る舞っていた。また並んだ。キノコ汁で口を濯いだらさっぱりした。

恵みの秋

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ, 花/木/樹

2018/11/10  23:49


 

柿は場所を選ばない

 

芯を摘まれ、植えられた場所も境界の隅っこ

 

裏庭の隅っこに柿の木を植えた。10年ほど前か。いつの間にか大きくなって柿の実を付けた。実は育つが、芯を切ったので木自体は伸びない。枝は伸びる。

昨年は孫を連れてきて「これが柿の木だよ」と若干の教育実習的なこともやった。今年はそんなことをする時間もないうちに秋も深まってきた。

先週、こんなに大きな実がなっていたことに気づいた。もっとなっていたが、うかつにも枝を切ってしまった。もったいないことをした。

 

夏には赤い花を付けた

 

こちらは表の庭。堂山つつじの前に植えたのがサルスベリ。毎年赤い花を咲かせる。これがあまりにうっそうと茂ってきたので切ることにした。実は今日の作業の中心はサルスベリ対策。

せん定には時期があるという。11月と3月頃の2回。夏に花を咲かせる必要がある。夏に咲かないと花とは言えない。

 

ばっさりと

 

その結果がこれだ。ちょっとばっさりやり過ぎたような気がしている。これで本当に来年の夏は咲くのだろうか。ちょっと心配になってきた。

ついでにおごってきていた梅もせん定をした。こちらもばっさりやった。桜切るあほうに梅切らないあほう。確かこんな川柳があった。金網1枚で隣は駐車場。伸びていたアイビーも切った。

昼間はよく晴れた。気温も20度と高く、ポカポカ陽気だった。のんびりした秋の休日。高速道路はどこも渋滞が続いているようだ。

第8回神田カレーグランプリ2018

カテゴリー: 東京日誌Ⅲ, 食物/老舗

2018/11/04  22:16


 

第8回神田カレーグランプリ2018

 

神田地区は400店以上のカレーを提供できる店の集まる世界一のカレー激戦区。その中からカレーNo1を決める神田カレーグランプリが今年も神田カレー街活性化委員会(中俣委員長)の主催で11月3、4日、東京都千代田区神田小川町の小川広場で開かれた。

神田は従来、「古本の街」、「スポーツ用品の街」、あるいは「楽器の街」として知られていたが、新らたに400店の集積する「カレーの街」としてアピールする取り組みを2011年から始めた。その活動の母体が神田カレー街活性化委員会だ。

今年は第8回目になる。グランプリを決めるのは参加する20店舗への来場者の投票だ。今年の決定戦出場店はアパ社長カレー、いずみカリー、秋葉原カリガリ、ジャンカレー、SAPANA、ガンディーマハル、オオドリー、いわま餃子、べっぴん舎、マジカレー、ドンファン、三月の水、キッチン723、品川甚作本店&甚作わっしょい酒場、チャントーヤ、ラホール、ジョイアルカレー、ディップパレス、ザ・タンドール、スパイスボックスの20店舗。

 

アパ社長カレー

 

アパホテルの元谷芙美子社長が自信を持ってオススメする金沢カレーがベースの本格派ビーフカレー。飯田橋駅南店。初出場、初グランプリを目指した。

とにかく、「カレーはラーメンと並んで今や日本の国民食と言われる存在。日本のカレーはインドを植民地支配していたイギリス人が自国に持ち帰り、イギリス風(欧風)にアレンジしたものが日本に伝わり、さらに日本風にアレンジされたものが、今日の日本のカレーのルーツ」(神田カレーグランプリ「カレーの歴史」)という。

「カレーが初めて日本の文献に登場するのは江戸末期だが、実際に食べられるようになったのは明治初頭。このころの今でいうレシピ本にその調理方法が掲載されるようになり、同じころ陸軍の昼食メニューにも供されるようになった」ようだ。

「その後洋食食堂ができるにつれカレーが一般にも広まっていき、明治の終りころからカレー粉だけでなく、即席カレー製造への挑戦が始まりました。大正12年には現在のエスビー食品(当時の日賀志屋)が日本で初めてとなるカレー粉の製造に成功し、 洋食屋、レストランだけでなく、次第に一般家庭でもカレーが食べられる素地ができました。現在では固形カレールーやレトルトカレーなどさまざまなタイプの製品が広く家庭で愛用されています。」

「一方外食産業としては、1949年に日本のカレー専門店の草分け『ナイル』の開店以来、次第にカレー専門店が増え、内容も旧来からの欧風カレーにとどまらず、本場のインドカレーやルーツは同じであるが地域によって特長をもったパキスタンやバングラデシュのカレーなど、国際化とともに多様化してきた。」

「さらには日本独自の考案で、カツカレーやスープカレー、あるいは各地のご当地カレーというように今や一口にカレーといっても、唯一カレー粉を原材料に使用しているだけという共通点だけで、全く異なったカレーなるものが生まれ、それぞれのお客さんの好みで支持されています」という。

それがグランプリにも反映されており、黒毛和牛100%のスープカレーやチキンカレー、豚肉や鹿肉など様々な内容となっている。

 

ステージに登場した一条もんこ氏

 

カレー研究家の一条もんこ氏。ネット検索すれば、テレビや雑誌で活躍中の姿がたくさん出てくる。名前も知らないどころか、カレー研究家がいることも初めて知った。

午前10時40分からステージで開会式を行い、店でのカレー販売が始まった。カレーを買わなければ投票券はもらえない仕組み。同時に一条もんこさんと贈る激辛カレー道場がスタートした。一緒に盛り上げてくれたのは明治大学町づくり道場生3人。

 

世界で1つのカレー粉をつくる体験会

 

ステージの裏手にエスビー食品のスペースがあり、スパイスなどをブレンドして世界で1つのカレー粉をつくる体験を行っていた。

 

いろんな香辛料を混ぜてみる

 

7種の香辛料を混ぜる

 

この日紹介されたのは①辛みをつける(ブラックペッパー、チリペッパー)②色をつける(ターメリック=別名うこん)③香りをつける(コリアンダー、クミン、ナツメッグ、シナモン)-の7つのスパイス。

カレーの魅力に取り付かれたエスビー食品の創業者・山崎峯次郎は、独学でカレー粉の研究に打ち込み、1923年に我が国初めてカレー粉の製造に成功したという。どの世界にも先人はいるものだ。