‘絵画/彫刻/音楽’ カテゴリーのアーカイブ

テート・ブリテン

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽, 英国旅行

2019/06/27  15:37


 

フェルメール

 

フェルメール

 

 

 

 

 

 

セザンヌ

 

 

 

 

 

 

テートブリテン(TATE BRITAIN)は1500年代から現在に至る美術のコレクションが収蔵され、絵画ファン必見の美術館。国立美術館。テートモダンなどとともに、国立美術館ネットワーク「テート」の一部をなしている。

テムズ川沿いに立つテートブリテンはびっくりするほど巨大な建物だ。30年前はなかった。ロンドン中心部とは違って、ピムリコ周辺は落ち着いた時間が流れていた。

どの作品も1つで1冊の本がかけてしまう名作である。絵画好きならば、よだれが出そうだが、そうでない人にとっては馬の耳に念仏だ。念仏でなくても、すばらしさは何となく分かる。

家人が熱愛していたジョン・エヴァレット・ミレーによる「オフィーリア(Ophelia)」は残念ながらオーストラリアに貸し出し中だった。戻ってくるのは10月末だという。

特別展のゴッホ展が行われていた。英国人もゴッホが好きなようだ。次いでだから見た。ゴッホは英国にも3年間ほど住んでいる。

髪結い/舞妓お正月/舞妓襟替え

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

2019/05/25  21:16


 

 

髪結い by 松浦緋里 工芸部(人形)at 日府展

 

カランコロンと下駄の音高く

今日も急いで出かけます

 

 

 

舞妓 お正月 by 松浦緋里 工芸部(人形)at 日府展

 

姉さん舞妓になりました

奴島田で始業式

歌舞練場へ参ります

 

舞妓 襟替え by 松浦緋里 工芸部(人形)at 日府展

 

先笄(★さっこう)結って黒の正装

うれしさ半分・寂しさ半分

今日は舞妓の卒業日

黒髪舞うのを待ちましょう

★江戸時代後期に上方を中心に西日本の町家の若い既婚女性によく結われた髷(まげ)。一般には明治の末頃まで結われたという。現代では舞妓が襟替え(舞妓が芸妓なる儀式)直前のあいさつ回りに結う。

何処へ行くの?

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

  21:00


 

何処へ行くの?by吉田馨都江

 

日府展を見に東京都美術館に出掛けた。一般財団法人日本画布が毎年開催しているもので、今回は66回目。前回見たのは多分57回目。2010年5月だった。

しかも吉田馨都江氏はこの作品で日府賞を受賞した。同賞受賞は2度目で異例だという。

モデルは母上。100歳になったという。郷里が同じで私はずいぶんお世話になった。お世話になっていながら、お返しができていない。

母上は現在、老人ホームに入っている。穏やかで元気だという。姉妹で面倒をみている。

何処へ行くの? 影を引きながら杖をついて何処へ行くかのようだ。向こうには既にあの世に旅立った人たちが集まっている。

こちらにはまだ現世に足を留めている人たちが残っている。お前は何処へ行こうとしているのかと呼び止めている。

「成り行きを決然と生きる」にしても、その意思の力がなくなったら、決然も何もない。意思をなくした人間はもう人間でないのかもしれない。

『ツァラトゥストラはかく語りき』

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

2019/03/24  21:34


 

コンサートホール

 

名古屋フィルハーモニー交響楽団の東京特別公演が24日、東京オペラシティコンサートホールで行われた。指揮は名フィル音楽監督の小泉和裕氏、ピアノ独奏はセドリック・ティベルギアン氏だった。

東京オペラシティ(西新宿3)に行ったのは2011年6月と12年1月に次いで3度目。最初の2度は読売日本交響楽団、今度は名フィルだった。

この日の曲目はモーツァルトの交響曲第35番ニ短調K.385『ハフナー』、リストのピアノ協奏曲第1番変ホ長調S.124、R.シュトラウスの交響曲『ツァラツゥストラはかく語りき』作品30。

 

 

特に「ツァラツゥストラ・・・」が有名になったのは1968年4月に公開された米英合作SF映画『2001年宇宙の旅』(A Space Odyssey、スタンリー・キューブリック監督)で採用されたため。

メイン・タイトルには『ツァラツゥストラ・・・』の導入部が使われているほか、全編にわたって名高いクラシック音楽の楽曲が採用されている。

また、円舞曲『美しく青きドナウ』なども使われている。

 

試写会「太陽の塔」

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

2018/09/01  19:59


 

太陽の塔のパンフレット

 

試写会「太陽の塔」(長編ドキュメンタリー映画)
インタビュー:平野暁雄臣岡本太郎記念館館長、大杉浩司川崎市岡本太郎美術館学芸員、中沢新一思想家・人類学者、西谷修フランス思想・哲学者など29人。
出演:織田梨沙
監督:映像クリエイター・関根光才(せきね・こうさい)
9月1日@日本記者クラブ
9月29日(土)渋谷シネクイント、新宿シネマカリテ、シネ・リーブル梅田ほか全国公開

 

1970年、大阪千里丘陵で日本万国博覧会(大阪万博)が開かれた。6421万人が参加したという。何と言っても異彩を放っていたのは芸術家・岡本太郎が制作した太陽の塔だった。

高さ70m、腕の長さ25mというスケールに加え、まるで「土偶の怪獣」のようなデザインは大阪万博のアイコンとして人々の記憶に刻まれている。

会場の吹田市千里団地に姉夫婦が住んでいた。私は大学に入ったばかりだった。姉の家に泊めてもらいとにかく会場に出掛けたが、何も見ないまま出てきたことをよく覚えている。熱気に当てられていた。

「人類の進歩と調和」に関するあらゆるものが会場内にひしめいていたはずだが、私は何も見なかった。むしろ、そういうことに否定的だった。

岡本は何のために太陽の塔を創ったのか。岡本には「凡人の理解を越えた変わり者」というイメージもあるが、画家・写真家・彫刻家・建築家・思想家としての顔も持っている。芸術家という言葉ではとうてい収まり切れないスケールの大きな人物でもあった。

本作では関根光才監督が岡本太郎に影響を受けた人々をはじめ、総勢29名のインタビューを行っている。芸術論だけでなく、社会学、考古学、民俗学、哲学の結晶としての岡本太郎が語られ、「太陽の塔」に込められたメッセージを解き明かしている。

インタビューを受けた人々は必死で岡本太郎を語っている。言葉で語っている。それだけに彼らの語る言葉は純粋かつ濃厚で、血がしたたっている。言葉を拾いたいと思った。

岡本太郎(1911~1996)。1911年生まれ。岡本一平、かの子の長男。東京芸術学校に入学、父母の渡欧に同行し、1930年から40年にかけてパリに住む。数々の芸術運動に参加しつつ、パリ大学で哲学、社会学、民俗学を専攻。

ジュルジュ・バタイユらと親交を深める。帰国し兵役・復員後、創作活動を再開。現代芸術の旗手として次々と話題作を発表した。1970年の大阪万博テーマ館もプロデュース。一方、旺盛な文筆活動も続けた。1996年没。

ハーバーリウム(Herbarium)

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

2018/08/26  21:31


 

何とも言えない色彩

 

今大人気ブレーク中

 

「週刊すまいる情報」(光が丘の地元不動産会社)第1202号に「ハーバーリウムを作りませんか?」という案内記事が載った。

「ハーバーリウムとは『植物標本』と言われ、ガラスのボトルの中に花・葉(ドライ・プリザ)をデザインし、高純度のオイルを注ぎ入れます。透明感のある美しいおしゃれなインテリアとして今とても人気です」

写真は妻が東京堂(花材専門店、東京都新宿区四谷2)でレッスンを受けて作ったもの。水彩画の展示会に来てくれる友人に1人1個プレゼントするのだという。どうもセンスがものを言うようだ。

 

これがボトルの中に注ぎ込むオイル

芸術の森公園に佇むオブジェ

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

2018/06/03  22:03


 

ザ・ビッグ・アップルNo45By 佐藤正明(2008年=平成20年に建てられた開館30周年記念モニュメント)

 

ヘンリー・ムーア

 

ゴッホ記念碑(1956)By オシップ・ザッキン

 

裸のフローラ(マイヨール)

 

花を持つ少女(1966)By舟越保武

 

カモシカと少年 By佐藤忠良(1991)

 

特設展生誕120年井伏鱒二展

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

  15:30


 

旅好き 釣り好き 温泉好き

 

芸術の森公園の中に山梨県立美術館があったが、山梨県立文学館もあった。こちらは特設展生誕120年「井伏鱒二展」が行われていた。

「山椒魚」「ジョン万次郎漂流記」「黒い雨」などの名作を残した井伏鱒二(いぶせ・ますじ、1898~1993、広島県生まれ)。東京府豊多摩郡井荻村(現杉並区清水)に居を構えた1927(昭和2)年以後、小説の取材や趣味の川釣りのためしばしば山梨を訪れている。

1938年、太宰治を御坂峠(みさかとうげ)の天下茶屋に誘い結婚に至るまでの世話をし、1944年には、幸運村(こううんむら、現甲府市和戸町)の岩月家に疎開をした。

また飯田蛇笏・龍太親子とも長きにわたり親交をあたため、龍太とは40年近くにわたり書簡を交わしている。さらに「侘助(わびすけ)」「七つの街道」「小黒坂の猪」「岳麓点描」など、山梨を舞台にした作品も数多く執筆した。

早稲田大学第一文学部の先輩だということで親近感は湧いたが、同時代よりも少し古く、そんなに関心は湧いてこない。それよりも次の句は面白い。

はなにあらしのたとえもあるぞ。さよならだけが人生だ。花発多風雨 人生足別離」

「種をまく人」山梨県立美術館

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

  12:29


 

山梨県立美術館に行けばミレーを見れる

 

山梨県立美術館(甲府市貢川)でミレーを見た。1978年の開館以来、ここにはミレーの絵があることは分かっていた。中央道で関西からの帰途、いつでも寄れたが、タイミングが悪く行きそびれていた。

6月最初の日曜日、ようやく出掛けた。2階の展示室で「種をまく人」(1850年)と「落ち穂拾い、夏」(1853年)を観賞した。どちらも商品だが、きっちり書き込まれていた。

ジャン・フランソワ・ミレー(1814.10.4~1875.1.20)は19世紀のフランスで活躍した画家。それまでの絵画の主題となり得なかった、自然とともに生きる農民たちの姿を主に描き、評価を確立した。61歳で死亡。

ミレーは1849年にパリ郊外のバルビゾン村に移住して活動を続け、「種をまく人」をはじめとする作品を制作した。

フォンテーヌブローの森に隣接する同村には、コローやルソーなど多くの画家が集まり、「バルビゾン派」と呼ばれた。

「種まく人」は1977年、オークションで日本に競り落とされ、話題になった。昔のことだ。なお「種まき人」はボストン美術館と山梨県立美術館に1つずつある。どちらも本物で、どちらがサロンに出展されたのかは不明だ。

 

『藤沢周平と練馬』展

カテゴリー: 絵画/彫刻/音楽

2018/03/31  20:06


 

学芸員でもある山城千恵子分室長の解説に多くの人たちが耳を傾けた

 

「藤沢周平と練馬」が石神井公園ふるさと文化館分室(石神井台1)で開かれた。藤沢周平の足跡や作品をたどる特別展はふるさと文化館の本館で行われており、花見のついでにのぞいたが、こちらは藤沢周平が長く住んだ練馬区との関わりに焦点をあて、作家の横顔を紹介している。

展示は4月1日(日)まで(あした)だが、学芸員による展示解説があるので、3月31日(土)、分室に行った。満開の桜は散り始めており、その桜を眺めながら30分ほど自転車を走らせた。松の風文化公園内にあった。

2014年4月1日に開設され、練馬ゆかりの文化人に関する展示事業と、音楽・音響事業を主な柱としている。1階は小説家・壇一雄の書斎再現コーナーなど、2階は五味康祐資料展示室などがある。展覧会が開催されたのは1階で、多くの藤沢ファンが集まった。

藤沢の性格は暗かったが、高澤と再婚し、大泉学園町に転居した辺りから好転する。展子がなぜ西武沿線駅にばかり住むのと聞いたら、「何となく田舎の風景が残っており、気に入っている」と答えたという。

藤沢の作品にはヒーローがいないし、生活者が描かれている。260作品。会場に来ていた遠藤正氏は「義父は普通が一番というのが口癖だった」と語った。

昭和2年(1927)、山形県鶴岡市に農家の2男として生まれる。山形師範学校を卒業し、湯田川中学校へ赴任。国語、社会を担当し、生徒にも人気のある明るい青年だったが、昭和26年(1951)、肺結核が見つかり休職し、療養生活に入った。

昭和28年(1953) 東京都東村山市の篠田病院に入院、右肺上葉切除の大手術を受ける。
昭和32年(1957) 退院後、昭和38年(1963)まで練馬区貫井に住み、業界新聞に職を得る。
昭和34年(1959) 三浦悦子と結婚。
昭和35年(1960) 日本食品経済社へ入社。「日本加工食品新聞」の記者となる。この頃から時代小説の執筆を開始する。
昭和38年(1963) 長女・展子が誕生するも10月に悦子が急性がんで急逝。享年28歳。郷里から母・たきゑを呼び3人で暮らす。
昭和39年(1964) オール読物新人賞へ投稿を始める。
昭和44年(1969) 高澤和子と再婚。
昭和46年(1971) 『くらい海』が第38回オール読物新人賞受賞。直木賞候補となる。
昭和48年(1973) 『暗殺の年輪』で第69回直木賞受賞
昭和49年(1974) 母・たきゑ死去。日本食品経済社を退社し作家活動に専念。
昭和51年(1976) 練馬区大泉学園町に転居。
昭和61年(1986) 『白き瓶』で第20回吉川英治文学賞受賞。
昭和63年(1988年) 展子、遠藤正と結婚。
平成元年(1989) 作家活動の功績に対して、第37回菊池寛賞受賞。
平成2年(1990) 『市塵』で第40回芸術選奨文部大臣賞受賞。
平成5年(1993) 初孫となる浩平誕生。
平成7年(1995) 紫綬褒章受章。
平成9年(1997) 1月26日逝去。亡くなるまでの約20年間を大泉学園町で暮らす。