鎧橋
ジャスダック証券取引所(東京都中央区日本橋人形町1-14-8)が情報発信基地として位置づけている「ジャスダックプラザ」(同日本橋茅場町158、東京証券会館1階)に行こうとぶらぶら歩いていたら、「鎧橋」(よろいばし)にぶつかった。橋の向こうは株屋の街で、こちら側は豆屋(商品)の街。鎧橋を挟んで、投資家の資金が株にいったり、商品(先物)に向かったりしていた。2つの街の間を流れる日本橋川に架かるのがこの橋だ。
橋のたもと、満開のソメイヨシノの真下に、「鎧橋」のいわれを記した白御影石の記念碑が置かれていた。橋の名前のいわれにも触れている。大した橋には見えそうにないが、大した歴史を持つ橋である。
「鎧橋が最初に架かったのは明治5年で、当時の豪商が自費で架けたのが始まりです。橋が 架けられたのと前後して米や油の取引所、銀行や株式取引所などが開業し、この地は大いに 賑いました。
その後、明治21年には鋼製のプラットトラス橋に架け替えられました。その頃の様子を文豪 谷崎潤一郎は「幼少時代」でこんな風に書いています。
鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように思え る・・・私は、渋沢邸のお伽話のような建物をいつも不思議な気持ちで飽かず見入ったもので ある・・・
対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風 景画のように日本離れした空気をただよわせている。」
現在の橋は昭和32年7月に完成したもので、ゲルバー桁橋とよばれたものです。橋の外側に間隔を置いて突き出ている鉄骨が、ごつごつした鎧を感じさせます。