【試写会】あの時、何が起き、何を思い、どう闘ったのか『Fukushima50』の真実
作品名:『Fukushima50』(フクシマフィフティ)
原作:門田隆将『死の淵を見た男』ー吉田昌郞とフクシマ第一原発の500日ー(角川文庫刊)
監督:若松節朗
脚本:前川洋一
音楽:岩代太郎
キャスト:佐藤浩市(1,2号機の中央制御室当直長の伊沢郁夫役=当時56歳=作品中では伊崎利夫役)
渡辺謙(東京電力福島第一原子力発電所所長の吉田昌郞役=当時56歳)
2020年2月27日@日本記者クラブ
3月6日全国ロードショー
2011年3月11日午後2時46分、原作者東日本大震災は起こった。ノンフィクション作家の門田隆将(かどた・りゅうしょう)は原作『死の淵を見た男ー吉田昌郞と福島第一原発ー』(角川文庫刊)の「はじめに」で「本書は、吉田昌郞という男のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した人たちの物語である」と書いている。
門田は「私には、東日本を襲った大地震と津波によって起きた福島第一原発事故で、どうしても知りたいことがあった」と言い、「それは、考えられうる最悪の事態の中で、現場がどう動き、何を感じ、どう闘ったのかという人としての『姿』である」と述べた。
「全電源喪失、注水不能、放射線量増加・・・あの時、刻々と伝えられた情報は、あまりにも絶望的なものだった。冷却機能を失い、原子炉がまさに暴れ狂おうとする中、これに対処するために多くの人間が現場に踏みとどまった。そこには、消防ポンプによる水の注入をおこない、そして、放射能汚染された原子炉建屋に何度も突入し、”手動”で弁を開けようとした人たちがいた」。
われわれは,、彼らが放射能汚染の真っ只中で踏ん張ったことをおぼろげながら知っていたが、その「現場」の真実は、なかなか明らかにならなかった。現場で闘った人間の実態は、わからなかった。
門田は断続的に取材を続けながらも、真実にはなかなか到達できなかった。厚い壁に阻まれた。しかし、時間が解決してくれるものもある。取材への熱意が伝わるかどうかだ。そして事故から1年3カ月が経過した時、最前線で指揮を執った吉田昌郞にやっと会うことができた。
ガンに倒れ、手術を経た吉田は病を押して都合2回、4時間半にわたって彼のインタビューに答えてくれた。「もう駄目かと何度も思いました。私たちの置かれた状況は、飛行機のコックピットで、計器もすべて見えなくなり、油圧も何もかも失った中で機体を着陸させようとしているようなものでした。現場で命を賭けて頑張った部下たちに、ただ頭が下がります」
吉田は2012年7月26日、3回目の取材の前に、凄まじいストレスや闘病生活でぼろぼろになっていた脳の血管から出血を起こし、取材は無理になった。そして1年間生き、2013年7月9日、食道ガンで亡くなった。58歳だった。
絶望と暗闇の中で原子炉建屋のすぐ隣の中央制御室にとどまった男たちの姿を想像した時、門田は「運命」という言葉を思い浮かべた。「ある意味では戦時中以上の過酷な状況下で、退くことを拒否した男たちの闘いはいつ果てるともなくつづいた。自らの命が危ない中、なぜ彼らは踏みとどまり、そして、暗闇に向かって何度も突入しえたのか。彼らは、死の淵に立っていた」と門田は言う。
あんな事態に直面した時、人は何を思い、どう行動するのか。それがどうしても知りたかったと言う。そしてそれは『死の淵を見た男』となって結実した。『Fukushima50』となって完成した。
全電源を喪失し、格納容器を冷やす注水も不能で、格納容器の弁を開け容器内の気体の一部を放出するベント作業を試みるもうまくいかない。さらにそこに水素爆発が追い打ちをかける。最後が近づいていた。
3月15日午前6時過ぎ。免震重要棟。2号機、サプレッション・チェンバーの圧力がゼロになった。その圧力が「ゼロ」になったということは、頼みのサプチャンに「穴が開いた」可能性を示している。吉田は大きな声で「各班は、最小人数を残して退避!」と命じた。およそ600人が退避して、残ったのは「69人」だった。
海外メディアによると、のちに”フクシマ・フィフティ”と呼ばれた彼らは、そんな過酷な状況の中で、目の前にある「やらなければならないこと」に黙々と立ち向かった。
映画には自衛隊郡山駐屯地消防隊、同福島駐屯地消防隊ら12名の注水活動や在日米軍による「トモダチ」作戦など”美しすぎる”場面もあったが、「本書は、原発の是非を問うものではない。あえて原発に賛成か反対か、というイデオロギーからの視点には踏み込まない。なぜなら、原発に『賛成』か『反対』か、というイデオロギーからの視点では、彼らが死を賭して闘った『人として』の意味が、逆に見えにくくなる」との理由で事実を丹念に積み上げていく手法が取られた。
門田の思いは「あの時、ただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたい」ということにあった。その結果、「ドラマ的には何も起こらないけれど、外ではものすごいことが起こっている」という原発事故の現場を吉田所長、伊崎当直長を中心にかなりリアルに描かれたのではないか。文字では伝わらない真実を映画はつたえたのではないか。
東日本大震災をきっかけに原発を襲った史上最大の危機を風化させないためにも、できるだけ多くの人たちに見てもらいたい作品だ。新型コロナウイルスの感染拡大が懸念され、映画館に行くことも懸念される最悪のタイミングでの公開だが、何とかして見てもらいたい。