「取りあえず」大好きの国民性が災害を生む最大の原因=再来年で100周年の「関東大震災からの教訓」
ゲスト:武村雅之・名古屋大学特任教授
テーマ:首都直下地震への備え
2021年9月8日@日本記者クラブ
関東大震災について研究を重ねてきた武村雅之・名古屋大学特任教授が、震災後の「帝都復興」と戦後の東京復興、今に続く都市開発を対比し、戦後の開発には防災の視点が欠けていたと指摘。東京の現状について警鐘を鳴らした。武村氏は元鹿島建設社員。司会は日本記者クラブ企画委員の黒沢大陸(朝日新聞)
■関東大震災は東日本大震災10個分のダメージ
・再来年の2023年は関東大震災から100年目。東京を歩いてみると、関東大震災の復興の跡だらけ。都心の基盤生活はほとんどが関東大震災の復興で支えられていると言ってもいい。気が付いていないほとがたくさんいる。
・何で100年先に影響を及ぼすようなことをできたのか。私は地震学者。今の東京を考える際の大きな教訓になる。30年前に関東地震の研究を始めた。この10年ほどは各地を歩いていろんことを書き留めている。
・被害の規模を言うと、住宅全壊による死者数1万1000人、火災による死者数9万2000人、土砂災害(熱海近くで)の死者数は700~800人、津波(伊豆半島東岸中心に)による死者数200~300人。全部で10万5000人が死亡した。東日本大震災の5倍くらい。
・直接被害額は55億円。東京市(8区)は65%くらいの36億円の被害が出た。被災者は340万人、当時のGDPは150億円。国家に対するダメージから言えば、東日本大震災が10個起こった感じ。
・震源の位置からすると、東京の地震ではない。相模トラフ沿い。神奈川県と千葉県。震源域から外れており、揺れはそれほどでもなかった。にもかかわらず東京で最大の被害が出たのか。
■人が住む町にするためには基盤整備が必要だ
・江戸時代には隅田川の東に人は住んでいなかった。隅田川の東側は当時湿地帯で人が住めなかったし、家康が江戸を作ったときに隅田川の東側に城下町を作る気は全くなかった。地盤の悪いところには町は作らない方針だ。
・「明暦の大火」(1657、江戸の大半を焼いた)は元禄地震(1703、M7.9~8.5)の50年ほど前。それまでは隅田川には橋は架かっていなかった。大火で逃げられなかった人たちをしのんで1670~80年くらいから橋をかけ始めた。最初に架けたのが両国橋。
・隅田川の東側に人が住めるようになって無計画にどんどん住んでいった.道路も作らずに町を作っていった。特にひどいのは明治以降。隅田川の東を工業地帯にした。過密度地帯が軟弱地盤上にできた。関東大震災の大被害を説明できる。
・人が住むためにはちゃんと基盤整備をしなければならない。住めばよいと道路も作らない、公園も作らない、何も作らない中で勝手に住むとこういうことになる。そこに関東大震災(1923)が起こった。その復興事業が「帝都復興事業」である。
・帝都復興事業(約7億円)を深く知ることができたのは今世紀最大の名著とも言える『帝都復興史』(全3巻、高橋重治著)のおかげだ。すべてのことが歴史書として分かりやすく書かれている。
・道路区画整備など全てが基盤整備。江戸っ子気質があったからこそ実現できたと復興史は指摘している。幹線道路を作るときには地下鉄の建設も考慮している。米のビヤード氏の進言を受け入れ、「東京はそれにふさわしい帝都としての特色(品格)をもたなければならない」「日本固有の都市美の帝都を建設する必要がある」(「帝都の尊厳および美観に関する考察」)としている。
・戦後の東京の基盤はどうなっているのか。基盤整備を何もせずにただ拡大に次ぐ拡大に終始している。
・戦後の学校は本当にひどい。ぎりぎりの設計しかしていない。地震・災害があると必ず学校に行く。必ず被害があるから。戦前の学校はしっかりしていた。東京市立小学校全195校のうち無傷で残ったのは2校のみで他は倒壊・焼失したが、東京市は鉄筋コンクリート建築の「復興小学校」を建築。
・泰明小学校(中央区銀座5-1)もその1つで、現在も現役校舎として使われている。
・役割は果たしているが、美観、品格はまるでない。もう一度帝都復興事業当時に戻せば、東京ももう少しましな街になるのではないか。
■容積率を緩和し見にくい街に
・あれだけ関東大震災のときに木造密集地を作るとだめだと思ったのに昭和7年(1932)に東京市の範囲が今の23区に広がったが、ほとんどは農地だった。区画整理をできたが、それを全くやらずにまた同じことをやった。次に震災が来たら、同じことがここで起こる。
・容積率とは、敷地面積に対するその土地上の建物の延べ面積の割合。容積率による規制は街の過密の抑制や、生活環境の確保といった都市計画の観点からのきわめて重要だ。
・初期の高層ビル街はこれ以上密に建てられなかった。スカスカだ。容積率を緩和するのはものすごい誘惑だ。なぜかと言うと、何にもないところが金になるから。東京駅の上の容積率を売ってキッテのビルにしているのは有名な話だ。要するに売却できる。こんな馬鹿な制度を作ってしまったので大手町の高層ビルはこう(密な街に)なっている。
・大量の帰宅困難者やエレベーターの閉じ込め事故も起こる。こんなにあったら誰が助けてくれるのか。エレベーターの中で餓死するしかない。そんなところによく勤めている。こういう街をなぜ作るのだろう。
・ロンドンやパリ、ベルリンといった欧州の大都会には高層ビルの林立はない。道路幅員は現状のまま、消防体制も対応できない。ひとたび大災害が起これば、一体どのような事態になるのか?
・日本はモノ作るときに道路を作らない。事故が起きてから「防災」と言う。どうしようもない。帝都復興時にロンドンやパリに負けないような街にしたいと頑張ったのに戦後はそれどころかこんな見にくい街にしてしまった。
■「日本に哲学無し」
・明治の思想家、中江兆民は「日本に哲学無し」と言った。信念の無い政治家、行動理念の無い民衆があまりに多い。「取りあえず」大好き。1日いっぺんくらい使う。これやめましょうよ。結局これが災害を生む最大の原因ではないか。帝都復興事業を見ていると思う。
・震災後復興では反省の上に立って、地震火災に強い街にする。この際、日本美を模索しロンドンやパリのような首都として品格のある街にすることを官民一致で誓った。
・戦後も東京は壊滅した。戦争の反省に立って軍事的手段でひどい目にあったので、平和国家として欧米に負けない国力を持ち、国民の生活を豊かにしたい。国民を金持ちにしたいことが唯一の合意だった。東京の街を金持ちにしたいことが目的で、防災や首都しての品格なんて二の次にしてきたツケが東京に回っている。
・科学技術で何とかなるか?科学技術は失敗したことのあとにやってくる。科学技術(文明)が進めば進むほど、何かを目指して科学技術をどのように使っていくかを考える「哲学が必要」だ。哲学無しで科学技術を使っていくと、どんどん危険が増していく。
○郊外の木造密集地域(基盤整備なしの人口集中)
○放置されたゼロメートル地帯の水害問題
○首都高速道路の水辺破壊+老朽化
○容積率漢和による高層ビルの林立
○湾岸埋め立て地の住宅の孤立問題
・今の東京は目先の利益にとらわれて、イベント主義で都市の基盤整備を怠り、防災を後回しにしてきたツケで覆われている。これが今の東京ではないか。景気対策を唱える金の亡者の末路。これ以上負の遺産を増やさない。東京は滅亡するしかない。
・科学技術は対処療法としてこれらを推進してきたことも事実なので、科学技術の使い方もよく考えたほうがいい。