立川銘菓「相国最中」

  「多摩川の清き流れ、桜並木に枯葉の風音、四季に咲き乱れる草花、立川は武蔵野の中心として栄え、今もビルの林立する繁栄を見せています。静かな小道にのれんのあがった茶店で渋いお茶に甘いもので散策の疲れをいやす。そんな落ち着いた時間が欲しいものです。
 紀の国屋ではこんな古きのどかな時代をしのんで立川にふさわしい名菓をと考えておりました。この相国最中は自信を持ってお創りしたものです。良質の最中の皮、精選した大納言小豆、やわらかい求肥を合わせきっと皆様にお喜び頂けるものと存じます。相国(しょうこく)は中国では宰相の事でお菓子の中の最高の位を目指して相国最中と名付けました。お茶受けにご進物にご利用下されば幸いです」(紀の国屋店主敬白)

 和菓子処「紀の国屋」(東京都武蔵村山市三ツ藤1-93-2)の「相国最中」をいただいた。げに、美味なり。とにかく、見目形が立派である。中の餡子も立派である。あえて「相国最中」と名付けた心意気も気に入った。池宮彰一郎「平家」(角川書店)を読んだばかりで、平相国・平清盛にほれ込んでいたことも背景にはある。他愛ないと言えば他愛ない。著しく客観性に欠くが、人の好みなんで、所詮この程度のものではないか、と開き直りたい。

 世の中には名物、銘菓、特産品と星の降るほど、海辺の砂ほどもあるはずだ。それをすべて食べ尽くすなんて、大それた大望を抱いている人などいないと思うが、限られた時間の中で、どれだけ、おいしいものを口にできるかどうかは、人生の満足度、幸福度を考える上で重要な尺度になるのではないか。とにかく、人間(普通の)は1日に3度は食事しなければならない動物なのだから、食べることは大きな関心事。例外はあるにしても。おいしく食べなければ、損である。関心を持って食べなければ、面白くない。

 何でも新しい発見があるものである。恥ずかしながら、紀の国屋店主の口上の中に出てくるぎゅうひを「求肥」と書くことを初めて知った。求肥は白玉粉を水で溶いてこね、強火で蒸し、冷めてから練って砂糖・水飴を加えて再度こねてつくられる。唐の時代に日本に伝来したもので、元々は「牛皮」と書いていたが、日本人は獣食を嫌うので「求肥」に書き換えられたとか。いやあ、お菓子1つとっても、勉強になるなあ。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.

東京日誌

Previous article

Recollection