【講演】「世間」があって「コミュニティー」のない日本=北野収独協大学教授がスマート・テロワール協会主催のセミナーで講演

 

シビック・アグリカルチャーからスマート・テロワールを再考する

 

スマート・テロワール協会は12月12日、第12回となるセミナー『「シビック・アグリカルチャー」から、スマート・テロワールを再考する』をオンラインで開催した。司会者は同協会理事の藻谷浩介氏。『シビック・アグリカルチャー』は社会学者トーマス・ライソンの著書。

同協会を構想していた元カルビー会長の故松尾雅彦氏とコミュニケーションをとっていた獨協大学交流文化学科の北野収(きたの・しゅう)教授を講師に呼んで『「世間」があって「コミュニティー」がない日本で、地域の食と農の再生は可能か?』がサブタイトルとなっている。

 

■日本は「世間」があって「コミュニティー」がない

 

・自分の現職は獨協大学教授だが、その以前は農水省官房調査専門官として10年ほど働いた。国の政策を他国と比較したり法令を作ったりした。要は翻訳をしていた。

・(藻谷=「世間の目が辛くてみんなマスクしたんですよ」というが、この「世間」を訳せない。そういう空気があるというと、外国人はみんな「ええ?」と驚く。誰も真面目に考えてくれない。日本で言う『空気』という概念は西洋人には全然通じない)

・多くの日本人は「稲作モノカルチャーは日本の伝統である」と思っているが、私と松尾氏は「そうではない」点で一致している。

・松尾氏は協会を立ち上げるに際し、「シビック・アグリカルチャー協会」にしたいので許可をいただきたいと申し入れがあったが、どれだけシビックを理解されているのか分からなかったのでむしろ「スマート・テロワール」という言葉がありますよと提案したら、それになった。「シビック・アグリカルチャー」を経営者の言葉で翻訳したら「スマート・テロワール」になったのではないかと今は思っている。

・シビック・アグリカルチャーには食と農につながっているありとあらゆる利害関係者が入ってくる(藻谷=農業は生産者でけではない。消費者とか間をつないでいる流通業者、加工業者、料理人、ローカルメディアなども入る)

 

■米国では世間の同調圧力がない

 

・アメリカという社会は市民の存在があって、民主主義も育ち、共和制で成り立っている。(藻谷=良い面もあれば悪い面もある。米国には自分たちの意に染まない政府を銃で倒す権利を持っている。国民である以前に相対的に自律性が高いコミュニティーを作っている個人だからだ。トランプ政権末期の議事堂乱入事件は当然起こりうることだ。あれが厳罰にならずにトランプがのうのうと生きているのは理解し得ない。おれは自律性の高いコミュニティーのリーダーとして担がれただけだという考え方ではないか)そうだと思う。

・世間がない。世間の同調圧力が弱い、またはない。これは説明が難しい。(藻谷=宇宙空間にいくと重力がないというのと同じような感じ。ないんだろうが、実際どういう感じなのか)。留学したり現地で働いて最低2年以上そこに済めば分かる。全く発言が自由だ。全く同調圧力がない。その代わり責任を持って発言してくれとくる。

・(藻谷=コロナで亡くなった人が米国の20分の1以下。なんで奴ら20分の1なのか。ワクチン打っているのに。すごく大きな理由はワクチン打たなければいけないという同調圧力がないので打たない人は絶対に打たない。それで実際にコロナにかかるんですけど、それは自分がそれを選んでかかって死んでいるのだから知らない。英国も同様だ。そんなこともあるけど世間の目もあるから打っておきましょうというしばりが全くない米国に、日本は世間の目で打っているんだと言っても米国人は多分分からないですね。ワクチンはやばいと思っていても世間の目があるからワクチンを打っていると言っても、自分がない、バカだと言われる。そうじゃない、自分はあるけど世間の目があるからと言っても理解されない)

・国への帰属意識よりもコミュニティーへの帰属意識のほうが強い。これは住んでみたいと分からない。もちろん付き合っている社会階層にもよるが、国家的エリートのような人と付き合っていれば別だが、食料市民の存在はその中にある。

 

■国よりコミュニティーが先に来る米国

 

・シビック・アグリカルチャーは政治的な本だ。なぜ「経済」だけでは駄目で、「シビック」が大事なのか。米国のコミュニティーがグローバル化によって解体されてきている。『孤独なボウリング』は建国時代から続いているコミュニティーが解体されつつある。それは「アメリカが滅びることだが、それでいいんですか?」という本だ。ボウリングはコミュニティーの人たちと一緒にやるから楽しい。独りでやって楽しいのかな。

・市民コミュニティーの存在がアメリカの民主主義の基礎(脱政治化されない存在)だ。非常に政治的な存在であって政治に無関係な、脱政治化され得ない存在だ。アメリカらしさというのは自治の空間が末端で維持されていることで、国家統合よりも大事ということになる。共和党、民主党支持者問わず共有されているはずだ。

・アメリカ合衆国という国家統合よりもコミュニティーのほうが先に来る。彼らの敵は行き過ぎたグローバル資本主義になる。市民コミュニティーを破壊、分断してしますかからだ。民主主義の維持とグローバル資本主義は相容れない。

・(藻谷=一般的な日本人からすればアメリカこそがグローバル資本主義を生んで世界を支配しているのではないか。アメリカ=GAFAと思っている人が多いのではないか。GAFAは先にアメリカを破壊しているということですね)

・そうですね。GAFA的なものはそこら中にあるが、もちろんネットとかは使うが、遠い存在感。くついていないというか、われわれがトヨタとかソニーに抱く親近感より遙かに遠いと思う。

 

■米国ではグローバリズムで個人のハンバーガー屋が消えつつある

 

・(藻谷=日本でもマクドナルドと言えばどこでもマックがあってハンバーグ=マックだと思っているが、アメリカには独りでやっている1件だけのハンバーガーやがものすごく多い。むしろ多かった。個人主義のそば屋みたいな存在。それがどんどんマックになっていって個人経営のそば屋がどんどん消えて富士そばばかりになっていくそういう状況が起きていて、このことがありとあらゆるところで起きていて、そのことに対して『孤独なボウリング』の著者はアメリカらしさが消えている。日本でも食だと分かりやすい。いろんなユニークな食がチェーン店になっていく)

・もともとお寿司やさんはいろんな街にあった。回転寿司とかコンビニやスーパーの寿司や宅配寿司など企業系の寿司屋が強くなって個人経営の街の寿司屋が消滅してるじゃないですか。それをハンバーガーに置き換えればマックがコミュニティーにとっては恐ろしい存在であると分かります。これは非常に西洋的な考えだが、西洋的コミュニティーとか西洋的市民がロールモデルとしてない日本ではなかなか理解できない考えと私も理解している。

・(藻谷=日本でそば屋や寿司屋が回転寿司やになっても、日本人は食文化の破壊者とは考えるかもしれないが、地域社会もしくはコミュニティーの破壊と考えない、地域で商売をしている人の既得権の破壊とは見るけれども、地域そのものの破壊には見えないので多くの人はそれを放置していて社会が破壊されているとは思っていない。なぜならコミュニティーの自覚がないから)

・そうですね。おそば屋さんもお寿司屋さんもコミュニティーの一部だとアメリカでは考えられているが、回転寿司のほうが安いし、味もそこそこならば、結局「安い方がいい」と消費者になってしまう。

・(藻谷=消費者以外にちゃんとコミュニティーという考えがあったんだけど、それが壊れてきていて、アメリカにコミュニティーがきちんとあるとGAFAやマックを見ている限り、全く思いも付かない。実は彼らが対立する強いコミュニティーがあって、そう簡単には死なないぞと頑張っている)。そうですね。

もう1つの三権分立

 

■容易に全体主義にシフトする日本人

 

・1人が3つの人格を持っている感覚。よく言われているのはバイデン大統領は「グローバル系の手先ではないか」。オバマはそう言われていた。右側のオーラを出しつつも、左側の部分もあるのかな。民主党だから下へも目配りはしているだろうが、今はこの下が分裂してトランプ系とバイデン系に2分されている。ボランタリズムで相互扶助だが、言っていることは全く違う。上が割れたのではなく下が割れている。

・(藻谷=日本では1人が全部に属していて個人の中で解決を付けると言われていて、これはこれでいかようにでも触れる恐ろしい社会とも言える)。だから容易に全体主義にいっちゃう。容易にみんなで市場主義の全体主義にいったり、容易に政府の市場主義になったりする。コロナがそうだったが、どちらも頼りないとなれば、自分たちだけで自分たちを守るようになったり、ふらふらする)。そうですね。

・習近平がやろうとしているのは政府強制型だが、彼はグローバル経済大好きだから、ちょっと分からない。

・政府・行政、市場経済、市民社会の3つの権利で動くのが人間社会ではないか。

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