丹波の老舗「三友楼」
母の7回忌と義曾祖父の50回忌供養を午後2時から菩提寺の円成寺で行った。参加者は親族10名。法要を済ませたのち、車で5分ほどのお墓に行って、圓満塔の後ろに1~2mの細長い塔婆(サンスクリット語で仏塔を意味する「ストゥーパ」が語源、卒塔婆が正式な言葉)を立てた。
ホテルにチェックイン後、午後5時30分から丹波の料亭「三友楼」(丹波市柏原町)で会食した。和食は健康食として世界から注目を浴びているが、健康のためには1日に30品目を食べるように言われている。
「懐石は焼物、煮物など約10品の料理を食材が重複しないようにつくる。また、肉は少なく、野菜・魚が多いのが通常だ。懐石を一度食べると30品目は軽くクリアするという。和食はバランスのとれた食事なのだ」(「食」は健康から始まる)という。
きちんとした懐石料理を写真に残しておきたいと考えていたが、食べることに頭が行って、今回は先付けの富山産ホタルイカ辛子酢味噌、黒豆蜜煮を撮り忘れ、いくら醤油漬けだけになってしまった。
温物と小鍋の間の造り(カンパチ、ホタテ、マグロ)と最後の水物(カボスゼリー、いちご、わらび餅)を撮り忘れた。
三友楼は奥丹波「柏原(かいばら)」で料亭を営む「味の老舗」。上皇になられた前天皇陛下が皇太子のときに妃殿下と一緒にこられ料理を召し上がったという。将棋の女流名人位戦の対局場にもなったことがあるという。
昔から格式の高い料亭だと聞いており、私は18歳まで当地に住んでいたが、これまで三友楼の食事をいただいたことがなかった。初めてだった。
ちなみに3階の別室には日本画家の山本求(茂斗萌)氏の舞妓図が飾られていた。山本氏は明治35年東京生まれ。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業後、昭和3年から柏原町に在住し、旧柏原中学校(現柏原高校)の図画科の担任として勤めるかたわら、昭和11年以降、官展、日展に入選を重ねた画家でもある。
われわれの会食した部屋には山本氏に見出された画家・川端謹次の絵が飾られていた。両画家の多くの作品は丹波市立植野記念美術館(丹波市氷上町)などに寄贈されている。