【名画座】流血と死の中で命の誕生も映す戦争ドキュメンタリー『娘は戦場で生まれた』

 

掲示板に貼られた映画のポスター

 

作品名:『娘は戦場で生まれた』(For SAMA)
ジャンル:ドキュメンタリー映画
2020年9月17日@ギンレイホール

 

内戦がいつの間にか10年にもわたって続いている国がある。シリアだ。内戦が続いていることは知りながら、誰も手を出さない。出せない。報道も非常に少なくなった。メディアにとってシリアは古い話題で、商品価値がなくなったのかもしれない。

内戦の発端は2010年12月に「アラブの春」と呼ばれるアラブで起きた民主化運動だった。チュニジアとエジプトに次いで、シリアでは11年の春から民主化を求める「シリア革命」が主にデモという形で起こった。

デモは南部のダラーや首都のダマスカス、中部のハマー、ホムスと広がった。デモが広がった街でシリア政権の軍隊やシャッビーハという民間の武装勢力が市民に武器を向け無差別に発射し始めた。さらにデモに参加した市民やその家族数千人を拘束・拘置し、残酷な拷問も行った。

最初は平和的なデモが続きながらシリア政権軍から脱出した司令官が「自由シリア軍」を名乗り、それぞれの部隊が自分の故郷を守り始めた。自由シリア軍は政権軍を幅広い地域から追い出し、12年中期には政権軍が崩壊寸前まで追い込まれた。

しかし政権はその後次々と海外からの軍事的支援を取り込んでいき、いつしか形勢は逆転するようになる。12年後期にはイランの支援を受けていると思われるレバノンのシーア派イスラム教原理主義武装組織ヒズボラ、さらにイラン軍自体も加わった。

政権側は優位を取り戻し、失った地域を取り戻していく。さらには「イスラム国」(IS)を代表とするイスラム過激派が台頭し、14年1月にはラッカを首都として建国を宣言した。ラッカは17年10月シリア民主軍が制圧するまでISの拠点だった。無政府的で過激なISの活動は世界の耳目を集めた。

シリア内戦には5カ国が絡んでいる。アサド政権はいつの間にかロシア、イラン、ヒズボラの支援を得て国土の70%を奪還している。内戦は12年に始まったが、軍事化したのはロシアが直接軍事介入で出た15年秋からだった。

空からはロシアの戦闘機がアレッポを空爆し、地上では過激派イスラム原理主義団体が市民団体を抑圧した。

 

アレッポは郊外を含めれば人口は200万人を超える(パンフレットから)

 

アレッポ市街(旅を考えるweb)

 

■アレッポはかつてシリア最大の都市として繁栄した

 

このラッカから西に200キロほどいったところにあるのがアレッポ。かつてシリア最大の都市として繁栄した。メソポタミア、エジプト、小アジア(現在トルコのある地域)を結ぶ要衝として栄えた古都で、旧市街の中心部は「古都アレッポ」として世界遺産リストに掲載されている。

世界遺産NEWS(19.9.25)によると、アレッポは交易の中心で5000年以上の歴史を誇るが、商業を支えた1500軒以上の店舗が集まる40弱のスーク(市場)の半分以上が焼失。世界最古級のモスクの1つであるグレート・モスク(ウマイヤド・モスク)は爆撃を受け、ミナレット(礼拝を呼び掛けるための塔)は倒壊した。

しかし、12年から始まったシリア内戦で戦場となり、市内の60%が破壊されてしまった。アレッポは16年に政府軍の勝利で陥落したが、復興のペースは遅く、思うようには進んでいないという。

 

 

■小型ビデオカメラやスマホを使って1人で撮影

 

この映画のワアド・アルカティーブ監督は、アサド政権への抗議行動が始まった当時、大学生(アレッポ大学)だった。内戦が始まった11年頃から、撮影の終了する16年末まで、小型ビデオカメラを使って1人で取材・撮影した。スマホでも撮影した。「市民ジャーナリスト」の1人だった。

シリア内戦では、こうした現地市民が自ら撮影する映像が大量に流れている。SNSでリアルタイムに拡散する。『ラッカは静かに虐殺されている』(17年)も、シリアの市民ジャーナリストがグループとして撮影した映像から制作されている。

『娘は戦場で生まれた』はワアド監督が撮影した映像を、英国のチャンネル4や米国のドキュメンタリー番組がプロデュースした。ワアドは自分で撮ったアーカイブ映像を素材に、チャンネル4のエドワード・ワッツと共同監督して作品を完成させた。

デモへ参加していたワアドはそのうち医師を目指す若者ハムザと出会い、非常な世界の中で夫婦となり、いつの間にか彼らの間に新しい命が誕生する。生まれた娘はアラビア語で「空」を意味する「サマ」と名付けられた。

ハムザは仲間たちと廃墟の中で病院を設け、日々続けられる空爆の犠牲者の治療に当たるが、多くは血まみれの床の上で命を落としていく。ハムザの病院は街で最後の医療機関となる。

明日をも知れぬ身で母となったワアドは、家族や愛すべき人々の生きた証を映像として残すことを心に誓う。すべては娘のために・・・。

本作品は2019年カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞ほか、55を超える映画賞を受賞した。マイケル・ムーア監督は「市場もっともパワフルで重要なドキュメンタリーの1つ」と絶賛した。アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされた。

しかし残念ながら日本の映画祭では受賞しなかった。これは何を意味しているのか。これだけ日本人監督が各国の映画祭で受賞し称賛されていながら、日本の映画祭では評価されない。評価することが難しいからなのか。評価・価値を作り出すことが怖いのか。

他人が評価したものなら追認するだけで簡単だ。それも大きな賞ならそうだ。しかし自分で評価するとなると、そうはいかない。評価するだけの指標を持つことが問われるからだ。日本人の感受性が問われていると思った。

 

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.