‘東京日誌’ カテゴリーのアーカイブ

「王林」の花

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/16  23:29


 我が家の裏庭にリンゴの木を植えたのが10年前。りんごは1種類だけでは交配しないと教えられたので、異種の「王林」と「ふじ」の2本を植えた。この何年かはしっかり花も咲き、実も付くようになった。

 ただ、花が咲くのは「王林」だけ。今だに「ふじ」の花を見たことはない。当然のことながら、実もならない。なぜだろう。今年も「王林」が綺麗な花を咲かせている。赤味を帯びた花びらが実に可憐だ。

 「王林」は果汁が豊富で、甘さもたっぷり。 ゴ-ルデンデリシャスと印度の交配だ。緑黄色から黄色に着色し、果実の表面にポツポツした点が付くのが特徴。このポツポツがはっきりしているものが糖度も高いとされる。 特有の芳香があり、収穫の最盛期は「ふじ」の前の10月下旬~11月上旬にかけて。

上野駅再見

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/14  01:12


 今宵の送別会は上野だった。JR上野駅の公園口で待ち合わせたものの、地下鉄で行ったので、迷ってしまった。歩道陸橋の上から見た上野駅の正面は本当に2年前に見た中国の大連駅とそっくりだった。大連駅は上野駅に模して建造されたのだから、当然と言えば当然だ。

 1年も行かないうちに上野も変わっていた。公園口から京成上野駅に向けて、坂を下っていくと、昔あったはずの映画館が消え失せていた。それとも見落としたのだろうか。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。

 たまたま入ったのは「肉の大山」直営食事処。帰りしなに何気なくもらった「うえの2006.4」(No.564)でエッセイ「公園南玄関口のオオカンザクラ雑感」(小川泰和東京都東部公園緑地事務所長)を読んだ。その中に引用されていた歌を記しておきたい。

  「さまざまの事思い出す桜かな」(芭蕉)

 「さくらさくらさくら咲き初め咲き終わり何もなかったような公園」(俵万智)

東京タワー

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/12  23:53


 東京アメリカンクラブで行われたパーティーの帰途、一乗寺のそばから見た東京タワーが非常に綺麗だった。そう言えば、1年前も同じ風景を同じ場所で見たことを思い出す。飯倉の交差点から東京メトロ日比谷線神谷町駅に向かおうとしたが、オレンジ色(冬場)にライトアップされたその姿があまりに綺麗なので、今夜は吸い寄せられてしまった。

 タワーは目と鼻の先に突っ立っていた。目と鼻の先のように見えて、それを目指していくと、行けども行けども行き着かなくて、大変な思いをしたことが昔もあったので、途中で引き返すことも考えながら、歩いていくと交差点から本当に近かった。せいぜい200mくらいか。

 展望台に上るチケット売り場には外人観光客が大勢並んでいた。ついつられて、列に並んで切符を買ってしまった。大展望台(150m)までエレベーター、さらに乗り換えて特別展望台(250m)まで一気に上る。あまりに高くて、むしろ気分がよくなかった。

 東京タワー(東京都港区芝公園4-2-8)の高さは333m。パリのエッフェル塔は320m。昭和33年の開業以来、東京タワーは自立鉄塔としては世界1を誇るが、第2東京タワーが墨田区に建てば、そうではなくなる。時間の問題だろう。

 初めて東京タワーに上ったのはいつだったろうか。覚えていないほど昔のことだ。多分、東京で学生生活を始めたころだから30年も前のことだ。この東京とももう少しで、暫しのお別れだ。そういうセンチメンタルな気分があって、タワーに吸い寄せられたのかもしれない。きっとそうだ。

新しい季節

カテゴリー: 東京日誌

2006/04/03  23:44


 4月3日(月)。あちこちの企業で、入社式が行われ、今年も新人の季節がやってきた。とにかく、初々しいのは見ていても気持ちのいいものだ。若さがはち切れんばかりで、実に躍動的だ。何で、あんなに若いのか。まぶしいばかりだ。

 若ければいい、とは思わないものの、若いことのすばらしさは否定できない。うらやましいとも思わないのは、もうあの時代に戻ることが所詮叶わぬ夢とあきらめているからなのだろう。人生の諦観とも呼ぶべきものなのかもしれない。

 若さはすばらしいけれど、その若さはあっという間に過去に飛び去ってしまうものなのだ。そのことを若い時代はなかなか理解できない。永遠に、その若さが続くかのような錯覚に陥ってしまう。そうでないことに気づいたときはもう既に時遅し、だ。

 青春は二度と戻ってこない。人生は不可逆性だ。人生をやり直すことはできない。やり直せないことを百も承知しているはずなのに、人はなぜ、自分の人生を予想外にぞんざいに扱ってしまうのか。そう思うなら、今の今をもっと大切に過ごせるはずなのに。

 自分の人生はそろそろ終わりに近づきつつある。それなのに、何か、新しいことをやりたがっている自分がいる。おまえの人生はこれからだ、と叫んでいる。本当にこれからなのだろうか。もう、これからは、無地のキャンバスに新しい絵は描けないけれど、自分の好きな絵を描き続けることだけはできるはずだ。ひたすら、そう思い続けるしかない。

桜開花

カテゴリー: 東京日誌

2006/03/26  12:25


 3月25日(土)の午後、都立光が丘公園の桜開花状況を調査してきました。公園内に一体、どのくらいの桜があるかは分かりませんが、恐らく100本は下らないのではないでしょうか。種類もソメイヨシノだけではなく、オオシマサクラや山桜などもありました。

 開花状況は樹によってさまざま。早咲きもあれば、遅咲きもあり、一概には言えません。それでも着実に蕾が膨らんでいました。咲いてはいても、ほとんどの桜が1-2分咲きなのに対して、どういうわけか、公園の真ん中当たりにある枝垂れサクラ1本だけが満開でした。

 公園全体が満開になるのは恐らく3-4日後ではないでしょうか。気の早いグループがもうチラホラ咲きの桜の下でお弁当を広げていましたが、4月1、2日の次の週末はさぞ、大宴会が繰り広げられていることでしょう。

菓匠館「福壽堂秀信」

カテゴリー: 東京日誌

  12:01


 菓匠館「福壽堂秀信」(本店・大阪市住吉区帝塚山東1丁目4番12号)の「福寿の里」をもらった。さくっとした最中種に、丹波大納言粒餡をのせていただいた。少し前に味わった加賀藩御用菓子司「森八」(本店・金沢市尾張町2-12-1)の「本練黒羊羹」も逸品だったが、こちらも名だたる高級和菓子である。

 創業こそ昭和23年(1948年)と古くはないが、和菓子屋を始めた土地が大阪市南区(現在は中央区)の宗右衛門町だった。文字通り、大阪ミナミは「芝居」と「食いだおれ」、それに道頓堀川沿いにある「花街」(宗右衛門町)の3つが独特の文化を醸成していた土地柄である。

 これら高級料亭や茶屋などに出すお菓子を作ったのが「福壽堂秀信」で、洗練された料亭文化や花街文化に磨かれながら、技術が確立していったのも頷ける。大阪では高級和菓子の代名詞といわれるゆえんだ。

「花蝶」

カテゴリー: 東京日誌

2006/03/21  19:51


 現在の東銀座から新橋にかけての細長い一帯がかつての木挽町(こびきちょう)。伝統と格式のある新橋花柳界発祥の地である。芸を磨き、粋を貫く新橋芸者の花街で、政財界の奥座敷。今も「金田中」、「吉兆」、「松山」などの料亭が軒を並べている街だ。

 新橋一の名料亭と呼ばれたのが「花蝶」(Kacyo、東京都中央区銀座7-16-7)とか。昭和2年に開業した老舗料亭として名を馳せていたが、惜しまれながらも数年前に店を畳んだ。料亭として生き残ることは難しい時代なのだろう。

 しかし、料亭「花蝶」を、料亭スタイルのレストラン「花蝶」として蘇生させた人物がいた。舞台演出家の宮本亜門氏。新橋一の芸者と言われつつも、その姿は限られた人にしか見せることのなかった幻の芸者「花蝶」を現代に蘇らせることをコンセプトに「花蝶」をプロデュース。

 贅を尽くした数寄屋造りの佇まいを残しながら、店の設えから、食器、料理など、すべてにわたって、芸者「花蝶」の艶っぽさ、品の良さ、それに妖しさを漂わせた作りになっている。室内は照明も落とされ、都心とは思えない静けさ、そして美しい料理を楽しめる。

 慶事があって、坪庭付個室で「花蝶」の料理と風情を味わった。純白のお皿に素敵な料理が出てきた。ホワイトアスパラガスのベーコン巻き、サイコロステーキ、刺し身、鯛茶漬け。お酒は旭酒造(山口県周東町獺越2167-4)の純米吟醸「獺祭」(だっさい)。贅沢な昼だった。

「食」自立プロジェクト

カテゴリー: 東京日誌

2006/03/19  01:23


味付もずく土佐酢+
ミョウガの千切り+
カイワレ大根(ブロッコリーの芽なども可)+
生姜の微塵切り

 夕飯の簡単1品。これなら自分でも作れそう。これにご飯+納豆+玉子焼き(あるいは目玉焼き)を加えれば立派な朝食(夕食)。ご飯は炊いた後、1食分ごとタッパに入れ、冷凍庫に保存する。1回に3合ほど炊けば、1週間ほどは持つのではないか。

 定年後を見据え、自立するためのプロジェクトをスタートさせることにした。近々、あこがれの「単身赴任生活」も始まる。1人暮らしは学生時代以来のこと。いつの間にか30年もの歳月が流れ、果たして1人で暮らせるのか、若干不安だ。

 とりわけ問題なのは「食」。これまで、用意されたものを食べ、食堂のメニューを見て選ぶだけで、自分で深く「食」に係わったことはない。まして料理することなど思考の枠外。若かったし、食べる物があるだけで満足だった。

 若いうちはそれでも良かった。しかし、歳を取ってくるとそうはいかない。「食」への注意力、想像力を働かせなければ、身体が破壊される。身体に優しい食事をしなければ、現実的に自分の健康が侵されるからだ。何と無知、何と無謀だったのだろう。

 既に侵されている部分もある。気づくのが遅かったが、いまさら悔いても始まらない。せめて進行を阻止するのが精一杯だ。何をどう食べるか。手探りだが、そろりと考え始めたい。

桜開花予想

カテゴリー: 東京日誌

2006/03/18  23:56


 桜(ソメイヨシノ)の開花予想に関心が集まっている。3月も中旬になると、桜開花の便りがちらほら聞こえてくるものだが、今年は例年にない厳冬。花曇りとなったこの日の東京西部の桜も蕾が膨らみ始めたものの、開花にはもう一息。満開だったのは梅だった。

 17日付の読売新聞夕刊によると、今年の桜開花予想について、老舗の気象庁が「平年より早い」と予想する一方で、予想経験が4年と浅い民間の気象会社「ウェザーニューズ」は「平年並みかやや遅め」と正反対の見解を出して、「正解どっち?」と面白がっている。

 寒い冬を乗り越え、桜の休眠打破が進んだという点までは両者とも同じ見解。問題は3月に入ってからの気温の上がり下がりや日照時間の長さをどう予想するかが開花日を占う決め手。両者の言い分が最も食い違ったのは静岡で、気象庁が3回目の予想で3月16日としたのに対し、ウェザーニューズ社は4月7日。実際には3月17日に開花した。

 「開花」と言っても、もちろん「満開」ではなく、「2分咲き」ぐらいのことを言うそうだ。2分咲き程度なら、ちょっと物足りないのではないか。梅の場合は2分咲きでも風情があるが、桜の場合、やっぱり満開でなければ、どうも気分が出ないような気がする。

 都立光が公園の桜は昨年は4月9日(土)が満開だった。翌10日(日)訪れたサクラ保存林(八王子市)の桜は2分咲きだった。満開の日に桜を愛でることができるのはまさに僥倖。日本の場合、街中のどこででも桜を楽しめるのがすばらしい。

 ちなみに3月18日現在の光が丘公園の桜は蕾がかなり膨らんでおりました。開花は25日ごろ。満開は4月2日ごろと予想します。全くの根拠レス。当たるかな。外れるでしょうねえ・・・。責任は持てません。

仙太郎「桜もちひ」

カテゴリー: 東京日誌

2006/03/17  10:05


 身土不二。
身(身体・健康)と土(風土・環境)とは別物ではない。自分が生まれ育った処の風土が育む食べ物が一番馴染みやすく、体に優しい。・・・即ち「美味しい」。

 これが京菓子司「仙太郎」(本店・京都府下京区寺町仏光寺上)の基本的な考え方。「私共のつくる和菓子は、感性に訴えるよりも、まず機能を第一義に。経営指向よりも、人づくり、物づくりを上位に置く。美しいよりもおいしいを大切にする」。

 「おいしいとは、体が欲しがる状態のこと。体を養う正しい食べもののみが本当の意味でおいしいと言えるのではないか?」身土不二のものが美味しい。こうなってくると、原材料は国産に拘るしかない。

 いただいたのは和生菓子「桜もちひ」。もちろん、無添加、無着色。桜もちの中に、小豆が5粒ほど埋め込んだあった。上品な味である。原材料名:上白・氷砂糖(甜菜糖)、餅粉、米飴、小豆かのこ、塩漬桜花。購入したのは伊勢丹新宿本店。