「年とともに味わい深く曲がっていく枝」に咲く梅
春の到来を告げる梅の花。東京の今年はおおむね暖冬で、たまには小雪がチラつく日もあるものの、総じて暖かい日が続いている。ポカポカ陽気になった1月30日、午後1時30分からの会見に出席するために自宅を出た。
駅までの道は歩いて17分程度。途中に何軒か昔ながらの家があって、M家には結構大きな庭がある。外から見れば2本の梅が咲いている。うち小さな梅の花がコンクリートの壁を越えて外にこぼれていた。鼻を近づけると春の香りの匂いがした。
紅梅の中でも明るい赤、暗めの濃い赤、ピンク色もある。八重咲きの紅梅である写真の梅は八重寒紅(やえかんこう)かもしれない。そう思ったら、わが家の庭の梅を思い出した。初孫を祝って越生梅林(埼玉県越生町)の土産物屋「利根川屋」で買った。紅枝垂れ梅だった。
うちの小さな庭に植樹したのは2010年3月28日。梅は1月頃から咲くので遅い。そんなに関心もなかった。しかし、自分で植えて見ると関心が湧くようである。
白梅や紅梅よりも早く咲くのが黄色い花を付ける臘梅(ろうばい)という梅もある。12月から2月頃までが花期だが、これは1月2日に上野に行った際、ぼたん苑で咲いていた。
中国から渡来した梅は最初は薬としてだった。弥生時代後期にはすでに全国的に栽培されていたことが『魏志倭人伝』に記されているという。奈良時代には宮廷貴族の庭園に植えられ、観賞された。『万葉集』では約120首もの和歌に詠まれている。いまでこそ「花は桜」だが、平安時代以前は「梅」が花だった。
「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」 服部嵐雪
梅は百花に先駆けて咲くので「花の兄」と呼ばれる。色彩のない冬の野に、赤い花が咲けば、そこだけ発熱しているように暖かさを感じる。作者の服部嵐雪は松尾芭蕉亡き後、江戸徘徊の世界を宝井其角と2分した芭蕉の高弟。
4月に咲く桜は一斉に見事に咲いてあっという間に散る。それに比べて、梅は一輪、一輪が意思をもった花の如く咲くのである。
困難を乗り越えて咲く花と、年月を経て味わい深く曲がっている枝。暖かい体温に加えて、高潔な意思をも有する梅は孤高でもある。
「東風ふかば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」 菅原道真
こちらも梅を詠んだ句として有名だ。
菅原道真(845~903年)は宇多天皇に重用され、右大臣にまで上り詰めたが、謀反を企てたとして太宰府に左遷させ現地で死去した。この歌は太宰府に行く前に詠んだ句で、東風(こち)とは春をつれてくる風のこと。梅はその風を待って咲く。
ちなみに道真死後の京都では異変が続発。彼を死に追いやった藤原時平が6年後に39歳の若さで死去、天候も荒れ放題で干ばつや飢饉も相次いだ。誰もが道真の怨念を感じた。930年には左遷を認めた醍醐天皇までもが急死し、貴族たちの間では恐怖が蔓延した。
道真の霊を慰める神殿が京都・北野に建てられ、祀られた。菅原家が多くの学者を排出したこともあって、いつの間にか学問の神様として崇められる。その後没落していく藤原氏とは対照的に菅原氏は1000年超の歴史を生き続け、今なお全国に1万2000社もある天神様の頂点にある神として受験生の心の支えになっている。
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