日本農業の核は「家族農業」で、集落営農の中から後継者を育成していくのが現実的④

閉会のあいあつを述べる日本農学アカデミーの大政謙次会長

 

農学会・日本農学アカデミーは3月13日、「家族経営農家の飽くなき挑戦」と地域創生と題して公開シンポジウムを共催した。生源寺眞一福島大学教授らの講演内容を踏まえ、最後に総合討論を行った。主な討論の内容は以下の通り。

 

Q:企業の農地参入の度合いは? 総面積に占める割合はそれほどでもないようだが・・?

 

生源寺:具体的なデータを持っているわけではないが、ざっとした印象で話すと、稲作、麦作など土地利用型の企業の参入が比較的少ない面がある。植物園芸などでは面積は少ないが、収益は上がっているとのケースもある。参入する企業の農業のタイプと日本全体の平均的なタイプとの違いが表れている。数としては累積で3000とそれなりの量になっている。市町村の数が1500なので、1市町村当たり1社ないし2社が入っている。

 

Q:生身の農を知らない現状は?

 

大津:自分が知らなかったのは田圃に水をわざわざかけているということだった。田圃はプールみたいなところだと思っていた。誰かが水を入れたり止めたりしているとは知らなかった。農村で子育てできる人が増えたらいいなと思っている。

古谷研(農学会会長):1回、1日でもいいから体験する。また田舎の子どもたちと都会の子どもたちの交流をすることが重要だ。子どもたちは壁がなくてすぐに交流し始める。そういう交流を持てれば将来的にはいい。

 

Q:農業ICTなどのアプリは使われているか?

 

溝口勝(東京大学大学院農学生命科学研究科教授):アプリで処方箋だけを売り込む形か。開発者は現場をあまり知らないので、「これもこれも」と入れるが、農家の現場は「そんなの必要ないや」と思って結局使わない。SEと農業の現場がしっかりと話い合っていいもの作っていけばいいなと常日頃思っている。現場にいってもらって一緒に開発する体制作りが大事。

 

Q:コメも酵母も似ているのにどうして福島の酒は違うのか?

 

斎藤美幸(金水晶酒造店社長):全く違うものになる。同じ農家が同じ田圃で同じコメであってもどの蔵でどの方が作るのかによって全く違った味と香りになる。純米大吟醸ならコメと水しか使わないのに吟醸の香りは果物の香りだとよくいう。イチゴやメロン、バナナやリンゴの香りになるというのは、逆に失敗すると全く同じコメを使いながら、ぞうきん臭いコメやたくあん臭いコメ、ヨーグルト臭いコメなどとんでもないものがたくさんできることを意味する。

 

Q:どうして福島県の酒はそんなに金賞がとれるの?

 

斎藤:清酒のメッカ・新潟県の隣なのでマネをして酒造りの学校を作った。門外不出の杜氏の技術を若い人が学んだ。同じことを聞いても同じ酒にはならないんですね。伝えても大丈夫だとわかって、みんなで共有した。先生曰く「ワインはぶどうをいきなり発酵させるのでとにかくぶどうが大事だ。原料9割、技術1割」。「酒の場合は原料2割、技術8割」。本当に誰が作るかによって大きく変わってくる。水の含ませ方だけでも違う。温度の上がり方だけでも違う。国産米で3等米以上ならば、50%削ったら大吟醸と名乗れる。名前に惑わされないで、自分で飲んでみて確かめていただきたい。

斎藤:福島は金賞は当たり前。われわれも努力しているが、飲み手も厳しい。変なものを造ったら誰も買わない。陸上競技でみんなが全力疾走しているうちに早くなったような現象が起こっているのではないか。

 

Q:横田農場はどのように自律的組織に育ったのか?

 

横田:地図の内側を全部やるとなると、500haになる。10年後あるいは20年後なら500haは確実だ。やるとなったらどうなるか。面積の限界よりも組織の限界のほうが先に来るなと思っている。うちの自律分散型組織でいうと、1ユニット、1組織が10人。今は1人当たり約20ha。希望も含めて50haに拡大するのでは。

横田:自律分散型というのは簡単だが、難しい。どこまでおれたちでできるのかと面白がっている。いろんなことに挑戦するが、ほとんど失敗する。しかしまた挑戦を続ける。ずっと続ける。それが仕事の面白さでもある。評価はしていない。どんなに頑張っていても最後に台風で全部だめになることが起こる。それで評価できるとは思わない。

 

Q:他への波及は?

 

生源寺:横田農場の自律分散型取り組みは他の品目にも表れつつある。農業経営学会で報告される予定だが、滋賀県の「きたなかふぁーむ」がそれだ。障害者が働いている。法人の形だが、家族と同じ形で働いている。法人の中にも妙な家族よりも家族的な結果を生んでいるところもある。スローガンのように振り回すのもいいが、中身について掘り下げて考えてみる必要がありそうだ。

横田:20年前に農業始めたときは家族だけだった。何の疑問もなかった。家族はすごく強い単位だが、ほかのアイデアが入ってくるのは結構重要だ。ヨメのような存在が必要だ。農家の人が経験に基づいてやってきたことが正しいのか。外部の人に示唆を受けてやる部分もある。SEも学ばなければならないが、農家も学ぶ必要がある。

溝口:SEは現場を知らなくていいんだ、農家だからITは知らなくていいいではなくて、双方が歩み寄ればいいものができてくる。日本人はみんな等しく教育受けているのでちょっと言えばつながる。そういう雰囲気を作っていければ、農学、農業は面白くなる。

大津:横田さんのところは会社の中でアメーバになっているが、うちの場合は人を雇わずにアメーバー的に、家族6人がコメで生計を立てている。そういう農家が増えて欲しいから法人にしていない。子どもが上の学校にいくとき農家のヨメの存在は結構重要だ。奨学金があるし、地元から出て行ってもいいよ。しかし、農業を一緒にやることも重要だよ。それを親が言うか言わないか。ヨメの立ち位置は結構重要だな。大規模なものだけでは国が成り立たない。共同意識的なものはヨーロッパはある。ドイツ、フランスは家族農業の経営が国の礎にあるというのはうらやましい。

溝口:農家のヨメはいい意味で社長さんになれるな。

 

Q:これからの農業、農学は?

 

大津:食育が課題だと思っている。農家や学校が当たり前だと思っていた共同行動の決まりごとを変える必要がある。農業現場に出てもらいたい。1カ月超えるとお客さんじゃなくなる。3カ月超えるとまた違う。

横田:私には農村の良さは分かりません。当たり前過ぎて。うちも体験教室をやっているが、それはヨメがこれは面白いよと言って始めたものだ。これって価値のあることなんだなと僕は気づかされた。外部の視点、海外の視点が大事だ。800トンを生産し売り先には困らない。

斎藤:地域の核であった学校が少子化でどんどん統廃合が進んでいる。統廃合するのではなく、都会から生徒を呼んできて一緒に学ばせるような考え方もあるよ。

生源寺:1人で農作業をやっている70代半ばの方は50代の若手に引き継ぐようなことは制度的にもなかなか難しい。むしろ中山間の場合そういうケースが多いと思うが、集落営農という言い方もするが、そういう組織をある意味で作って、組織の中の後継者的な人に入ってもらう。集団を形成してその一部を徐々に交代していく。こういう形が一番リアリティーがあるのではないか。集落営農の中で引き継いでいく。そういう形はある。農村についてはいいところばかりではない。決まりごとが通用できない。変化が早い。

大津:農村の大変さはあってもなお、移住とかを私は進めている。私は会社にいても出る釘叩かれていたと思うし、都会でも同じ。私はやり過ぎているだけなので、普通の人を排他的に対応するようなことはなくなりつつある。

加藤:東南アジアの農業者の年齢もかなり高くて60を超えている。日本の近い将来が目に見えている。日本の取り組みが参考になる。日本の動きが東南アジアの模範になっていくようなものを作っていかないという気がする。

溝口:日本の地方も通信インフラさえ整えば地方も悪くない雰囲気が出てきている。そういう中で世界は家族農業、小規模農業という形が大部分なんだということもあり、これからもこういった機会をもっと増やして日本から新しい農業のやり方や農学アカデミーとしていいものを展開できたらと思う。

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